朝10時過ぎにカーチャが仕事から帰ってきた。それを合図に行動を開始する。 今日の計画はこうだ。まず最初に銀行に行く。とにかくその「両替証明書」と やらを手に入れないと、どうにもホテルに泊まれそうにないので、そのために いくらか両替をする必要がでてきたのだ。それから次にオビールに行く。 これは、外国人登録をするためだ。旧ソ連の国では外国人がその国に到着してから 3日以内にこのオビールとやらに行ってレジストレーションと呼ばれる 外国人登録をしなくてはいけない。僕はカザフではこれを無視して行かなかったが、 キルギスではきちんと登録した。結果的にキルギスではその後警察のチェックを 受ける事もなく、登録をしなかったとしても無事だったのだが、ウズベキスタンは このレジストレーションを厳しく取り締まっているらしいとの噂を聞いていたので、 ここできちんと登録しようと思ったのだ。その後、この街の郷土博物館へ行った後、 バスでコーカンドを目指す。大体2時過ぎにはこの街を出られるだろう。コーカンド までは2時間の距離だから、夕方には新しいホテルに落ち着けると思う。計画は 完璧だ。

 この完璧な計画を帰ってきたカーチャに伝えると、彼女はにこやかに「ハラショー」と 言って、出かける準備をしはじめた。僕は彼女に場所を説明してもらい、それで一人 で行くつもりでいたのだが、どうやらカーチャもリーラもその友達もみんな一緒に 付いて来てくれるらしい。これはとても心強い。特にカーチャはホテルに勤めている だけあって、僕が銀行へ何をしに行くかも、オビールに何をしに行くかも完璧に 把握してくれている。

 カーチャは「先にオビールに行きましょう」と言って、さっさとタクシーを 捕まえてくれた。到着した時に運転手が「150」と言ったのだが、カーチャが 間髪入れずに「何言ってんの、100よ」と言うと、運転手はその迫力に押されて 「わかった100でいいよ」としょぼくれた。その掛け合いが面白かった。

 ところが、オビールでは問題が発生した。今日はそのレジストレーションの スタンプを押してくれる権限のある人が、タシケントに行ってしまっていていないのだ そうだ。だから明日もう一度来てくれと言われてしまう。僕がコーカンドでは できないのかと食い下がるが、コーカンドでは無理なようだ。それにこの レジストレーションになんと20ドルもかかるのだそうだ。キルギスでは2.5ドルだった のに、ちょっと高すぎる。もっとも、カザフでバネッサがレジストレーションをした 時にはなんと42ドルもとられたのだそうなので、この20ドルもあながち 高いとは言い切れないのかも知れない。それにしても、ビザをとる時にも金を 取っておいて、入国してからもまたそれなりの金を取るというのは、なんだか こすっからい国だ。僕は日本人なので、ビザを無料で取っているのでまだマシだが、 50ドルや60ドル出してビザを取っている他の国の人達には目もあてられない。

 という訳で、僕は今日この街を出れなくなってしまった。事情を逐一知っている カーチャはもう一泊家に泊って行きなさいと申し出てくれる。他に選択肢は なさそうだ。  

 ところで、カーチャはおもしろい。今朝、さあ出かけよう時に、こっそり僕を 食堂に呼んだ。なんだろうと思って入って行くと、「ちょっとウォッカでも飲まない」 と誘ってくる。そして結構な量を飲み干す羽目になってしまった。そして、 オビールから銀行に行く道すがらでも、ビールバーを見つけて、ここでビールを 飲んで行こうなどと言いはじめる。しかもそこには彼女の友達もいたようだ。 リーラはカーチャのそんなところがあまり好きではないらしく、本気で怒っている。 実際彼女は少し飲みはじめたのだが、リーラがあまりにも怒るので、途中で 席を立った。まあ冷静に考えると、この場合リーラの方が正しいだろう。

 途中そんなハプニングがあってようやく辿り着いた銀行だが、ここでは 両替はできないという。ナショナルバンクへ行ってくれとのことだった。 そこまでみんなでバスで行く。そしてようやくその「両替証明書」とやら を手に入れた。レートは1ドル=96ソム。50ドルほどそのレートで取り替えた。 その後また市場に戻ってきて、カーチャの助けもあって闇でまた50ドルほど 替えたのだが、1ドル=165ソム。かなりレートに開きがある。これならば ホテルも両替証明書無しで泊めてくれない訳がわかる。ただ僕としては なんでもいいからレートは一つに統一して、ホテルも簡単に泊めて欲しいと言いたい。 それから、この国の最高額紙幣は100ソムで、だから100ドルも両替すると 僕のポケットはパンパンに膨れ上がってしまった。もはや財布に収まる量では ない。せめて500ソム札くらい発行して欲しいとも言いたい。  

