やっぱりこの国は元社会主義国だったのだなあと思う。街のカフェやホテルの 人達はもう十分に資本主義的考えをもっているのだが、公務員となると 「効率」だとか「サービス」だとか「利用者本位」だとか「愛想」だとか そんなものは一切存在しないのだ。今日はそんなことをまざまざと 見せ付けられた一日だった。

 まずは外国人登録である。昨日のおばちゃんに教わった所にようやくたどり ついて、外国人登録をしたい旨を伝えると、茶パツの姉ちゃんにオウム返しに、 じゃあ銀行に行って50ソム(300円程度)払ってきてと言われてしまう。どこの銀行に 言ってどうやってその旨を伝えれば良いかを教えてくれるわけでもない。 なんとか下手にでて、銀行の地図をかいてもらい、「外国人登録に50ソム を払いたい」という旨のことを紙にかいてもらった。

 しかしまたこの銀行というのが結構遠い。1キロ弱はあったんじゃないだろうか。 しかもまた地図がいいかげんなので、辿り着くまでにまた相当時間がかかって しまった。そして銀行の行列に並ぶ。しかしここでもまた大変だ。5人ほどいた 行列は遅々として進まない。ようやく30分ほどして僕の番がくるのだが、 なんでもそこで伝票を購入(!)して、書き入れてからまたそこに提出しなくては ならないのだそうだ。ちなみに伝票代は5ソム(30円程度)くらいだった。 もちろんロシア語のわからない僕はそんな伝表を渡されても埋められるはずはない。 そこで親切なキルギス人に訳を話して代筆してもらう。(これは無料でやってくれた) それが終わって元の窓口にもどり、また伝票を提出すると、彼はなにやら 簡単な処理をして、今度は別の窓口に行けという。そしてその窓口に行ってようやく お金を払う事が出来た。さっきの伝票代はつまり銀行側の手数料みたいな ものだろうと思っていたのだが、ここでもしっかり別に5ソムほどの手数料を 取られてしまった。

 そしてまた一キロ弱の道を登録所目指して後戻りする。そこで支払い証明書を 見せると、今度は登録申請用紙なるものに記入させられ、ようやく登録が 終了という運びとなった。結局また2時間程度取られてしまった。

 その後はアルアルチャという近くの峡谷に行こうと思っていた。自然が美しい ところで、結構お勧めならしい。「先生」も勧めてくれていた。タクシーで行くのが 良いのだそうだ。その相場も教えてもらっていた。ところが タクシーにアルアルチャに行きたいと言っても皆「そんな遠いところには行けないな」と 断られてしまう。10台くらいねばっただろうか。これで駄目ならあきらめようと 思っていたタクシーのおじちゃんがようやくOKしてくれた。アルアルチャまでは 片道1時間程の距離である。300ソム(15ドルくらい)でお願いした。

 


運転手とアルアルチャ
 

 ところでこのアルアルチャ。景色は確かに綺麗だし、自然もいっぱいだし、すがすが しいのは事実なのだが、相当な高所にあるらしい。車一台45ソム、一人15ソム の計75ソムも払って入域したわりには、軽い高山病でバテテしまって、 ほんの1時間程度しか滞在できなかった。軽く歩いただけで目眩がして、息が切れる。 それに景色はどちらかというと、アルマティーでバネッサと湖を目指した時の 方が僕の好みだ。そんなわけで、アルアルチャはどちらかというと不発の内に、 僕は早早に街に引き返してきた。

 遅い昼飯を食ったあとは今度はカザフスタン大使館に行った。実はビョンジュが 僕の誕生日を祝ってやるから是非ともその日はアルマティーに帰ってこいと再三 言ってくれていたのだ。けれども僕としてはアルマティーにはもうさんざん長く いたし、イシク・クル湖に興味があったので、その日、6月4日はのんびりと 湖畔で過ごすつもりでいた。それに僕の持っているカザフスタンビザは6月4日で 切れてしまうので、その日カザフに滞在するのは、不法滞在でもしない限り不可能 だ。ところが、昨日、同室の二人からイシク・クル湖の事件をしり、 イシク・クル行きに不安を感じはじめていた。だからもしビザの問題が 解決すれば、アルマティーで日本食でも食べながらビョンジュと盛り上がるのも 悪くないなあと思いはじめていた。

 だから、大使館に情報を仕入に行ったのだ。ところが、今日はビザセクションは お休みなのだそうである。入り口でガードマンに6月4日に来いと冷たくあしらわれた。 彼は英語がしゃべれないので、ぼくが何をしたいのか良くわかっていない。そこで 何でも良いから英語をしゃべる人と話させて欲しいと粘ってみる。そうすると 10分ほど後に閉まっているはずのビザセクションに通される。大使館員は 今日は営業日じゃないから、4日に来てくれと言って僕の質問をきいてくれようとも しない。けれども僕は相手が聞こうと聞かまいと、自分は既にカザフスタンビザを 持っているということ、けれどもそれは6月4日で終わってしまうという事。 その日は僕の誕生日で、カザフスタン人が(本当は韓国人なのでちょっと嘘をついて しまった)僕の誕生日を祝ってくれると言っているので、是非ともその日は アルマティーに居たいということ。ついては三日だけでもよいから滞在を伸ばせないか ということを早口で捲し立てた。

