朝が来てしまった。別れの時間が近づいてくる。出会いを重ねるごとに別れも 重ねなくてはならない。また辛い時間がやってくる。

 お母さんはキルギス人がベルトに使っているという大判の 風呂敷きの様なものをプレゼントしてくれた。おばあちゃんが刺繍をしたものなのだそうだ。 「気をつけて行ってきてね。そしてまたきっと帰ってきてね」お母さんは そう言って僕を抱きしめてくれた 。そうだ、これは別れではないんだ。これは始まりなんだ。そう思うことにした。 だからさよならは言わなかった。「またね」そう言って僕はムフタールに促されて タクシーに乗った。

 キルギス人というのは他人のような気がしない。顔も全く同じだし、考え方も 似通ったところがある。それに特に今回は家族中の人と意志疎通が簡単にはかれたので、 なおさらだ。景色もなんとなく北海道に通じるところがあり、1年たってまた自分の 田舎に帰ってきたような錯覚さえ受けた。「先進国」であるアメリカを知った後でも、 なお「キルギスがいい」と言うムフタールの気持ちが分かる気がする。僕も彼らのように 豊かな自然と共存して暮らしていきたい。

 バスターミナルまで送ってくれたムフタールとも肩を抱き合って別れた。 「グッド・ラック」お互いそういって別れを告げた。彼ともまた深い 友情を築く事が出来た。そして心底彼の人生の成功を 祈らずにはいられなかった。お互い笑顔だった。

 さて、また新しい国である。といってもまた国境はそれほど厳しくも無い。 外国人である僕はバスの中で目立ってしまい、パスポートの提示を求められたが、 それだって、ビザをきちんと持っているのを確認するとそのまま入国スタンプも 押さずに戻してくれる。その他の人にはパスポートすらチェックしない。あっけない 国境だった。

 フェルガナの街にもすぐに到着した。また何の情報も無い僕は、早速 途方に暮れてしまう。近くにはバザールのようなところがあるのだが、両替所 らしきものは見当たらない。そういえばビョンジュがこの国では銀行レートと 闇両替がかけ離れていて、だから絶対に闇で取り替えた方が良いとアドバイスを してくれていた。つまり正規のレートがほとんど機能していないものだから、 カザフやキルギスのように街のそこら中に両替屋があるという訳ではないのだろう。 困って、適当な人に「キルギスソムをウズベクソムに替えるにはどうしたら よいのだろう」と聞くと、「じゃあ俺が替えてやらあ。1キルギスソム=7ウズベク ソムでどうだい」と言ってきた。なんだか胡散臭そうだし、レートもろくにわかっていなかったので、 彼の申し出は断る事にして、もう少し歩いてみる事にした。歩いてみればなにか 道が開けるに違いない。

 そうは思ったのだが、そう簡単に道は開けなかった。その前に疲れてしまったのだ。 最近なにかともらい物が多くて、バックパックがパンパンだ。キルギスで或る程度 のものを送ろうとしたのだが、それにも失敗してしまっている。ビョンジュから ジーパンをもらったので、古いジーパンが不要になり、それはムフタールに プレゼントしてきた。重量を減らす事が出来たのは実にそれだけで、だからきっと 今僕のバックパックは17キロくらいはあるだろう。経験的にそれはちょっと 多すぎる。疲れてしまった僕はとにかく荷物を置いて、適当に座る事にした。 本当はコーラの一杯でも飲みたい所だったが、何しろこの国の通貨をまだ持っていない 僕には、それもできない。仕方ないので、ただ黙ってあたりを見ている事にした。

 そうすると誰かが声をかけてきて、というのが観光地を旅している時のパターン なのだが、特に観光地でもないフェルガナではそれも叶わず、だから5分ほど休んだあと またあてもなく歩くことにした。あたりは市場である。そこに警察官がいた。 キルギスで会っただれかに、ウズベクの警察官はカザフやキルギスの警察と は違ってかなりまともだという話をきいていた。だから、一瞬躊躇はしたのだが、 思い切って彼に声をかけてみる事にした。また怪しげなロシア語を使って ゆっくりと説明する。

「僕は日本人です。今、安い宿を探しているんですが、どこか知りませんか? それから両替もしたいんですが」

 そうすると警察官はとても親切に僕と一緒について来なさいと言ってくれる。 そして警察官の詰め所の様なところに連れていってくれて、他の警察官に 頼んで僕のキルギスソムをどこかに両替しに行ってくれた。1キルギスソム= 7ウズベクソムだと言われる。これはどうやら妥当な線のようだ。ただし これは闇両替のレートでの話である。警察官が僕のためにどこかで闇両替を してくれるというのがなんだかおかしい気がした。更に彼らはいろいろと 相談して宿の情報も教えてくれた。そもそも宿というのが あまり無い街のようで、彼らは「ドストリック」か「インツーリスト」がいいんじゃ ないだろうかと教えてくれた。そしてタクシーの相場とタクシースタンドの場所も 教えてくれる。

