またタラスだ。また警察だ。もううんざりだ。

できればこの街には帰ってきたくなかった。 さっさと通過して欲しかった。けれども悪い事にバスは昼食休憩をよりによって この街でとった。9時半にチムケントを出たバスは同じ道を引き返し、そして ちょうど12時過ぎにこの街のバスターミナルに到着したのだ。40分停車する という。

 本来ならアルマティ~ビシケク~チムケント~タシケントと抜けて行くのが 大抵の旅人のとるコースになるのだが、カザフスタンビザが6月4日まででウズベキスタンビザが 6月13日からという間抜けな状態になってしまい、その空白期間はキルギスタン に滞在しなくてはならなく、だからこうして僕はもと来た道を引き返している。 来た時のようにタラスで乗り換えなんてことになったら最悪なので、アルマンにも このバスが直通でビシケクまで行くことを何度も確認していた。ところが昼食 休憩という落とし穴があった。

 僕はとにかく出来るだけ目立たないように行動していた。建物の影で昼食を とり、バスのドアが開いた瞬間にバスに乗り込んで小さくなる。また警察に 見つかったらやっかいだ。何もやましい事はないのだが、何しろ相手は警察では なくて盗賊なのだから始末が悪い。ところが見事に見つかった。前と同じ警察官だったら まだマシだったのだが、今回は別の警察官である。出発10分前にも関わらず、 また例の小部屋に連れて行かれてしまう。今回は僕は端から彼らを疑ってかかった。 例によって彼らはロクにパスポートなどチェックせずに、持ち物検査にしか 興味が無い。今回は「拳銃をもっていないか」だった。

 今回はとにかく相手に何も触らせない作戦に出た。鞄の中身を全部出すが、絶対に 相手に触らせない。ウエストポーチの中も調べられたが、とにかく相手に見せるだけ 見せるが、絶対に触らせなかった。それでも僕のもっているミニテトリスや、 懐中電灯を見つけては「これをくれないか」とねだってくる。キャッシュベルトは 見せなくてよかったが、他のところに入っているTCを彼らは目ざとく見つけて、 それを出せという。TCを見て「これは日本のお金か」などと間抜けな事を言っていたが、 面倒くさいので「そうだよ」と言っておいた。すると透かしが入っているかチェックする といって、TCを奪おうとするので、僕はそれを拒絶し、 一枚取り出して相手の額の高さに掲げて 見せた。僕のあまりの用心深さに彼らも音を上げたのだろう。結局彼らは 「わかった、わかったもう良いよ」といって僕を開放してくれたが、あまり 気持ちの良いものではなかった。相手は手を触れてはいないのだが、それでも なにか盗まれたんじゃないかと気が気ではなかった。タラスは最悪だ。

 バスは来た時のカザフスタンの赤いバスではなくて、キルギスの紫のバスだった。 こちらの方がハイデッカーだし、新しいし、静かだし、とにかく心地よかった。 隣に抱きかかえられて座っていた2歳くらいの子供が、何の前触れも無く いきなりゲロを吐くだとか 、途中のバス停で酔っ払いが珍入してきて、彼を追い出すのに一時バスの中が 騒然となっただとかというハプニングは在ったにはあったが、基本的にそれ以外は 順調な旅だった。そして特にパスポートコントロールも何も無い形だけの 国境を越えて、僕はついにキルギスに入国した。(この国の正式名称はキルギスタンでは なくてキルギスだった)

 とは言っても、キルギスに入ったからと言って何かが激変するわけでもなかった。 強いて言えば、僕が勝手に「キルギス帽」と名付けている白い背の高い帽子を かぶっている人をちらほら見つけることくらいだ。それからキルギスに入ってから 乗ってきた乗客は、お金をテンゲではなくこの国の通貨ソムで払っている事 くらいだろうか。景色はそれ程代わり映えしない中、僕は5時過ぎにようやく 首都ビシケクのバスターミナルに降り立った。ちなみに、バスの中で知ったのだが、 カザフスタンとキルギスの間には時差が1時間存在するようだ。だから カザフ時間では5時半なのだが、今キルギスでは4時半ということになる。

 そこからタクシーを使って、ホテルに行こうと思っていた。アルマティーで 知り合った韓国人ビョンジュが一軒ホテルを紹介してくれていた。4ドルほどで 僕がアルマティで泊っていたホテルよりもかなり良いというのだ。バネッサが 持っていたロンリープラネットによると、ビシケクには1ドル程度から安宿が 山のように存在するのらしい。だから4ドルといえばかなりの設備になるのだろう。 そう思い、僕は彼の推薦してくれた「International School of Management and Buisiness」 というどう考えても学校のような名前の宿に行こうと思っていたのだ。

