結局アルマティには2週間も滞在してしまった。最初はそれをむしろ否定的に 捉えていたのだが、今となっては「大当たり」だったと言っても過言ではない。 何しろ良い出会いがたくさんあった。カシュガルの時にも感じたのだが、 長く居れば居るほど「顔見知り」の数が増えていき、そして言葉を交わすようになる。 さらにアルマティではナギズやビョンジュのように深く心の交流を出来る 友人にも恵まれた。

 昨日ナギズと別れたように、今日はビョンジュと別れなくてはいけない日だった。 けれども不思議と昨日ほど感傷的にはならない。なぜなら彼とはまたどこかで会える 気がしてならないからだ。彼は韓国人である。そしてもう1ヶ月後には韓国に 帰る事になっている。それから旅を始めるのだそうだ。旅先でまた逢えるかもしれない。 あるいは旅で会えなくたってお互いに隣国に住んでいるのだから、会おうと思えば それほど難しくないだろう。たとえ会えなくたってインターネットを通じて会話を できる。そう思うと少しは気が楽だった。彼と僕との関係は、今まさに 始まったばかりなのだという気がしてならない。

 またホテルの電話が故障していた事もあり、ビョンジュは直接ホテルを訪ねて きてくれた。彼の家は僕のホテルから100メートルほどの距離だ。午前中は また彼にさまざまなコンピュータ関係の事を学んだ。彼は僕がデジタルカメラで 撮った写真のことをとても心配してくれて、なんとCDにバックアップを取ってくれた。 そしてそれを日本に送っておいてくれるという。「カザフスタンから 直接郵送というのはあまり信頼が置けないから、明日韓国にもどる友人を 介して、韓国から日本に送るようにするよ。そうすれば安全だし、早いだろ」 彼は僕が何をしたいか、何を心配に思っているのかをすべて把握している。

 彼は更に僕に靴下までくれた。日本からもってきた3足の靴下のうち、一足が とうとうくたびれてきていて、ゴムが緩くなっているので新たに買おうと先日 ビョンジュと市場をうろついていた時に物色していたのだ。彼はそれを覚えていた らしく、韓国製の新品の靴下を一足プレゼントしてくれたのだ。その心がまた とてもうれしい。

 銀行でドルキャッシュを手に入れた後、夜の再会を約束して一度彼と別れる。 僕はバスターミナルに切符を買いに、ビョンジュは韓国大使館にコンピュータの セットアップの仕事をしに行った。バスターミナルは街の中心からかなり離れた ところにある。タクシーで20分以上も走っただろうか。それでも市街地は途切れる ことなく続いていて、あらためてこの街の大きさを思い知らされた。 チケットはロシア語レッスンの甲斐があって、意外とすんなり買えた。 ただ7時のバスの切符を買おうと思ったのだが、バスは朝の7時と夜の7時の 両方があるらしく、朝の便を買いたいと言うのを伝えるのに少し苦労した。 切符売りのお姉さんはしきりに「ウートラ、ウートラ」と言うのだが、 それが午前を意味するのにかなり時間を要してしまったのだ。 チムケントまで712キロ、950テンゲだった。

 帰りはバスで戻ろうと思った。ロシア語会話実践編である。「カザフスタンホテル まで行きたいんですが、何番のバスに乗れば良いでしょう」適当にその辺の人を 恐る恐る訪ねてみた。そうすると通じるではないか。「19番のトロリーバスに 乗ればいいんだよ。君は中国人かい?」「どうもありがとう。僕は日本人です。 バス停はどこですか?」「あっちだよ」面白いように会話が通じる。しゃべれる単語は 非常に限られているのだが、5日間のロシア語講座がここまで威力を発揮するとは 思わなかった。ただ、向うが早口でしゃべりはじめると、もう全く聞き取れない。 数字ですら聞き取れない。トロリーバスに乗った時に値段を聞いたのだが、さっぱり 聞き取れず、適当に20テンゲ紙幣2枚を出したらチケットを二枚渡されてしまった。 そこで、あわてて1人分だよと訂正しなくてはならなかった。