 50ソムで行くだろうと警官には言われていたのだが、実際は100だった。 値切っても全然だめだったので、とりあえず100払って行ってもらう事にした。 さっき両替した分で1000ソムくらいならある。あとはホテルに落ち着いた後で どこかで両替すればよい。そう思っていたのだ。ドストリックホテルに着くと、 フロントの親切そうなおばさんが、すぐに「私は英語が話せないから、いま 英語を話せるボスに電話するから待っててね」とどこかに電話をかけてくれる。 そしてそのボスと話して、どうも簡単にはホテルに泊れそうにないことが わかってきた。

 部屋はあるし、ドミトリーなどの安いところもあるようだ。ただし、外国人は 両替証明書を見せないと泊めてもらえないという。つまり闇替え防止策なの だろう。けれども今日は日曜日なので銀行はやっていない。そこで ドルで払えないかと聞いてみたのだが、このホテルはドルを受け付けない。 それならば「インツーリスト」の方に行ってくれないかとボスに言われてしまった。 その話を聞いていたトルコ系の他の客が僕のタクシーの世話などをしてくれる。 インツーリストまで100ソムだと運転手が言い張っていたのに、彼が交渉してくれて あっさり50になった。

 インツーリストホテルの人達も確かに親切ではあった。英語もそこそこ話すし 応対もとても良い。けれども問題は値段だ。シングルは35ドルからだという。 ここはドル払いでもソム払いでも良いのだが、ソムで払う場合にはやはり両替 証明書を見せないといけないのだそうだ。そして部屋を見せてもらったのだが、 これが35ドルかというほど貧相な部屋で、泊る気は一気に失せてしまう。 お湯も出ないのだそうだ。困っていると、じゃあ私のお母さんの家に泊らない。 25ドルでいいわよと受け付けの姉ちゃんは今度は自分のアルバイトに精を 出し始める。けれども25ドルというのもはっきり言って破格な金額だ。 親切ではあるがちゃっかりもしている。結局僕はインツーリストを後にして またドストリックに戻る事にした。そこで明日銀行に行って両替してくる旨を 伝えて、泊めてもらおうと思ったのだ。

 帰りのタクシーがまたおもしろかった。ここに来る時には50で来たので、 相場は50のはずだ。ところが、タムロしている男達に聞くと200だという。 そんなはずはない50だろうと言うと、じゃあバスにでも乗っていけと突っぱねられた。 何番のバスに乗っていいかもわからない僕は、彼らから少し離れて流しの タクシーを捕まえる事にする。停まってくれたタクシーは最初150だと いい、ふんばると100までは落ちた。けれども50には落ちそうに無くて、 こちらも意地になって、「じゃあいいよ、他の車でいくから」とドアを閉めようと すると今度は向うが折れて「わかった、じゃあ50でいいよ」ということになった。

 ムフタールがよくキルギスとウズベクの国民性の違いについて言っていた。 キルギス人は怠惰で、金にもあまり執着しないのだが、ウズベク人というのは とにかく少しでも多く金を稼ごうという、こすからい奴等なのだそうだ。確かに このタクシーでの掛け合いを見るとそれもうなづけてしまう。

 さて、もう一度ドストリックに戻ると、受け付けのニコニコおばちゃんが 「困ったわねえ」と言って どこかに電話してくれる。僕はまたボスに電話しているんだろうと思って、 その電話の相手に、明日銀行に行くからどうか泊めてくれないかと聞いてみた。 そうすると電話の先の相手は「何言っているの、あなたは家に泊ることに なったのよ」と言ってくる。何がなんだかさっぱりわからない。「 とにかく今そこに行くから待ってて」と言って電話を切ろうとする。 「ちょ、ちょっと待ってください。そのあなたの家に泊るって、いったい いくらなんですか?」とどもりながら聞くと、相手は「それはママに聞いて ちょうだい」という。どうやらこの電話の相手は先ほどのボスではなくて、 このニコニコおばさんの娘のようなのだ。このニコニコおばさんは 「5ドルでどう」と言ってくれた。なんだかわからないうちにまた ホームステイである。最近ホテルに全然泊まっていない。

 ニコニコおばちゃん、カーチャの娘はリーラと言って、15歳なのだそうだ。 友達も泊まりに来ていたのだが、いろいろと世話を焼いてくれる。 食事も作ってくれた。なかなか上手い。カーチャは今日は泊まりなのだそうで、 帰ってこないようだ。そして父親はどうやらいない家庭ならしい。またもや 不思議な成り行きだったが、とりあえず相手が年頃の女の子二人だけなので 、僕の方もなんだか変に遠慮してしまって、あまり部屋から出ないように していた。

 


フェルガナの街