あ、ここはやっぱりアジアだ。今日一日この街を歩いてそう感じた。それは 人だ。器は旧ソ連時代の共産主義的な巨大建築や、特徴の無い古びたアパートの 世界なのだが、暮らしている人々は間違いなくアジアの香りがする。 カザフ人よりも更に日本人に近い、そんな顔を持つ民族、それがキルギス人だった。 そして、この街にはロシア人よりもむしろそんなキルギス人の方が目に付く。 何ども、日本人と勘違いして日本語で話し掛けそうになった。そんなところだった。

 今日は最初にフルンゼ博物館に行ってみた。宿から歩いて200メートル程のとこにある 博物館だ。フルンゼさんというのは、キルギス出身の将校の名前なのだそうだ。 ソ連時代にはこの街の名前はフルンゼだった。つまりそれほどの人物だったのだろう。 この街の名前が独立後元のビシケクに戻ったということから、実際に市民に 本当に支持されていた人かどうかは別として、街の真ん中に大きなフルンゼ博物館は 今でも存在する。その前の通りは今でもフルンゼ通りだ。

 ところでこの博物館。ロシア語のわからない僕にはさっぱり何がなんだかわからなかった。 フルンゼの生涯と伴に、いかにこの国がソビエト連邦に組み込まれそして社会主義化 していったことが語られているのはなんとなくわかったが、細かいところまでの 理解ができない。ちょっとくやしかった。

 この博物館でもっとおもしろかったのは、一階のロビーだ。なんとこのロビーは ゲームセンターになっている。ゲームセンターといっても日本のゲームセンターの 様なものではない。テレビが4台おいてあって、プレイステーションが 接続されているのだ。そして近くに沢山のソフトが陳列して在って、1時間10ソム (60円くらい)で使わせてくれる。テレビの上にはご丁寧にプレイステーションの 空き箱まで置いてある。そこにはしっかり「商業目的の使用は厳禁します」と 英語で書いてあるのだが、ロシア語圏のこの世界でははっきりいって無意味な表示だ。 僕も車のゲームと閣闘技ゲームをあわせて1時間ほどやって遊んでしまった。

 食事をしに、ツム百貨店のあたりの広場に出かけていった。ここまで行けば 屋台がたくさんある。最初は僕がウイグルスパゲティーと名付けていた「ラグマン」を 頼んでみるのだが、残念ながらここにはラグマンは無く、その代わり「何とかかんとか」 という麺ならあるという。じゃあそれをと思い頼んでみたのだが、これは見事に失敗だった。 その麺は「冷やしウイグルスパゲティー」とでも言うべきもので、どうも麺が固く、 味が良くない。どうしても全部食べられなくて、残してしまった。お腹はまだ 空いていたので、その後ホットドックとドネル・ハンバーガーを食べて腹を満たした。 こちらの方は安全牌なので、きちんと全部食べる事ができた。

 さて、今度は歴史博物館に行こうと思い歩いていたのだが、ふと映画館が目につく。 切符を買っている若いカップルがいたので、きっとこれから何か映画がはじまるのだろう と思い僕も切符を買ってみる。8ソム(50円くらい)だ。彼らに付いて中に 入ってみるが、ここは沢山の映画館が同居しているタイプらしく、あっという間に彼らを 見失ってしまう。適当に二階に上がって小さな劇場のカーテンをめくってみてびっくり。 なんとスクリーンではほとんど裸の女が踊っているではないか。おもわず吸い込まれてしまい 中に入ってみるが、結局それは質の悪いブルーフィルムだった。日本のアダルトビデオ に比べると数段質がおちる。それでも最後までしっかり見てしまうところが、僕の 情けないところなのだが、なんだかとにかく理由も無く、女を脱ぎ、そして 最後にようやくカラミのシーンがあるというものだった。カラミのシーンといっても あっさりしたもので、普通の映画のそんなシーンがちょっと長くなった程度のものだ。 そのシーンになると画像全体が青っぽくなり、なるほどだからブルーフィルムなのか と合点した(違うかもしれないけど)。

