笑顔、笑顔、笑顔。

 僕は、自分で自分に言い聞かせた。そう言い聞かせないとどんどん駄目に なっていきそうだった。今日の僕は最悪だ。なにか急に歯車が狂ったように、 物事がうまくいかなくなって、それでとてもイラついている。普段の僕なら 気に留めないようなことでも、ムカついてしまう。こんなんじゃ駄目だ。

 笑顔、笑顔、笑顔。

 郵便局を出たあと、僕はもう一度自分で自分に言い聞かせた。

 歯車は昨日の夜から徐々に狂いはじめていた。久しぶりに蚊の襲撃に遭い、 なかなか寝付けなかったのだ。こんな経験はインド以来だ。また蚊の季節が やってきたのだろう。インドでは僕は、蚊取りマットを必ず使っていたので、 安眠を妨げられる事はなかった。そのためか、ほとんど刺された記憶も無い。 ところが、その蚊取りマットはインド脱出と同時に処分してしまっている。 そしてここには蚊取り線香すらない。いったいどうすればいいだろうと思案したのだが、 役に立ちそうなものは何も無く、仕方なく布団をかぶって肌を露出しないように していた。それでもいつのまにか手と足の甲を2個所刺されてしまう。 その時、そういえばタイで蚊よけオイルを買ってきた事を思い出した。 試しに腕に塗ってみると、これが案外効いたようで、その後は蚊の襲撃にも 遭わず、ようやく安眠する事が出来た。

 ところが、その事件が尾を引いたのだろうか、6時半に起きようと思い 目覚ましをかけておいたのだが、目が覚めたらもう7時半だ。昨日バス停で 話をしたおじさんによれば、タシケントに行くなら7時にはバス停にいたほうが 良いという話だった。もうそんな時間はとっくに過ぎているのだが、僕は 急いで荷造りをし、とにかくバス停に向った。ホテルからのタクシーはすぐにつかまり、 100ソムで交渉がまとまった。

 バス停に着いて、タシケント行きの乗合タクシーを探していると、すぐに 向うから声がかかった。まさに出発するところの小型バンの運転手が合図を 送ってくれたのだ。昨日の情報通り1000ソムだという。闇レートだと 6ドルくらいの計算になる。これははっきりいって安いだろう。もちろん 異存も無く、僕はそのバンに飛び乗り、すぐにバンは出発した。240キロ ほどの道のりである。

 


タシケントに向かうバスで一緒だった人達


 途中山道になった。工事中の山道で、だから現在バスが通行止めなのだそうだ。 確かにバスとは一台もすれ違わなかった。景色は確かに綺麗だったが、山道慣れ してきてしまっている僕にとっては、それ程感動的な景色でもなかった。これなら オシュへの道のりの方が数倍綺麗だった。けれどもこの山道を越えてからが すごかった。それから数十キロに及ぶ直線道路が出現したのである。この直線道路が 波打つ大地に張り付くように、登ったり下ったりを繰り返している。 そしてそんな波乗り道路を通過すると、もうタシケントだった。 5時間半の行程だった。

 タシケントは中央アジア随一の都会である。人口は200万を超え、中央アジアで 唯一の地下鉄も走っている。そんな話を聞いていたので、高層ビルが乱立する 大都会を想像していた。けれども実際に到着したこの街は、ひたすら緑が多く、 ひたすら広い通りが多く、そして建物がとてもゆったりと建てられている所だった。 運転手に適当な地下鉄の駅で降ろしてもらい、僕は一路ナボイ駅に向う。実は バネッサから一つの宿を推薦されていた。といっても彼女もここに来た事はなく、 ガイドブックからの鵜呑み情報なのだが、ここにあるグリーンフラッグホテルというのが 安くて快適らしい。そこは地下鉄「ナボイ」駅のすぐ側にある電話局の隣り にあるのだそうだ。だから最初にそこを目指して、一度荷物を置き、もしホテルが 気に入らなければそれからまた他のホテルを探そうと考えていたのだ。ビョンジュ も「タシケントであれば簡単にホテルが見つかるよ」と言うような事を言っていたので 安心しきっていた。

