朝からとても不思議な天候だった。7時前に目が覚めた時には太陽が燦燦と 輝き、今日一日はとても良い天気になるだろうと予感させられた。けれども 次の瞬間カミナリが鳴り渡り、大雨になってしまう。今日もピクニックは無理 なのだろうか。昨日僕は「今日の天候がもし良ければここにもう一日滞在するが、 もし悪ければ予定通りフェルガナに行くよ」と言ってしまっていた。けれども 本心を語れば今日ここを旅立ちたくない。もう少し家族に触れていたい。そう 思っていたので、カミナリが鳴り渡った時はちょっとショックだった。
 


オシュの山はいつも街を見守っているような気がした


 結局みんなが起きだした9時過ぎには雨はやんでいたのだが、お母さんがどこかに 出かけてしまっていて、だからムフタールと今日一日をどうしようかと相談していた。 僕は正直にまだもう一日ここに滞在したいという事を伝えると、ムフタールも 僕にまだもう一日ここにいて欲しいと言ってくれた。ただお母さんがどこかに行ってしまって いるので、簡単な朝食を食べた後、ムフタールが彼の友人に僕をあわせてくれる事に なった。と、そんな話をしているところでお母さんが帰ってきた。そして 当然のようにこれから山に行くわよと張切っている。だから僕らは11時前に ジュルディスも伴って4人ででかけることにした。

 天候はあの雷雨が嘘だったように晴れ渡り、のどかなピクニックになりそうだ。 バスに揺られて1時間ほど行くと、周りには何も無くなる。そこから30分ほど歩いて 昼食の場所に着いた。川沿いの何も無いところだ。川は翡翠のような色をしていて、 触れるととても冷たい。日差しが強く雨のために持ってきた傘をムフタールや ジュルディスは日傘代りに使っていた。途中でジュルディスは沢山のいろいろな 色の花を摘んでは、花束を作っている。黄色、赤、紫、白。ここには沢山の 種類の花が咲き乱れている。

 


みんなで一休み

家族はみんな仲が良い


 みんなで和んでいると、お母さんが突然空を指差して、「みんな、見て、 黒い雲がすごい速さで近づいてきたわ。もういきましょう」と言う。僕らは 慌てて支度を整えて、出発したのだが、すぐに大粒の雨が降ってきた。持ってきた 傘を今度は雨のためにさして、岩陰に隠れて5分ほど雨をやり過ごす。雨は案外簡単に止み、 そうすると今度はお母さんは「それじゃああの山の頂上を目指しましょう」と いきなり方針を転換した。もう帰るものだと思っていた僕らはちょっと驚く。それに その山は結構高く、登るのは大変そうだった。けれども 「あの山に登るのが私の夢だったの」という一言に負けて、僕らはお母さんに 御供する事になった。
 

 
おすましジュルディス


 ところが中腹にくると脱落者が約二名。ムフタールとジュルディスが「僕らは ここで休んでいるから、先に行ってくれ」と言う。そこからは岩をよじ登るように して登らなくては行けなくて、僕も躊躇したのだが、お母さんは元気に登り始めるので 僕もひく訳にはいかない。それから30分ほどかけて苦労して岩を登る事になった。 頂上に着く頃には足がガクガクになっていたが、それでも絶景の景色に何もかもを 忘れる事ができた。やっぱりここまで登ってきて良かった。お母さんも頂上までこれてとても満足していたようだ。それも またうれしかった。
 


陸橋の上で


 頂上で5分ほど休んだところで、お母さんがまた空を見上げて言った。「ノリ 、見て。また黒い雲が近づいてくるわ。行きましょう」僕はもっと休んでいたかったの だが、雨が降り始めると大変だ。なにしろ登りよりも下りの方が相当危険だという ことが目にみえているのだ。だから疲れた体を鞭打って下りはじめることにする。 確かに下りは危険だった。お母さんは二度シリモチをついた。幸いどちらとも 柔らかい草の上でのことだったので大事にはいたらなかったが、そのたびに僕は とても肝を冷やした。ところがお母さんは僕の心配をよそにのんきにハーブなどを 摘んでいる。やっぱりお母さんにはかなわない。

