体調は大分回復してきた。今日あたりから観光を再開できるだろう。そう思い ホテルの人に宿泊を延長したい旨を伝えにいった。そうすると、このままでは 宿泊は延長できないという。僕の両替証明書は50ドルの両替証明書で、この ホテルの宿泊は一泊20ドル。つまり2泊までなら大丈夫だが3泊以上となると 新たな両替証明書が必要になるというのだ。結構このへんはうるさい。

 不思議なのは、ホテルによってはこの両替証明書の提示を求められるのだが、 特に安宿になるとそんなのはどうでも良くなることだ。コーカンドのホテルも、 サマルカンドのホテルもそんなのは関係無かった。それに向かいのザラフシャンも どうやら両替証明書なんていらないようだ。体調が回復していた事もあって、 「それじゃあ僕はホテルを移ります」とフロントに言い、向かいのホテルに引越す ことにした。今の状況ならもうザラフシャンでも大丈夫だ。そうすると、向こうも あっさりしたもので、あっそうですかと素っ気無かった。さらに、今迄は 特に何も書き込まれなかった両替証明書に、「このホテルで40ドルを使いました」 という旨のことを書き込まれてしまった。これでもうこの両替証明書は 使えなくなってしまった。といってもこの50ドルの両替証明書で、114ドル分 の宿泊をソムで払えたのだから、まあ良しとしなくてはならないだろう。

 ザラフシャンの係員は、バラフシャの係員とうってかわって愛想が悪かったが、 まあそれは値段の差なのだろう。最初に通された部屋はシャワーが壊れていたので 文句を言うと、別の部屋に通してくれたが、今度はトイレの水が止まらなくて、 それで文句を言ったのだが、「トイレのドアを閉めればいいでしょ」と言われて しまい、相手にしてもらえなかった。ドアを閉めたってうるさいものはうるさいのだ。

 ホテルを変わる一連の作業で午前中があっという間に過ぎてしまい、12時前に ようやく外に出る事ができた。最初に目指すはバザールだ。買うべきものはただ一つ、 蚊取り線香である。

 夕べは蚊との闘いだった。僕の持っている蚊よけオイルというのがこの土地の蚊には 全く効かないらしく、夕べ蚊が容赦無く僕に襲いかかってきたのだ。5~6個所は 刺されただろう。その度に僕はウナコーワを塗るために起きなくてはならなかった。 今晩はそんなことを繰り返したくない。そう思い、出来ればインドで仕入れたような 電気式蚊取りマット、最悪でも蚊取り線香を手に入れようと思っていたのだ。 バザールはすぐ側にあり、案外にぎやかだ。だからここであればすぐに手に入れる ことが出来るだろう。

 ところがあっさり見つかると思った蚊取り線香はどこにも見当たらない。蚊の ジェスチャーをしてようやく案内されたのは、おもちゃ、文房具を扱う店で、 「たまごっち」の偽者の隣にぶら下がっていた、超音波で蚊をやっつけるという なんだか胡散臭いものを売りつけられた。あまりにも胡散臭いので、一通り別の ところも見てまわったのだが、どうしても蚊取り線香は見つからず、だから 950ソム(800円弱)も出して、効くんだか効かないんだかわからないような この超音波蚊撃退機を購入した。

 ところで、炎天下である。日差しが果てしなく強い。ロクに栄養も摂っていない 僕には酷すぎるほどの炎天下だ。バザールに行った1時間くらいの間で あっという間に僕はのぼせてしまった。昨日の夕飯もまともに食べていなかった 僕はなにか口に入れなくちゃと思い、プロフ(ピラフ)を頼んだのだが、二口 以上口を付けられなかった。下痢の次は夏バテだ。これ以上炎天下にさらされたく ないので、いったんホテルに帰って、夕方まで避難する事にした。

 3時すぎに外に出てみるが、それでもやっぱり日差しは強い。けれども 12時ころに比べるとかなりマシなので、構わず歩きまくる事にした。ブハラは 新市街と旧市街に見事に分かれている。

新市街には広いまっすぐな道がはしり、 大きな木が歩道に日陰を作り、自動車がビュンビュン行き交っているのだが、 旧市街にはいると道は一気に狭くなり、木はあまり生えていない。舗装されて いない道も多く、埃っぽい。自動車も入ってこれず、木の代りに高い塀が 日陰を作ってくれる。まるでカシュガルの迷路の再現だ。
 


ブハラのメドレセはいたるところにある

タキ
 


 そんな迷路の中に、古いモスクやミナレット、タキと呼ばれるドーム型の市場や メドレセ(神学校)が思い出したようにポツポツと現れる。人々はカシュガルと同じように 皆人懐っこく、僕が適当に歩いているとむこうから挨拶してくれる。ちょっと 英語を話せる人は、どんどん英語で話し掛けてくるし、そうじゃない人だって、 ウズベク語やロシア語で構わず話し掛けてくる。路地は民族衣装に身を固めた 子供たちの恰好の遊び場だ。大人たちの格好の社交場だ。

 


子供たち 

それから5時間、僕はとにかく歩きまくった。カシュガルでそうしたように あても無く歩き回った。その度に沢山の人と出会い、沢山の景色に出会った。 疲れたらチャイハナと呼ばれる喫茶店でお茶を啜った。炎天下でバテは したが、普段のペースがようやく戻ってきた。
 


ひときわ大きなメドレセがあった

隣りに住む住人達は、ここを遊び場にしている