 


タシケントは社会主義チックな街並み


 ところがこの辺から本格的に歯車が狂いはじめる。結局、そのグリーンフラッグ とやらは見つける事ができなかった。電話局は見つかったのだが、その隣りには 旧社会主義国らしい、いかついでかい建物が在るだけで、人に聞いてもそんな ホテルは知らないという。途方に暮れていると通りかかった親切な人に、「安い宿だったら、 ドストリックかトゥランだろうね」と教えてもらったので、とりあえず近い方の トゥランに行ってみる。重い荷物をのろいながらも頑張って歩いていった。 ところが、2時半に到着したそのホテルの受付は昼休みの為やっていないという。 普通ホテルの受付に昼休みは無いものなのだが、ここはさすがに元社会主義国で、 利用者のことなど全く考えていない。なんとか一泊24ドルであるということを 聞き出し、先にドストリックに行こうと思った。、もしそっちの方がよさそうだったらそちらに 泊ってしまおうと思ったのだ。

 ところがタクシーを飛ばして到着したホテルでは、僕が「一泊いくらでしょうか」とたどたどしいロシア語で 聞くやいなや、恐いおばちゃんにいきなり「ここはウズベク人かトルコ人じゃない と泊れないの。他に行ってちょうだい」と一喝された。僕が更に「それでは、安い 宿を教えてもらえませんか」と言うと、ムっとした顔をして「そんなの知らないわよ。 ウズベキスタンホテルでもどこでも行ってちょうだい」と相手にしてくれない。 ウズベキスタンホテルとはこの国の看板ホテルの様なもので、一泊100ドル以上も するところだ。なんだかこのおばちゃんの圧倒的に高圧的な態度に僕は悲しくなって しまった。もうこのおばちゃんは僕が何を言っても相手にしてくれないので、 しょうがなく引き返すことにする。あんなに怒らなくてもいいのにというほど 怒られたのだ。すると捨てる神あれば拾う神ありで、近くに座っていた厚化粧の おばちゃんが「安いところを探しているなら「サハヨット」というところに 行ってみるといいわよ」と教えてくれた。僕はその時もうトゥランホテルに戻ろう と決めていたので、「サハヨット」はあたらなかったが、このおばちゃんの一言で ちょっとだけ救われた思いがした。

 ところが、トゥランホテルでも僕はやっかいもの扱いだった。ようやく再開した 受付に行くやいなや、「奥の部屋に行ってちょうだい」と言われ、奥の部屋の 英語の通じる人にもさんざん警察の尋問のようなことをされ、ようやく「泊めて やる」という態度で部屋に入る事が出来たのだ。ビザも、レジストレーションも、 両替証明書もすべて完璧にそろえていた僕は、結局問題無く、しかもソムで 払う事が出来たのだが、部屋に入るまでになんと1時間もかかってしまった。 いつ来ただの、どこに行くだの、どうして入国スタンプが無いのかだの 何度も、何度も同じ事を聞かれたのだ。(入国スタンプについては空路入国の 場合押してもらえるのだが、陸路入国の場合は存在しない)更に お金を払いに行く時にパスポートを持っていっていいかと聞くと「Take it(もっていきなさい)」 と言われたので、それを取ろうとすると、すごい剣幕でおこられた。 これは単に彼女の英語の間違いで、彼女としては 「ここに置いていって」と言いたかった様なのだが、こちらとしてはびっくり仰天する。 そのあと、レジストレーションだと言われて、更に200ソムとられた。僕は、 フェルガナで20ドルも出して正規のレジストレーションを行っているのだが 、これは別物なのだそうだ。

 彼女は部屋へ向かう僕に向って、厳しい口調でこう言った。「カメラとか 現金は絶対に部屋に置いて外出しないように。そうじゃないと盗まれるわよ」 このホテルには一泊しかしないで、すぐに他のホテルを探そうと真剣に思った。