 なんとか麓まで辿り着いた。お母さんと僕は無事帰り着いたことに、それから なにか一つのことを共同で達成した事にとても喜び、抱き合ってお互いの健闘を たたえた。ムフタールとジュルディスはのんきに草原のベッドでイビキをかいていた 。

 さて、その後がまた大変だった。黒い雲はぐんぐん迫ってきて、バス停に向おうと する僕らに襲い掛かってきたのだ。お母さんが「私は道を知っているから大丈夫。 こっちが近道よ」などといって、息子達の心配とはよそに、来た道とは違う道を 歩きはじめる。そして道が三叉路にわかれるところに来たところで、なんと 大粒のヒョウが降ってきたのだ。僕らは木の影に隠れてやり過ごそうとしたのだが、 今回はなかなか止む気配はない。ムフタールが痺れをきらして、もう行こうよと言う。 そこで先に進む事になったのだが、急にお母さんがおろおろしはじめて、踏み出した方向に 自信が持てないらしく、「やっぱりこっちじゃないわ」 と後戻りを始める。が、息子達は何だかんだ いってきちんと方向を把握していて、最初に踏み出した道が正しいことを知っているので、 お母さんに「大丈夫、こっちだよ」と行って、彼女の背中を押した。

 傘は二つしかなかったので、ムフタールとジュルディスが一つの傘、お母さんと 僕が一つの傘をつかって先を急いだ。僕のジーパンはあっという間にびしょ濡れに なって、靴には水が浸入してきた。なかなか大変なピクニックだ。けれども雨はやがて 小ぶりになり、そして止んだ。そうなると余裕が出てきた僕らは雄弁になる。 お母さんは「今日は私が隊長よ」と息巻いていたのだが、先ほどのオロオロ事件で、 「隊長は失格だ」などということになり、今度はムフタールが隊長ということになる。 ところが、また自信を取り戻したお母さんは「じゃあ私は今度は将軍になるわ」など と言いはじめる。その掛け合いがとても楽しい。

 歌もうたった。僕が日本の歌を歌ってと言われた時に必ず歌っている「むらまつり」 を披露すると、ムフタールが口ドラムで伴奏を付けてくれる。お母さんは英語の 童謡を歌ったと思うと、今度はキルギスの民謡を聞かせてくれる。ジュルディスは 最後まで恥ずかしがって歌わなかったが、ムフタールもアメリカ仕込みのポップスを 披露してくれた。

 そうこうしているうちに、僕らはバスターミナルに帰り着き、そしてタイミング 良く来たバスに揺られて家に帰った。帰りのバスの中で、山登り組みのお母さんと 僕は疲れて眠ってしまった。バスの中では音楽が流れていたのだが、僕らが コックリ、コックリするリズムが、まるっきり音楽に合っていて、それで ムフタールとジュルディスは終始僕らを笑っていたのだそうだ。

 家に帰り着き、一度軽い食事を取ったあとみんなで今日取ったばかりの デジタルカメラの映像をコンピュータを通して見たり、みんなのアルバムを 取り出してきて、小さいころの写真を見たりして団欒の時間を過ごした。 そして夕食はお父さんも帰ってきて、ウォッカを飲みながらおいしい料理を ご馳走になる。お母さんは「もうあなたはこの家の一員よ。またかならず ここに帰ってきてね」と言ってくれた。その一言がまたとてもうれしかった。

 実は夕食前に約束のお金を支払おうとした。一日5ドルの約束で、だから25ドル のはずだ。けれどもお母さんは「私はお金はいらないわ」と受け取ってくれない。 困っていると「ムフタールと話て決めなさい」と付け加える。そんな様子を見ていた ムフタールが「ううん、それじゃあ間をとって一日3ドルということにしようよ」と言ってくれた。 もうお金なんて関係無くなっていた。そんな関係を僕らは既に築いていた。 もう一つ家族が出来た。

 お父さんは相変わらず難しい英語で陽気に話し、お母さんはやさしい笑顔で見守ってくれている。 ムフタールとは気さくな話で盛り上がり、ジュルディスはいつものようにはにかんで いる。寝るのが惜しかった。明日なんて来ないでくれと思った。 時間を止めたいと本気で思った。