長い旅をしていると、特に僕のようなスタイルの旅をしていると、日本語を全く 話さない時期が長く続く事がある。英語を解す人が側にいればまだマシなのだが、そういう 人もいない場合には、まともな会話すら交わさない事が何日も続く事がある。 2~3日はなんとかなっても、それ以上になるとちょっと辛い。何でも良いから 普通に意志疎通できる相手が欲しくなるのだ。中国語やロシア語のカタコトでは どうしても限界がある。
 


宿の女性に写真をせがまれた

もう一枚
 


 そんな症状にまた見まわれはじめていた。思えば前にまともに意志疎通が出来たのは オシュでのことだ。もう10日程たっている。さらにまともに日本語が話せたのは 2週間も前になる。そろそろ思いっきり日本語を話したい。そんなことを考えて いた時に、ふとビシケクに居た時に一つの電話番号を頂いたことを思い出した。 ジャパンセンターに行った時に働いていた女性職員の旦那さんがここサマルカンドで働いているのだそうだ。 早速電話をかけてみると、今日のお昼になら時間が取れるとの事。久しぶりに 思い切り話ができそうだ。僕は朝からとても楽しみにしていた。



 

さて、午前中はどうしようか。ウズベク天文台に行くのも良いし、グル・エミル廟 に行ってみるのも良い。いろいろ考えたのだが、すぐ側に郵便局があるのを思い出し、 懸案のいただき物関係を日本に送る事にした。まだ時間は9時だ。約束の時間は12時 10分 なのでまだ充分時間はある。郵便局のあとグル・エミル廟でものんびり見学すれば 時間になるだろう。

 そう思い郵便局に出かけて行くと、今日の係員はとても親切だった。中身を見せると、 やはりアルトナイからもらった銀の腕輪は送れないだろうとのこと。他のものは 大丈夫だと思うが、とりあえずここに行ってくれとなにやら紙にアドレスを書いて 渡された。タクシーを飛ばしてそこに行くと、そこは税関の事務所だとのこと。 英語の話せる係員がとても親切に付きっきりでいろいろと教えてくれる。 ここでさらに送れるものと、送れないものを選別する必要があった。 地図関係は駄目なのだそうである。そしてカセットテープは全部聞いて確かめる 必要があるとも言われた。とりあえず送りたいもののリストを英語で書かされる。 そしてその係員がロシア語で同じように書いてくれる。

 それが終わると、今度は税関の所長のところに行き、サインをもらい、更に 別のオフィサーのところに行きまたサインをもらった。この煩雑な処理をしている 間に時間は既に11時半。僕はそろそろ焦りはじめていた。事前にこの係員には 12時10分には約束があるので、それまでには帰らなければいけない旨を伝えて ある。

 一通りの手続きが終わると、今度はアルトナイからもらったイヤリングが、銀製品 で無い事を証明するために美術館に行く必要があるという。さらにこれから送ろうと 思っているカセットテープ5巻を全部聞く必要があるとも言った。冗談じゃない。 そんな事をしていると今日一日が全部つぶれてしまうではないか。だから、イヤリング とテープはいいから、今すぐ送れるものだけの手続きを急いでくれとお願いした。 そうすると、英語を話せるおじさんの他に、印鑑をもったお姉ちゃんと運転手で これから郵便局に行くと言われた。時間は11時50分。約束まで20分しかない。 かなり焦っていたが、もう車は郵便局に向っているので後には引けない。

 結局梱包から何からすべての手続きが終わったのは12時20分のことだった。 もうすでに10分の遅刻だ。慌てている僕を見て、彼らは僕を約束の場所まで 車で送ってくれた。手続きは煩雑でとても時間はかかったが、基本的に彼らは すべて良い人ばかりで、親切にいろいろと教えてくれた。だから彼らがしてくれた ことには感謝している。郵便料金もたったの450ソムだった。3ドルである。 これなら全く文句は無い。けれども、走って駆けつけた待ち合わせ場所にはもう 彼はいなかった。15分の遅刻だ。無理も無い。諦めきれずにそのあと1時間も そこで待ったが、結局だめだった。せっかく日本語でいろいろ会話できると思ったのに、 サマルカンドの駐在員とはいったいどんなことをしているのかとても興味が あったのにとても残念だった。さらに忙しい時間を割いてわざわざ僕のために 時間を作ってくれたのに、結果として僕がすっぽかした形になってしまい、 非常に申し訳ないと思った。