 映画よりも、観客の方が面白かった。もちろん客は男ばかりで、(でも一組だけ カップルがいた)みな一つ席の間隔をあけて座っている。驚いたのは一つ前の 席の男が4歳くらいの子供を連れて映画を見ていた事だ。普通のシーンでは 退屈そうにしていた子供が、キワドイシーンになるとしっかりと画面に集中して いたのには笑った。そういうシーンになると(といっても日本のものに比べると たいした物でもない)僕の後ろに座っていた男も身を乗り出してくる。観客は おじいちゃんもいたが、だいたいは20代の男で占められていた。ちなみにこの 映画はアメリカ物だった。

 さて、映画が終わり、また何気なく他の劇場をのぞいてみる。するとそこでは 「ロミオとジュリエット」が放映されていた。劇場に入る時に見た若いカップルも ここにいる。なるほど、彼らはこれを見に来ていたのか。ところでこちらの劇場は 1500人ほど入りそうな大きな劇場だったのだが、観客はたったの3人で、 先ほどのブルーフィルムは会場は50人程度しか入らない小さな劇場だったのだが、 客は30人程度入っていた。結局どこの国もそんなもんなのだ。 このロミオとジュリエットは吹き替え版で、更にその吹き替えの質があまりにも 悪い(なんと吹き替えの人は男の声一人、女の声一人しかいない)ので、10分ほど 見てすぐに劇場を後にした。

 今度は歴史博物館だ。これはレーニンの像のすぐ後ろにある、この国でも 目玉と言うべき博物館であろう。なんだかとにかくごちゃごちゃといろいろなものが 飾ってある。入り口正面には大階段があるのだが、そこではカーペット市が開かれて いた。手織りのカーペットの展示即売会という感じだ。フルンゼ博物館のゲームと いい、歴史博物館のカーペット即売会といい、この国では博物館の利用のしかたが なかなかユニークだ。

 


歴史博物館


 ここで面白かったのは、カザフの時と同じように各国からの贈り物コーナーだった。日本からは お雛様や5円玉でつくった鶴と亀の絵などが飾られていた。そのほかにも他にも なぜか大阪城博物館のパンフレットが丁寧に陳列されていたり、この国の偉い人であろう 女性が着物を着て笑っている写真などが飾ってあった。その他の国の贈り物で 驚いたのはトルコの贈り物だ。なんと彼らの贈り物は「ピストル」なのである。 感覚の違いなのだろうが、贈り物にそんな「武器」を送るのは常識外れのような気が する。

 また街をふらつく。あてもなくさまよう。他のホテルの情報も知りたかったので、 いくつかのホテルに飛び込んで値段などを聞いてみたりもした。最初に入った ビシケクホテルは、外国人がツインで75ドルも取るのに対し、現地人はたったの 350ソム(18ドルくらい)とあまりにもあからさまに差が付いているのには 開いた口がふさがらなかった。 次に行ってみたドスティックホテルは、外見からもそこがとても高級ホテルだと 分かるようなもので、いちおう値段を聞いてみたら朝食付きで79ドルだという。 どうせ同じ金を出すのなら、絶対にこっちの方がよさそうだ。

 


ビシケクの駅


 ところで、僕の泊っているホテルにはお湯が出ない。それが一番のネックだった。 そしてこのドスティックホテルの案内を見ると、ここにはサウナがあるという。 きっと宿泊客以外でも入れてくれるに違いないと信じて、サウナのある地下に 行ってみた。ところが地下は暗い倉庫のようなところで、そのサウナとやらが 見つからず、適当にその辺に歩いていた少年に声をかけてみた。すると意外にも 彼は英語を理解する。結局、サウナは一時間260ソム(13ドルくらい)と 思っていたよりもずっと高かったので、入るのはあきらめる事にした。そして ホテルを後にしようとしたところ、その少年が上でミーティングをやっているから 一緒に付いてこないかと言う。どうせ時間もある事だし、彼に促されるままに 階段を上がった。
 


