家族


 昨日お母さんは「明日はみんなで山に行きましょう」と張切っていた。最初の うちは「朝6時に起きて出発よ」などと言っていて、ムフタールと僕の抵抗に遭っていたのだ が、昨日の夜はお母さんとムフタールと それから僕の3人でなぜか12時過ぎまで話し込んでしまい、「やっぱり8時に起きて それから出発ね」などと計画を変更していた。ところが今朝は雨がシトシトと降っている。 だからこれでは山は無理だ。そこで結局みんなで起きだしたのは9時を回っていた。

 僕は当初の予定では明日出発する事になっている。けれどもお母さんはこういった。 「あなた何かこの後約束でもあるの?無いのなら明日もここに泊っていきなさい。 そうすれば明日みんなで山に行けるでしょ」と言ってくれる。とてもうれしい 申し出だった。旅にでて、いろいろと出会いを繰り返してきたが、「家族」を 感じる事が出来る出会いは初めてだった。そして、僕はそんな「家族」に飢えて いたこともあって、この家に滞在する事がとても心地よいものになっていたのだ。 本当は明日出発なんてしたくないと思っていた。だからお母さんの 申し出は本当にありがたい。そしてほとんど明日もここに 滞在するつもりになっていた。

 今日もムフタールと一日中一緒だった。雨の中僕らは歩きまくった。最初は また公園へと出かけて行く。この前の卓球の雪辱戦をしようと言うわけだ。 けれども残念ながら雨の公園の卓球場に人影は全く無く、今日は休業日なようだった。 近くの喫茶店も閉まっている。しょうがないので、僕らはまたてくてくと歩いて、 彼の大学の隣にあるカフェにいって一休みする事にした。

 ムフタールは大学では有名人だ。アメリカに留学したことで、ほとんどヒーロー 状態なのである。だからカフェにいても次々に知り合いが現れて、彼に挨拶して行く。 こちらでは、出会った時に必ず握手をする。それも、全員と握手する。つまり、 たとえばムフタールの知り合いがこちらにやってきたとして、彼はムフタールだけ でなく、僕にも握手を求めてくるのだ。友達の友達は皆友達という訳だ。だから 僕は今日はもう沢山の人達と握手をしなくてはならなかった。

 ムフタールの仲の良い友達が現れて、彼と伴に行動する事になった。彼の家は ビリヤード場を経営しているとのことで、そこに行くことにする。そしてこれが また遠い。3キロくらいは歩いたんじゃないだろうか。雨がほとんどやんでいたので まだマシだったが、そこに着くだけでもう僕はくたくたになってしまった。 ムフタールは健脚だ。

 こちらのビリヤードは日本の物に比べて格段に難しい。なにしろボールの大きさが 日本のものより大きいのにくらべ、穴の大きさが日本の物よりも小さいのだ。 日本のように適当にやっていりゃ偶然入るという代物ではない。かなり正確に 打たないと絶対にポケットに入れられないのだ。ルールはむしろ簡単で、何でもよいから 8つ先に入れた方が勝ちである。僕はムフタールとも、その友達とも勝負したのだが、 結果として両方とも負けてしまった。彼らが8つ入れる間に僕は5つか6つ入れるのが 精いっぱいだった。

 この友達によると、ここの近くに卓球場があるという。懲りない僕たちは、疲れた 体に鞭打って、卓球もすることにした。今度はこの友達には勝つことができた。 しかし、ムフタールにはまた僅差で敗れる。2セットとも21-19での敗戦だった。 けれども、勝負の勝ち負けは置いておいて、とても楽しい時間だった。

 帰りも家まで歩くんだろうかと大変心配していたのだが、さすがにムフタールも 疲れたらしく、バスで家まで帰ってくる。家に帰るとまた暖かいお母さんと お父さん、それにジュルディスが迎えてくれた。楽しく夕食を取る。今日は ロールキャベツのような料理で、それがまたとてもおいしい。それから 写真撮影大会だ。ここの家はアパートの一階と二階に部屋を持っていて、普段は ジュルディスとお父さんが上の部屋で、お母さんとムフタールが下の部屋で 寝ている。僕はいつも下の部屋にある居間のソファーベッドで寝ていた。 そして上の部屋の一室は、伝統的なキルギスルームになっていて、部屋中に たくさんのカーペットがかけられている。

 そのキルギスルームをつかって沢山の写真をとった。僕のカメラでも、お母さんの カメラでも沢山撮影した。その後はお父さんとずっと話をする。この国では 「女は男に従うもの」という考え方がかなり強く存在するのだということが わかった。そういえばムフタールと理想の女像を話している時も、彼はそんなことを 言っていた。実は彼らの長男のムラートは近々結婚する予定だ。日本人とだ。 彼がアメリカに留学した時に知り合ったのらしい。彼女は既にビシケクにやってきて 、彼と一緒に住んでいる。この両親の間でもその結婚については かなり複雑な印象をもって迎えられたようだ。そんなことが話の端々から うかがう事ができた。

 11時を回って、下に降りて行くとなんとお母さんの親戚が訪れていた。そして その時間からまた飯を食いはじめる。昨日も「キルギス人というのは腹が減ったら 飯を食うんだ」というムフタールの音頭によって11時半ころまた飯を食った。 今日も12時過ぎまで食卓を囲んでまた沢山の話をする。コムスという馬の 乳を飲んだ。とても酸っぱかったが、なかなかおいしかった。