出だしは順調だった。5時半に起床し、6時にはホテルを出た。あたりはまだ 暗闇で、遠くから散水車がゆっくりとこちらにやってくるのが見える。心配した タクシーも、しばらく歩いたアバイ通りからはあっさりつかまり、ビョンジュの アドバイス通り200テンゲでバスターミナルまで連れていってもらった。 バスはほぼ時間通りに出発し、朝日を反射して赤く染まった山並みを拝みながら、 いよいよアルマトイに別れを告げる。今日はのどかな一日になりそうだ。 その時はそう思っていた。
 


朝日を反射する山並み


 バスはいくつかのバスターミナルに停車し、あるいは道端で手を挙げている人を 拾いながら緑の草原を駆け抜けて行く。途中キルギスタンに入国し、首都ビシュケク に停車し、さらにまたカザフスタンに入国したのだが、国境らしきゲートはあるものの、 パスポートコントロールなど一切なく、あっけない国境だった。
 


まっすぐな道
 

赤い花が咲き乱れる


 ところが5時過ぎに、あと200キロ弱でチムケントに到着すると言う時に 事件は起った。何故かタラスという街のバスターミナルで乗客が全員降りてしまう。 運転手に 聞くとこのバスはここでおしまいで、ここからバスを乗り換えなくてはならない のだそうだ。別にそれは良い。けれども問題は警察だった。バスを降りるなり 暇そうな警察官がパスポートを見せろと言う。嫌な予感がした。と言うのは 先日日本大使館に訪れた時も、それからビョンジュにも警察官には注意するようにと 言われていたのだ。僕はパスポートを渡す前にすかさずその警察官に向って 「貴方の身分証明所を見せてください」と言った。彼は苦笑いしながら、簡単に 証明書を見せてくれた。質が悪いのはアルマトイだけで、案外こんな田舎の 警察はしっかりしているのだろうか。

 実は僕には弱点があった。それは外国人登録だ。旧ソ連ではその国に到着してから 72時間以内にレジストレーションと呼ばれる外国人登録をしなくてはいけない ことになっている。ところが、カンテングリ(旅行会社) の人の話によると、陸路で国境を 抜ける場合は特にチェックなどないから、登録をする必要はないということなので、 だから僕も登録はしていない。この点をつかれたらきっと罰金あるいは賄賂を 支払わなくてはならないかもしれない。

 そう思いつつ、彼らに促されるままに部屋に通される。部屋には僕を連行した 警察官を含めて全部で3人のいかつい男達がいた。しかし心配した パスポートはビザ欄を簡単に チェックしただけであっさりと返却された。ちょっと拍子抜けだ。これで 外国人登録問題は解決されたわけだ。ところがその後がまた大変だった。 彼らは「ヘロイン、ヘロイン」などと言って僕の身体検査を要求してくる。 やましい事は何も無い僕はポケットのものを全部だした。彼らは 持ち物を簡単にチェックする。財布の中には日本円で1000円くらいしか 入っていないので、問題はなさそうだ。

 と、彼らは更に僕の体をさわり、僕のキャッシュベルトを目ざとく発見する。 実はこれから行く国ではトラベラーズチェックを両替えできない、あるいは 現金のほうが両替えレートが圧倒的に良いところばかりなので、ある程度の ドルキャッシュをもっている。それは他人にはあまり見せたくないものだ。だから これはたとえ警察であっても自分の手から放したくはないものだったが、雰囲気的に 躊躇していることはできなかった。同時に、彼らは靴を脱げという。もちろん 相手にキャッシュベルトを渡してから、靴を脱ぐなんてマヌケな事はせずに、 僕はしっかりと靴を脱いで、それからキャッシュベルトから別々の 入れ物に入っているキャッシュとトラベラーズチェックを出して見せた。どうしても 相手の手には渡したくなかったのだ。

 けれども、彼はキャッシュを奪い取るようにして僕の手元から取りあげ、パラパラ とめくっている。勿論僕は彼の手元を目を皿のようにして見ていた。抜き取られたら 大変だ。かなり神経を集中して彼が不正を働いていないことを確認した。彼は すぐに僕にキッシュを返却し、それから付き放すような言い方で、もう帰っても よろしいと言う。僕はなぜ自分がここまで疑われなくてはならないのか、パンツまで 脱がされそうな勢いで身体検査を受けなくてはいけないのかに怒りを感じながらも 身支度を整えてその場を後にした。こんなことは始めてだったので、体が震える。