 ホテルに戻り、早速彼にお詫びの電話を入れると、やはり10分程待ってくれた らしいのだが、その後得意先との予定もあった事からその場を後にしたとのことだった。 僕が約束をすっぽかした形になったのにもかかわらず、彼は怒るでもなく、終始 丁寧に対応してくれたのが唯一の救いであった。

 その後はバスでウズベク天文台に行った。17番のバスに揺られて20分ほどで 到着したそこは、大きな丸い土台だけが残っている。入場料はここもやはり120ソム。 サマルカンド統一料金だ。天文台だけに高台に建っており、そこからの景色が とても綺麗だった事と、天文台の中に10メートルほどの深さの溝が掘ってあった ことが印象に残った。

 ウズベク天文台をあとにして、市場を経由していよいよグル・エミル廟にむかう。 サマルカンドで一番楽しみにしていたところだ。その前にまた面白い事があった。 昨日コーラを買おうとして、50ソムだよと言われて僕がキレたコーラ屋の前を 通った時の事である。お兄ちゃんは僕の事を覚えていて、僕が通ると「昨日は ごめんよ、25ソムでいいからコーラ一本飲んでいってよ」と話し掛けてくる。 さすがに僕が昨日あまりにも罵声を浴びせたものだから彼も反省していたらしい。 そんな様子がおかしくって、だから僕は25ソムをきっちり払ってコーラを一本 飲んだ。仲直りが出来た気がした。

 


カメラを下げているとすぐにみんながポーズを取る


 さてグル・エミル廟だ。今迄見た人間の墓のなかで、そのスケールではきっと 秦の始皇帝陵というのが最高だと思っている。なにしろ現代中国の発掘技術では 発掘しきれないので、そのままの状態になっている人工の「山」なのだ。それから その建築の素晴らしさで言うと、文句無くインドのタージマハルが来る。けれども このグル・エミル廟もそのタージマハルと甲乙つけ難い。青いドームの微妙な 形といい、壁面の細密な模様といい、その精密さではタージマハルに優るとも 劣らないのだ。さらに内部の装飾がすごかった。最近修復されたらしいが、 金を多用した細かい緻密な模様にはとても圧倒される。
 


グル・エミール廟


 実はここの係員と仲良くなっていたのだが、彼に手招きで鍵のかかっている 地下室にも入れてもらう事が出来た。100ソム余計に払うだけで良かった。 彼によると、表にあるチムールの墓というのは、実は偽物で、この地下室に眠っている ものが本物なのだという。何年か前にロシアの発掘チームがこのお棺を開けて 調査をしているのだそうだ。調査後遺体はまたここに戻ってきて、今でもこの地下室 に眠っているのだと教えてくれた。

 調子に乗った僕はミナレットにも登ってみたいと言ってみた。そうすると7時過ぎに 来いとのこと。一度ホテルに戻ってまた7時過ぎに行ってみると、閉館したあとに 僕をこっそりミナレットに登らせてくれた。今度は500ソムとちょっと高かったが 、これは本当に「こっそり」だったのでまあそんなものだろう。92段の急な 暗い階段を登って到着した頂上からの景色はそれは見事だった。真っ青な 青いドームが手に取れるほど近くに見える。しかも見下ろす形で見えるのだ。 それに遠くにはレギスタン広場の三つのメドレセも見えて、反対側の空には 夕日が輝いている。強い風がまた心地よい。ここは鳥の巣になっているらしく 鳥のはばたく音に何度か驚かされたが、それ以外は静寂な空間で、心行くまで 景色を堪能できた。500は安いと思った。

 


塔に昇らせてもらった

そこからレギスタンを望む


 夕飯は近くの高級ホテルに行ってみた。ウズベキスタンに入ってからは屋台食ばかりで、 たまにはこんなレストランの飯というのを体験したいと思ったのだ。そこには 日本人の団体客が居て、客の方は食事の終わりだったらしくさっさと部屋に引き揚げて いったのだが(しかも皆僕の両親ほどの年齢)、僕と同世代の添乗員の方と 30分ほど話をする事ができた。話の内容はとても他愛の無い物だったが、 とにかく日本語を思いっきり話せたので、最近の「会話欠乏症」がちょっとだけ 解消できた。ちなみに飯はたいしたことがなかった。