 しかし、なぜここの国では銀行レートと闇レートにこれほどの差があるのだろう。 同じ時期に自国通貨を導入したカザフやキルギスには闇は存在しない。ドルから 自国通貨へも、自国通貨からドルへも簡単に両替できる。それが国境を一歩越えた 途端に状況が一変するのだ。闇でのドルレートがかなり高いという事は、つまり それだけドルの需要が高いということにつながる。と同時に自国通貨の価値が低い という訳だ。たぶんこれは、カザフやキルギスでは自国通貨からドルへの両替が 簡単に出来るのに対し、ウズベクではソムからドルへの両替になんらかの 制限があるところから来ているのではないだろうか。なかなかドルが手に入らない がために、ドルにどんどん高値が付いていくのだ。そう考えないと、銀行レート と闇レートのあまりにも大きな格差に説明がいかない。それにしてもここまで 闇と銀行レートとの格差が大きい国は初めてだ。  

 さて、一仕事終えると、カーチャは「私は帰って寝るわ」といい、家に帰ってしまった。 昨日あまり良く寝ていないのだろう。ホテルの勤務は生活が不規則になりがちで 大変だ。リーラとその友達、それから僕は最初の予定通り郷土博物館に行くことにした。 入場料25ソム。中は、はっきり言って大したことはない。この地域に入って いくつも博物館に行っているが、どこも似たり寄ったりなのだ。打製石器や磨製 石器、それに土器などが展示して在るコーナーに、さまざまな自然動物の剥製。 それから民族衣装や民族楽器。地元の特産物。民族衣装のコーナーはそれなりに 面白かったが、実はこの民族衣装は現在でもかなりの人達が実際の生活で使って いるものなので、なにも博物館にまで来て見るという代物でもない。

 


リーラとその友達


 ただ、興味深いコーナーが一つ在った。それは「韓国コーナー」だ。リーラに よるとこの地域にはかなり沢山の韓国系住民が住んでいるのだそうだ。そういえば 昨日リーラに写真を見せてもらった時も、学校の友人のかなり多くが韓国系 住民だった。ここにも戦争の爪痕が残っている。これらの韓国人は日本の支配を 嫌ってシベリアに逃げた人達で、スターリンの時代にこの地に強制移住させられた 人達の子孫なのだ。ウズベクの中でもここフェルガナは最も韓国系住民が多い街 の一つ。韓国コーナーには韓国の伝統的なものの展示のほかに、 この地での韓国系住民の活動の様子などが写真を使って説明してあった。

 夕方カーチャは出かけていった。そして深夜まで帰ってこなかった。きっと またどこかに飲みに行っていたのだろう。父親はいないようなので、リーラが ちょっと可哀相に思った。オシュの家族とは大違いだ。リーラはいつも自分で 料理を作っているのだという。そして大抵一人で食べているのだそうだ。

 そんなリーラと夜話す機会があった。彼女はヨーロッパ人的な顔立ちをしているので、 ロシア系住民なのだと思っていたのだが、彼女はタタール人なのだそうだ。 タタール人というのは耳にした事はあるが、実際にどんな民族なのかピンとこない。 そこで更に質問を重ねると、もともとはトルコ系に祖先があるということだった。 そして、昔はフェルガナにも沢山のタタール系住民が住んでいたのだが、 今このフェルガナに残っているタタール系住民というのはなんと、このリーラの 一家(祖父、祖母、親戚を含む)だけになってしまったのだそうだ。原因は 戦争だ。ソ連崩壊時の混乱時に、この地域では5ヶ月程の戦争があった。 ムフタールによるとこれはオシュの領有をめぐる、ウズベクとキルギスの 戦いだったはずだが、リーラによるとそんな単純な構図でもなかったようだ。 リーラも詳しくはわかっていないようなのだが、なんでもフェルガナやコーカンド ではこの時期にウズベク系住民とタタール系住民、それからトルコ系住民との 間でもかなりの諍いがあったのだそうだ。そして、結果としてほとんどすべての タタール人がこの地を後にしている。

 どんな事情があって、この一家がまだこの地に留まっているのかはわからなかったが、 彼女たちの一家も来年には大抵のタタール人が逃げていったウクライナのクリミヤ 半島に引越すのだそうだ。つまりタタール系住民は、彼女たちを最後にこの地から 完全に姿を消すことになる。ソ連の崩壊というのは、僕が思っている以上に 沢山の人達に、大きな打撃を与えた出来事だったようだ。そんな話を聞いていて、 またいろいろと考えさせられた。