 けれども安心するのは早かった。 ようやくチムケントに着いて、ホテルに入って、もう一度キャッシュの 枚数を確認して僕は真っ青になったのだ。 僕の帳面に記録してある100ドルキャッシュの 枚数と、今数え直した100ドルキャッシュの枚数が4枚あわない。いつのまにか 400ドル抜き取られているではないか。そんなはずはない。あの時はかなり神経を 集中して彼の手からお金を抜き取られないように監視していたはずだ。 まてよ、本当にそうだっただろうか。そういえば 他の二人が同時にいろいろな事をチェックしていて、 僕の気をそらそうとしていたではないか。そして、僕は二度ほど、まさに0.5秒ほどでは あったが、視線をずらしたことがあったかもしれない。中国で見たイカサマ 賭事師の手口を見ると、ほんのわずかな間でもいろんなことが出来るのを見て いたはずだ。きっとその時だろう。僕はただただ心臓の鼓動が高鳴って行くのを 覚えた。

 どうしよう、明日すぐにあの街に引き返そうか。でも相手にはシラを切られる可能性 が高い。そしてそれによってこれからの旅程がまたぐちゃぐちゃになってしまう。 この街の警察署に駆け込んだところで、果たして信じてもらえるかどうかわからない。 それに言葉の問題もある。しかし400ドルとは大金だ。このまま泣き寝入りをする しかないのだろうか...。

 と、大抵の旅行者であれば、高い授業料だという言い訳を使いながら、 結局泣き寝入りし、せいぜいガイドブックの旅のトラブル欄などに投稿して怒りをぶつけるの だろうが、残念ながらもう1年以上も旅を続けている僕は、ここの警察官が 思っているよりも、ちょっとだけたくましくなっていた。

 お金を数え直して青くなったところまでは本当だ。けれども僕はホテルに 着いてからもう一度数え直すなんていう間抜けな事はしない。屈辱的な 身体検査を受けおわってからも、冷静さを失ってはいなかった。僕は身支度を整えて から、一度深呼吸をし、それからおもむろに僕が金銭関係を管理している 帳面を出し、もう一度キャッシュを出して彼らの面前でお金を数え直したのだ。

 びっくりしたのは本当だ。僕は「いちおう」のつもりで確認したのに、本当に 4枚無くなっているのだ。彼らは平然と「アルマティーで数えた時にはあったのか?」 と聞いてきたので、大きくうなずく。そのうち他の二人はどこかに出ていってしまったが、 僕はボス格の、キャッシュを手にした男とその後5分ほど話をしていた。 その間に10回くらいお金を数えなおした。彼らはあの手この手をつかって もうあきらめろというようなことを言っていたが、僕は絶対に引かなかった。

実はこの時僕はまだ彼らを100パーセント疑っていた訳ではなかった。 ひょっとしたら昨日の夜にホテルに賊が忍び込んだのかもしれない。(でも それなら4枚といわず全部もって行くだろう)それとも僕にスキがあって 街を歩いている時にでも、いつのまにか キャッシュベルトからお金を抜き取られたのかもしれない。いろんなことを考えた。

 男は「もうバスが出るから、チムケントに着いてから警察に行って盗難とどけ でも出すんだな」と突き放した。そこで、僕は彼にノートを差し出し、「ここに おまえの名前と職業を書いてくれ」と頼む。本当にただ盗まれただけにしても、 ここで話をすべて済ませておかないとあとあと面倒だ。けれども彼はなかなか 自分の名前を書きたがらない。ここで僕はようやく彼を疑いはじめた。

 そこに先ほどの警官が二人また戻ってくる。まだ僕が居るのを見て「おや」という 顔をしていた。僕はすかさず一人の警察官に向って「もう一度IDを見せろ」と 言った。彼は僕にIDを見せる代りに、「もう一度お金を数えてみろ」と言う。 僕は何度も数えたのだが、彼があまりにもしつこいので、既にキャッシュベルト にしまってあったドルキャッシュをもう一度取り出した。彼は「俺が数えてやる」 と一瞬キャッシュを奪ったが、僕はまた抜き取られては大変と1秒で彼の手から 奪い返し、そして彼らの目の前でもう一度お金を数え直した。

 手品だ。不思議な事にお金が戻っているではないか。どうも僕があまりにも しつこい相手だったので、彼がお金をうばった 1秒のうちにお金を元にもどしてきたらしい。しかし戻ってきたのは 3枚だけ。まだ100ドルは彼らの手の中にある。やはり彼らの仕業だったのかと 確証をもった僕は、この時果たしてどうすれば良いかを頭の中で考えあぐねた。 彼らとしては300ドル返してやったんだからこれで満足しろよと暗黙の うちに言っているようだ。これを受け入れるべきなのだろうか。でも 100ドルだってかなり大きな金額だ。そして犯人が目の前にいるのは もはや自明で、ここでそれを受いれると、泣き寝入りをするしかなくなる。 かといって、ここで粘ると僕に別の危険が押し寄せる可能性がある。