 そうすると途中から僕の話を真剣にきいてくれ始めた係員が僕のパスポートを 見て、誕生日が本当に6月4日だという事実を確認してから、3日でいいんだな と言ってくる。なんとか彼は僕のペースに乗ってきたようだ。3日というのには 訳がある。というのは3日だったらトランジットビザという手があるのだ。だから 僕は3日滞在したいと言い、かれは「3日でいいんだな」と言ったのだ。10ドル の手数料(これはビザ代ではない。日本人はビザ代は無料。この手数料は 事務手数料で賄賂では無くて正規のもの。正規の領収書ももらった)を払って、 15分後にピンク色のトランジットビザを手に入れることが出来た。大使館員は 最後までムスっとはしていたが、それでもきちんと処理してくれたことには 感謝せねばならない。はっきりいって僕は大変迷惑な客だったのだから。

 とにかくビザはそろった。これで、アルマティーにはいけそうだ。帰りがけに ガードマンにチップを請求されたが、彼が取り計らってくれて本来休業中の ビザセクションに入れてくれたのだから、これは良しとしよう。10ソム払ったら 100くれと言ってきたが、結局10しかあげなかった。

 さて、社会主義体験第二段である。それは電話だ。ビザを取った僕はビョンジュに 電話して4日にアルマティーに戻る旨を伝える必要があった。アルマティーの泊って いたホテルからは、受け付けからであれば国際電話にあたるビシケクに電話が 出来たので、当然ここでもそれは可能だろうと思っていた。が、そうではなかった。 電話局まで出向いていって電話しなくてはならないのだそうだ。たった300キロ 程度の距離なのに、それでも電話局まで行かなくてはならないのだ。

 電話局はまた長蛇の列だった。順番が来るまでにまた30分程度またされる。 ここでのシステムはこうだ。まず行列にならび、自分の順番が来たら適当に デポジット(10~100ソムくらい)を払う。それと引き換えにカードを 渡される。そのカードには電話ボックスの番号が書いてあって、そこに入り 最初に8をダイヤル。発信音が変わったら、国番号と電話番号を回し、 相手につながったところで、3をダイヤルする。話しおわったらまた受け付け に戻り、カードを返す。そうすると料金を計算して差額を返してくれるか、 あるいは不足分を請求される。 

 僕はラッキーなことに、前に並んでいたパキスタンから来た医学部生に助けて もらったので、大丈夫だったが、そうでなければきっと電話できなかっただろう。 つながったあとに3をダイヤルしなくてはいけないなんて、普通わからない。 ビョンジュは幸い在宅していて、だからすんなり話が通じた。 彼によると彼はこの昨日、一昨日とビシケクに来ていたらしい。そして 彼が推薦してくれていたホテルに僕が居るだろうと思い、訪ねて来てくれた らしいのだ。けれども僕は別のホテルにいたので会うことができなかった。 それは、残念ではあったが、4日にはもう一度再会出来るということが わかり、お互いとても喜んだ。

 電話が終わった後は、そのパキスタンから来た医学部生と一緒にビールを 飲んで、食事もした。彼はイスラム教徒なので、酒を飲んでも大丈夫なのかと 聞いたのだが、彼は現在この国に住んでいるので問題無いとの事。なんだか 良くわからない論理だったが、結局1時間くらい彼といろいろな会話を楽しんだ。 イスラム教徒にとって、酒・たばこについてはある程度許容されているのだ そうだが、豚肉だけはどんなことがあっても絶対に食べないのだそうだ。

 さて、ホテルにもどるとロシア系のおじちゃんは既に去っていた。そして キルギス兄ちゃんはウォッカで相当酔っ払っている。そういえばこいつは 4時過ぎからウォッカを飲みはじめていた。その辺にウォッカの空き瓶が 4~5本転がっている。彼はロレツの回らない口調で、なにかを言っている。 体を洗うジェスチャーをしているところから、サウナに行こうと言っている ようなのだ。確かにここではお湯が出ないので、大変困っていることは 事実だ。ドスティックホテルのサウナはとても高くて行けなかったが、 この酔っ払い兄ちゃんが行くと言うのだから、そんなに高くないサウナも あるに違いない。そう思い、彼に付いてサウナに言ってみる事にした。

 


酔っ払った顔

無理して普通を装う顔


 タクシーで到着したところはなるほど結構大規模なサウナだった。 この酔っ払い兄ちゃんの訳のわからない説得により、僕らはなぜか ただで中に入れてしまう。手前の部屋が洗い場兼シャワールームで その奥がサウナになっている。ここには湯船は無い。サウナであったまった 後、体や頭を洗ったのだが、サウナの中には葉っぱを束ねたようなもの が置いてあって、それを使って体を軽くたたくというのがここの特徴だった。 それから面白かったのはここに来ている人達の客層だ。ロシア系住民は 一人もいない。皆キルギス系なのだ。あたりは 見事に黒い髪の男達だけで埋まっていた。

 お湯が出ないのは町中なので、ロシア系だろうとなんだろうと、皆 風呂には困っているはずだ。この街のお湯は街の「お湯工場」から 流れてくる仕組みになっていて、一年に一度、一ヶ月ほど工場の清掃・点検 のためにお湯の供給が停止するのだそうである。そして僕は その清掃・点検期間に運悪くやってきてしまったわけだ。 キルギス系しかいなかった理由は良く分からない。何だかんだいって、 人種的問題が根強く存在するのかもしれないし、あるいは「アジア系民族は 世界で一番清潔な民族」と呼ばれているように、キルギス人が風呂好きなのに たいして、ロシア系はそれほど風呂が好きではないということなのかも しれない。もちろん僕が行った時間がたまたまそうだっただけかもしれないのだ。

 久々の熱水に満足して、この酔っ払い兄ちゃんにまたウォッカを飲まされて、 それで僕らはようやく宿に戻ってきた。彼は相当酔っ払っていたらしく、 ホテルに帰ってくるなりあっという間にダウンしていた。