 さて、そのホテル探しの前に、郵便局に行っておこうと思った。もらったお土産 関係をさっさと日本に送って身軽になろうと思ったのだ。最初に行った小さな 郵便局では小包を扱っていないという事だったので、中央郵便局の場所を教えて もらって、一路そちらを目指す。小さい方の郵便局のおばちゃんはとても親切だった。 けれどもようやく到着した中央郵便局でも僕はひどい仕打ちに遭ってしまう。 僕としてはこの国の郵便システムをよくわかっていなかったので、それも含めて 聞こうと思っていた。バネッサによると、アルマティから物を送った時に、 せっかく荷造りしたのに全部開けて中身をチェックされ、それから向うのほうで 全部荷造りをし直したと言っていたので、僕はとりあえず送りたいものを 裸で持っていった。

 そうすると、おばちゃんはいきなりその荷物を選り分けて、いらなくなった地図と これまでもらったアドレスの束だけをもって、「これ以外はだめ」と言って僕に 突き返してくる。どうして駄目なのかの説明は何も無い。僕がその説明を求めると、 面倒くさそうに、陶器の置物を取り出して「これは壊れ物だからだめなの」と いい、ナギズの奥さんのアルトナイからもらった銀の腕輪を指して「これは 高価なものだから駄目なの」といった。それじゃあその他の民族帽などはと 聞くと、あらこれは大丈夫だわときたものだ。そして、なんとかその壊れ物関係を 送る事はできないかと聞くと、「できない」の一点張り。そのうち何もせずに 「さようなら、家に帰りなさい」とまで言いはじめる。結局彼女のあまりの対応の ひどさに、他の客が助け船を出してくれて、箱に詰めて梱包すれば送る事が 出来るということがわかったのだが、その箱をどこで手に入ればいいかを聞いても 「知らない、もう帰れ」の連発だった。そんな対応をされて、更に今迄の うっぷんも溜まっていたこともあって、僕はほとんどキレかかってしまった。 おもわず叫んでしまう。そして僕は怒りに肩を震わせながら、その場を後にした。

 けれどもその時思ったのだ。「笑顔、笑顔、笑顔」と。多分その時の僕の 顔つきは相当険しく、他の人が見たら絶対に話し掛けようと思わないほど ひどい顔だっただろう。そんなんじゃいけない。そんなんじゃもっと悪い方向へと 落ちていってしまう。「笑顔、笑顔、笑顔」笑っている方が楽しいことが 訪れる。それにその方が僕も楽しい。そう思い、頑張って笑顔を作る事にした。 最初はぎこちない笑顔だったけど、だんだん自然に笑えるようになってきた。

 近くにウズベキスタンホテルが在ったので、そこで地図を手に入れた。 その地図を頼りにもう一度「グリーンフラット」を探してみる。が、結局みつからない。 その後地図にかいてある他のホテルに行ったのだが、カナダとの合併のそのホテルは 一泊160ドルと話にならない。けれども、ここも高いだろうと思って入った タシケントホテルは掘り出し物だった。何よりも係員の対応が今迄と違って とても親切だ。一泊朝食付きで25ドルだという。これは今泊っているホテルと 1ドルしか違わない。部屋を見せてもらうとボロボロで汚いトゥランとは 雲泥の差で、部屋も広いしバスタブも付いている。一気にこのホテルが気に入っ てしまった。それに僕は両替証明書を持っているので、ソム払いでも 大丈夫なそうだ。(といってもその両替証明書はとられてしまうのだそうである) ソム払いにすると実質的には15ドル程度まで料金が落ちるので、これは かなりお買得だろう。そう思い、さっそく明日からこのホテルに移る事にした。 ここでは歓迎こそされ、厄介物扱いされることはなかった。

 笑顔、笑顔、笑顔。

 その後も笑顔のお陰で、 いくつかの小さな「良い事」が訪れた。 やはりどんな時も笑顔は忘れてはいけない。ひどく打ちのめされながらも、 そんなことを考えた一日だった。