 いろいろ考えたのだが、結果として僕は妥協しなかった。「おかしいなあ、やっぱり何度数えても 100ドルたりないぞ」などといいながらわざとお金の束を先ほどの警官に 渡したりもした。要領はだいたいわかったので、わざと相手にお金を返す 機会を与えた訳だ。けれどもお金を渡した相手はお金を持っていないらしく、お金は 戻ってこない。どうしょうも無く、僕はお金をまたキャッシュベルトにしまい、 いちど椅子に座る。そして、「やっぱり君の名前をここに書いてくれないか、 そして日本大使館に電話してくれないか」と言った。しばらく膠着状態が続く。 心理的な戦いが4人の中で交錯する。

 一人が言った。「ヤポンスキー、プロハ。」これは「日本人は良くない」とい う意味だ。だから僕は言ってやった「カザフスタン、ハラショー」これは 「カザフスタン人は良い」という意味だ。相手の挑発に乗るほど馬鹿ではない。 僕はこんな状況にありながらもかなり冷静だ。頭は高速に回転しており、事態 解決のいくつもの方法を巡らせている。決して自分を失ったりはしない。 僕はもうそれほど弱くない。

 彼らの方から動きがあった。おまえ、お金を落としているなんてことはないか。 そう言い彼らの足元をみると、さっきまでは明らかになかったドル紙幣がそこに 転がっているではないか。が、どうも100ドル紙幣ではなさそうだ。そんな ことを思っているうちに、彼がそのお金をさっと奪って自分のポケットに押し込んだ。 そして「これは俺が拾ったんだから俺のもんだ」という。そしてあらためてポケット から100ドル紙幣を出してヒラヒラさせている。なるほど、今回は彼のポケットで 紙幣が入れ替わったようだ。

 ここでも僕は冷静だった。強引にかれからお金を奪おうと思えばいくらでも 出来た。そして奪ったあとすぐにそこを後にする事もできた。が、そうはしたくなかった。 彼らから自発的にお金を渡すように仕向けたかったのだ。だから僕は日本語で 「お願だからお金を返してくれ。それが無いとこの先大変困るんだ」というような ことをまくしたてた。根負けした彼らはついに僕にお金を渡してくれる。 他の二人は「全く日本人っていうのは」などと言って引き上げていく。僕は ボスと二人きりになる。そして二人でなんとなく笑った。戦いに終止符がうたれた。 それを告げる笑いだった。僕の笑いの中には「俺を甘く見るなよ」という 勝利の笑みが含まれており、ボスの笑いには「おまえには負けたよ」という 笑みが隠されていた。

 もう一度持ち物の確認をするのを忘れず、そして、もう一度キャッシュの 枚数を確認するのも忘れず、それでようやく僕はその場を後にした。僕が 出て行こうとする時にまた例の他の警察官が部屋に入ってくるところで 「あの日本人たら」みたいなことを言いかけていたので、僕の悪口でも いいに来たのだろう。僕の顔をみて慌てて口をつぐみ、それから「なんだまだ おまえいたのか」という顔になった。僕はボスと何故か肩を叩き合って 別れる。喧嘩をしたあと仲良くなると言う感じだ。

僕は彼らに不思議と 怒りや憎しみを感じていない。ただ、ただ事態の成り行きに驚いてしまった という感じだ。そして自分の冷静さ、機敏な行動、相手の心を読む力 に自分で感心してしまった。これから先のこともあるので過信は禁物だが、 ある程度の修羅場を自分一人の力で切り抜けた事実に、今日だけは自分を 誉めてやっても良いんじゃないかと思った。

 さて、この事件があったあとはまた旅は順調そのものに戻った。 バスの出発まで更に1時間ほど待たなくてはいけなかったが、その間に 乗り換え組みの他の乗客たちととても仲良くなれた。ロシア語を習った 成果が早速発揮されて、彼らとのコミュニケーションも思ったよりも 良く取れる。バスはどっぷりと日が暮れた11時過ぎにチムケントに 到着したのだが、バスの乗務員ともたいそう仲良くなっていて、彼らは わざわざ遠回りして僕を安ホテルの前まで送り届けてくれた。 他の乗客もその遠回りに関しては誰も文句は言わない。というよりも みんな「そうするのが当然だ」という雰囲気になっている。

 ホテルに到着すると僕はバスの乗客みんなに手を振って別れを告げる。 みんな笑顔で手を振り返してくれた。嫌なことがあっても、それを 簡単に忘れさせてくれるような、人々の笑顔だった。ホテルはどうしょうもなく 汚く、古く、あちこち壊れていたが、今日は寝るだけなのでそんなことは 構っていられない。料金は750テンゲだったが、まあこんなものなのだろう。 僕はホテルにつくなり、もう一度だけお金を勘定して、それから 倒れるように眠りについた。

 疲れた一日だった。