 5時半にビョンジュと待ち合わせた。彼は今日僕を「LGフェスティバル」なる ものに招待してくれている。これは韓国の電気製品メーカーLGの 企業PRの一貫で、韓国やカザフ のポップスの人気歌手や、伝統芸能が一気に披露されるショーのようだ。 会場には着飾った人達が沢山群れていた。韓国系の人がかなり目立つが、 カザフ系の人の数もかなり多い。僕らは招待客だったので、すんなり会場の 中に入れたのだが、大抵の人は引き換え券をもっており、それを入場券に替えるための 長蛇の列が出来ていた。ビョンジュが言う事には、LGはこの引き換え券を劇場の キャパシティーの2倍配ったらしい。韓国であれば半数の人が来ないのでこれで 大丈夫なのだそうだが、カザフスタンの場合はみんな来てしまうので、きっとあとで トラブルになるだろうと心配していた。確かに、劇場のキャパシティーは3千人程度 なのに、劇場の前にはどう見てもそれ以上の数の人達が群れている。  皆相当なおしゃれをしてやってきているので、これで中に入れないとなると きっと暴動が起きるんじゃないだろうかと、おもわず心配してしまった。

 


入り口ではこんなセレモニーが

ただ、何だかよくわからなかった


 ビョンジュのお陰で、僕らは前から2列めという絶好の席に座る事ができた。 7時過ぎに幕が開き、それから約2時間、さまざまなショーが繰り広げられる。 韓国のアイドルが歌った時には、後ろの方から黄色い声援が聞こえ、カザフの ポップス歌手が歌った時には手拍子が会場に響いた。子供たちのダンスあり、 民族舞踊の披露ありと盛り沢山だ。伝統と現代の文化を程よくちりばめているので、 文化交流としてはかなり成功しているだろう。見ていてとても楽しかった。 なかでも琴や太鼓、笛などの民族楽器を使って現代音楽を演奏するグループの 演奏が一番恰好良かった。
 


民族楽器オーケストラ

民族衣装が眩しい
 

子供も踊る

カザフスタンで有名な歌手


 夕食はまたビョンジュとカザフスタンホテルの韓国レストランに行った。 フルコギに今日はドンドンジュという韓国のお酒を付ける。このお酒は 日本酒をマイルドにしたような味がして、なかなかいける。1リットルで10ドルだ。 ところでこのレストランの夜は爆笑物だった。突然電気が消えるので何だろうと思ったら、 目の前でロシア系カザフ人の女性のダンスのショーが繰り広げられたのだ。 しかも、これがほとんどストリップショーに近い。キワドイ水着を着て体を くねくねさせるダンスばかりが続くのだ。そのうちそのクネクネねえちゃんは 客席を周りはじめ、客を挑発しはじめる。ここは普通のレストランのはずだ。 家族連れだって結構居る。なのに、こんなショーが繰り広げられる。そのアンバランス さに笑わずにはいられなかった。

 ショーが終わったころ、ビョンジュの友達がやってきた。ローカルコリアンと 呼ばれる現地在住の朝鮮系カザフ人だ。スターリンの政策により強制移住させられた 人々の子孫である。ビクトリー・キムという名の色白の美人だった。彼女に カザフ語は話せるの?ときいてみると、こう答えてくれた。「たいていの 朝鮮民族はロシア語は話すけれども、カザフ語なんてしゃべらないわ。 しゃべりたいとも思わないし」彼女は大学で韓国語を専攻し、今韓国への 留学を考えていると言っていた。

 


ローカルコリアンのキムさん


 別れの時間がやってきた。また僕らは自然に抱き合う。またかならずどこかで 会おう。僕は彼の瞳をまっすぐに見つめてそう言った。彼はいつまでも僕を 見送ってくれていた。僕も何度も振り返り彼に手を振った。彼のシルエットは どんどん小さくなっていって、そして見えなくなった。

 また一つ思い出深い街が増えた。