「ソビエト時代と、独立した後とどちらが良い暮らしだと思う?」

 こんな質問を思い切ってアルマンに投げかけてみた。そうすると、アルマンは 慎重に言葉を選びながらこう答えてくれた。「僕は大学でガラス技師になるための 勉強をしていたんだ。でも、カザフスタンにはガラス工場がないんだよ。ウズベキスタン やロシアにはガラス工場が在るのに、ここにはないんだ。だからこの国で生活 して行こうと思ったら、他の職に就くしかないんだよ。僕は叔父さんのところで 働いているんだけど、月々の給料はたったの30ドルなんだ。これはいかに この国でも生活するには大変な金額で、だから僕は恥ずかしいけれども毎週の ように実家に帰って両親からお金をもらって生活しているんだ。ソビエト時代 だったら、こんなことは考えられなかっただろうね。住むところだって、 職業だって、全く苦労しなかったはずさ。」

 「けれども、僕はそんな犠牲を払ってでも独立して良かったと思っている。 知ってるかい、ロシア時代には政府は僕らにはカザフスタンの言葉も、歴史も、文化も、 一切合切カザフスタンに関する事を教育することを禁じていたんだ。 だから僕も今ではカザフ語をほとんど話せないし、文字も読めないし書けない。 カザフの歴史も文化もよくわからない。それはカザフ人としてはとても 辛いことなんだ。もちろんそういう関係の出版物も一切発行されなかった。 けれども独立国になってから、僕らはようやくもう一度民族の誇りを取り戻す ことが出来たんだ。今では学校では半分くらいはカザフ語が使われているし、 もちろん歴史だって、文化だって学べる。テレビだって4割くらいは カザフ語の番組になった。ようやくカザフスタンは「カザフスタン」に なったんだ。それはソ連時代には考えられない事だったんだよ」

 この言葉は僕にとても大きく響いた。そして同時にこの国に入ってから ずっと考えていた事に答えが出たような気がする。

 よく、中国の他民族支配を批判する声を聞く。けれども旧ソ連と比べると 中国は少数民族に対してとても寛容なのだという事が分かった。ナギズと 中国語で筆談をしている時にたまに困る事があった。その度にナギズは照れ笑い を浮かべながらこう言った。「僕の母国語はカザフ語だから、中国語の読み書きは 苦手なんだ」彼はカザフ語で教育され、カザフスタンの文化を学び、カザフスタンの 歴史も学んでいる。同時期に本国ではその教育が厳しく禁止され、そして 彼らのアイデンティティーが失われつつあったなか、中国に住んでいたカザフ民族 であるナギズは当り前のようにカザフスタンを学んでいたのだ。別れの時に 書いてくれた手紙も、アラビア語で書いてあった。「ノリが読めないのは申し訳ない けれど、こっちのほうが僕の気持ちがとてもストレートに伝わるんだ」彼は そういってその手紙を渡してくれた。

 生活スタイルにしたってそうだ。定住化政策が強いられ本来の遊牧民としての 生活風習が奪われてしまった本国のカザフスタン人に対して、中国のカザフスタン 民族は昔ながらの生活を続けている。確かにカザフスタン語で教育を受けている 彼らが、国の上層部に辿り着くのはほぼ不可能に近い。普通語と呼ばれるいわゆる 中国語が話せないと、大学に行くのさえむずかしい。残念ながらカザフスタン民族 だけのための大学は存在しないようだ。けれどもと同時に彼らは民族としての アイデンティティーを保ち続けることができている。中国でよく言われている一人っ子 政策にしてもこれは都市に住む漢民族にのみ適用されるもので、少数民族には適用 されていない。だからカシュガルでも天池でも、僕は沢山の「兄弟」達を見てきた。

 確かに、中国に住む少数民族の言うように、彼らは搾取されているのかもしれない。 けれども少なくとも彼らは民族としての誇りを、風習を、生活を奪われてはいない。 漢民族と交わりなく生きることによって、純血を保っているのだ。

 そしてソビエトはそれと正反対のことをやった。徹底的なロシア化だ。 歴史も、文化も、言葉も奪い、ロシア人のように生きることを強制したのだ。 街もロシア風にすべて模様替えしてしまった。そして、自国の言葉を満足に 話せない子供たちを大量生産していったのだ。大量のロシア人もこの地に やってきた。それによってますますロシア化も加速する。

 崩壊後のこの国は再びカザフスタン化の道を歩みはじめたばかりだ。 中国に逃げていたカザフスタン人も本国に帰国しはじめている。けれども 問題は山積みだ。既に人口の多くの部分をロシア人が占めている。 今はまだ良いが、これからはロシア人にとってこの国はどんどんと住み難い 国になって行く事だろう。そもそも彼らは自分を「カザフスタン人」だなどと 全く思っていない。或る時話をしたロシア系カザフスタン人はこういった。 「僕はカザフスタン人じゃないよ。パスポートはカザフスタンだけどロシア人だよ。 将来はロシアに帰るんだ」と。

 韓国系カザフスタン人のキムさんと話した時も同様のことを感じた。 僕が何気なく「カザフスタン語は話せるの」と聞くととても嫌な顔をして 首を横に振ったのだ。「私はカザフスタン人じゃないわ。ロシア語ならまだ いいけれど、韓国系カザフスタン人の中ではカザフスタン語は嫌われているのよ」 と彼女は言った。彼女は大学で韓国語を学び今ソウルへの留学を考慮中だ。 つまり彼女将来の目は韓国に向いているのである。

 アルマンに連れられて、彼の友人の家に遊びに行った。そこには生後9ヶ月 の乳飲み子が無邪気に笑ってた。彼は正真正銘のカザフスタン人だ。彼が 大人になるころ、この国は一体どんな形になっているのだろうか。彼の 純真無垢な姿を見て、そう思わずにはいられなかった。

 


無邪気な笑顔がいい