勝利広場とその向こうにドストィックホテル


 そこではみんなが歌を歌っている。真ん中に一人女性がたって、歌を先導し、 輪唱している。「あ、宗教だ」僕は部屋に入るなり瞬間的にそう思った。みんな の目をみていてそう直感した。果たして僕の予感は的中し、その後インドから 来たという女性に英語で説明してもらったところによると、これは「バハイ」という 宗教の定例ミーティングなのだそうだ。役員選出の会議が別室で行われていて、 その間に残った人達が歌を歌ったりして待っているのだそうだ。

 僕以外にも紛れ込んだ人が一人いて、彼がスピーチをさせられていた。当然 その後に僕もスピーチをさせられる。僕は最初から宗教を否定はしない。旅に出てから 宗教に触れる機会もたくさんあったし、それにそんな質問を受ける事も沢山あった。 多くの日本人は自分たちが無宗教だと思っているが、この旅の間に実はそれは 違うのではないかと思いはじめた。そして「あなたの宗教はなんですか?」と聞かれるたびに 僕はいつもこう答えている。「神道です」と

 実はだからと言って僕は「神道」について詳しい知識を持っているわけではない。 天皇関係と絡んでくるといろいろややこしいことになるのだが、それを一端 脇に置いておいて、僕は気が付くと「神道」的な行事を子供のころからこなして 来ている。たとえば初詣。大抵僕は毎年正月には神社にお参りに行っている。 それはほとんど高校時代の友達に会うためと行った方が正しいのだが、それでも きちんとお賽銭を投げ入れて、お参りをして、お神酒を飲んで、おみくじを引く。 そうしないと、なんとなく落着かない。 これは、ようはイスラムの人が毎週金曜日にモスクに行くのだとか、キリスト教の 人が毎週日曜日に教会に行くのとまったく同じ事だと思う。ただ単に神道の場合 それが年に一回だけだということだ。

 それに、お祭りだ。子供のころは年に一回かならずはっぴを来て御輿を担いでいたし、 旅に出てくる前も一度地域のお祭りに参加した。これも元をただせば神道の行事 そのものではないか。仏教的なことに関してはあまりそういう行事関係を体験した ことが無いが、神道関係はいつのまにか体に染みついている。(盆おどりや お墓参りも神道と関係あるのだろうか?この辺はよくわからない) そしてそれがきっと 宗教だと思うのだ。神道にはイスラムやキリストの様に(たぶん) しっかりとした経典も 戒律もないし、特に熱心に布教活動をしている訳でもなく、更に仏教と 混同されがちなので わかりにくいのだが、実はそれもそれで宗教と呼んで良いものなのだ という気がする。

 けれども、僕は宗教を人に押し付けるという姿勢は大嫌いだ。そしてこのバハイ にはそんなところがチラホラ見受けられた。「世界は一つ、人間は一つ。そう 信じる心があれば、あなたも今日からバハイよ。さあ一緒に歌いましょう。 ラララララー」「もしあなたに時間があるなら、バハイセンターに来てみない。 とても楽しいわよ」などという言葉を何度か浴びせあられる。もちろんきっぱりと 断り、5分ほどでその場を後にした。どうもあの目がダメだった。 無垢で親切心に溢れた目をしているのだが、と同時になにか狂信的なのだ。

 適当に夕食を取り部屋に帰ってくる。今日もまた一人だろうと思っていたら 10時ころロシア系の40才のキルギス人がやってきた。彼と会話を試みようと したのだが、お互い言葉が全く通じず、すぐに断念せざるを得なかった。 彼は疲れていたのかあっという間にベッドに入ってしまい、うるさいイビキをかきはじめた。