 ところが、またタクシーを捕まえるのにも苦労する。バスターミナルや駅に タムロしているタクシーはボッタクリの常習犯であるというはどの街でも 決まっている。まだ土地鑑を把握していない旅人から、通常以上の料金を とるのはたやすいのだ。だから僕はいつも出来るだけそのような場所か ら少し歩いてから流しのタクシーを拾うように心がけていた。今日も200メートル ほど歩いてから、やってくる車に手をあげる。カザフのタクシーは皆、白タクで 手さえあげれば1分もしないうちに停まってくれていたので、今日もそんなお気楽 なノリで手をあげていた。ところがこれがまたなかなか停まってくれない。 ようやく停まってくれてもとんでもない高い金額を請求してくる。

 実は僕はこの国の通貨を持っていない。勝手にテンゲも通用するさとタカを括って いたのだが、テンゲはだめなのだそうだ。仕方ないのでドルでの交渉をするが、 そうなるとかなり不利になってしまう。3台目に停まってくれた タクシーとようやく交渉が成立して、晴れて僕は街の中に入る事が出来た。 タクシーに乗る時にたまたま通りかかった警官に尋問を受けるというハプニングも あったが、ビザをしっかり持っている僕は特に問題無くすぐに開放された。

 ところで、到着した宿のあたりに着いてびっくり。ビョンジュは「そこは 街のど真ん中にある」と言っていたので、まわりはそれなりの都会だろうと 想像していたのに、そこはまるで郊外の住宅地という感じなのだ。車通りも 少なく、文字どおり閑散としている。重い荷物を背負ってとにかくホテルにはいり 念のため値段を聞いた。そしてその値段を聞いてまたびっくり。一泊350ソム、 18ドル近くもするではないか。なにが4ドルだ。しかも部屋を見せてもらって これまたびっくり。アルマティで僕が泊っていた部屋よりも数段質が落ちる。

 これではちょっとひどすぎるので、他をあたる事にした。なにしろバネッサの 持っていたロンリープラネットによるとこの街には1ドルからの安宿が どっさりのはずなのだ。ところがまたあてが外れる。街は本当に静かで、 何も無い。町全体が公園のようでホテルらしき建物なんてどこにも見当たら ないではないか。それでも適当に入れそうな建物があれば勝手に入っていき、 人を見つけては「ジショーバヤ、ゲスティニッツア(安宿)」と叫んでみた。 そしてようやく一泊90ソム、4.5ドルの安宿に落ち着く事が出来た。3人用の ドミトリーだが、ベッドも綺麗でバストイレ付きだ。お湯が出ないのが難点 だったが、4.5ドルならこんなもんだろう。本当はシングルルームもあり、 宿の人はそちらを勧めてくれ、僕もそこに泊ろうと思っていたのだが、 蓋を開けてみると「今日なら良いが、明日からは予約で一杯」と言われてしまい、 だからドミトリーにした。といっても僕以外誰もいない。

 さて、荷物を置くと即両替えである。ここは本格的にソムの世界で、ソムを 全く持っていない僕は何もできない。親切な宿のおばちゃんは、銀行に電話して みてくれたが、さすがに土曜日のこの時間ではやっていないようだ。僕が じゃあ街をふらついてみて、適当なところで両替えするよというと、おばちゃんは 「お金はあまり持ち歩いちゃいけないよ。大金を持っているとピストルでズドン だよ」と脅かしてくれる。こんな開店休業状態の首都でも、危険なのだろうか。 それともこんなに閑散としているからこそ逆に危険なのだろうか。釈然としないまま に、それでも街を歩いてみる事にした。

 とにかく華やかな所を目指して歩いてみる。ホテルのすぐ側は公園になっていて その公園ではとても両替えが出来そうに無かったのだ。遠くにバスが走っているのが 見えたので、そちらの方に歩いていってみた。そしてそれからしばらくして ようやく人が何人か居る場所にでた。両替所は閉まっているのがほとんどだったが、 偶然にも一軒、ツム百貨店の先にある宝石屋の中の両替所を見つけ、1ドル20.2ソム のレートで交換する。これでようやく落ち着いた。喉がからからでお腹がペコペコだったので、 早速近くのカフェに入って休息を取った。そこはトルコ系の店で、ドネル・カバブという 羊の肉を薄く切ったものをご飯にかけて食べるというなかなかおいしい料理に ありついた。

 


まだあるレーニン像


 その後も街をしばらく歩いてみる。他の共和国ではとっくに取り払われた レーニン像がまだあるのに少し驚きながら、ホテルに戻ってくる。本当に 静かな首都だった。