今朝は強烈に辛い。何しろ昨日2時まで飲んでいたのが仇になった。そして 今日はまた6時半起きである。最後のロシア語レッスン。最近街で簡単な会話なら こなせるようになってきているので、かなり効果があったと言って良いだろう。 回らない頭をなんとか働かせて、予定の時間をこなす。先生は僕が日ごろインターネット のために通っているキメップ大学の学生なのだそうだ。あそこはビジネススクール なのだと教えてもらった。約束の60ドルを彼女に支払い、別れを告げた。 写真を撮りたいと申し出たのだが、今日は化粧をしていないので駄目と あしらわれてしまった。
その後はまたインターネットである。バネッサと共同で購入した分の内 まだ一時間ぶんが残っていたので、またいろいろな情報を仕入れるのにその1時間を 費やした。そこを出ようとした時に現地に在住するアメリカ人と話す機会があった。 彼はこのキメップ大学で働いているのだそうだ。ここに滞在するアメリカ人は かなりの規模になるのだと言っていた。ここはやはり首都なのだ。そして 国際都市なのだ。
その後、銀行に行ったり、食事をしたりしているうちに時間はもう2時を回っており、 昨日あまり寝ていない事もあって、僕はしばらく横になることにした。午前中は 寝不足で頭が重たかったのだ。
アルマティーにはもう10日以上いる計算になる。思った以上に長く滞在して しまった。ここはそれまで想像していた街とは全く違った整然とした都会で、けれども とても居心地が良いのだ。 やはり百聞は一見に如かず。街を歩くと沢山のことに気がつかされる。
ここは噴水の街だ。最初にそう思った。街のいたるところにさりげなく噴水が 設置して在って、豊かな水をたたえている。たいていそんなエリアは簡単な 公園になっていて、人々がベンチに座って談笑したり、休んだりしている。 緑がたくさんあって、綺麗な整備された公園だ。道路はどれもゆったりと作られて おり、それ程沢山の車が走っているわけでもない。ゆとりのある静かな街だ。
あちこちに噴水があった |
人々はおっとりとしており、けれども都会人らしく今迄の国のように旅行者に 対してあからさまな感心を示したりはしない。というかさまざまな人種の人が 混在しているので、だれも僕を旅行者だと認識してくれないのだ。
オシャレなカフェも |
ここには いくつかの人種が存在するが、大半はロシア系住民とカザフ系住民に大別される。 そして、カザフ系住民というのはかなりロシア化がすすんでいるように見受けられる。 中国にもかなりのカザフ系住民が暮らしているのだが、天池で会った彼らによると 彼らはまだ昔ながらの遊牧の生活を続けているのだと言っていた。つまり かたくなに伝統を守っているわけだ。けれどもこの国では旧ソ連の 政策もあって、伝統は消えつつある。特に若い人達は伝統を堅持するよりも、 ロシア化、あるいは現在はアメリカ化することを望んでいるようも見える。
ところで、中国ではウイグル人と漢民族というのは互いにお互いを無視して生活して いるように見えた。同じ夕食のテーブルを囲んでいるところも、 一緒に歩いているところも見たことが無い。ところが、この国ではそういうことが 日常的に行われている。カザフ系住民とロシア系住民がグラスを傾けている光景は そこら中に転がっているし、カザフ系住民とロシア系住民のカップルだって沢山いる。 つまり、ロシア化が進んでいると同時に、人種のミックスも進んでいるという訳だ。
自らの伝統を守り、けれども他民族との融和が進んでいない中国と、 伝統は消えつつあるが、他民族をかなり受け入れているカザフのどちらが良いかとは 僕には判断がつかない。けれども、この二つの国のあまりに対照的な現象が目に 焼き付いた。現実を目に焼き付ける事、それが僕の今回の旅の大きな目的でもある。 また全く知らなかった事実がここで浮かびあがってきた。
それからここはまた変革の街でもある。新しいものと、旧ソ連からの遺産が ミックスされた街だ。カシミールの青年や、韓国人のビョンジュがその点を 沢山指摘してくれた。
韓国のメーカーの看板が目についた |
たとえば車は、旧ソ連製であろう角張った車の他に、丸みを帯びた新しい日本車や 高級ドイツ車もあちこちで見かける。そして、どの車もせっかちで、反対側の 信号が赤になると、自分の側の信号がまだ赤であってもさっさと走り出してしまう。 信号の時間はとても短いので、歩いて道を渡るたびにひやひやしなくてはならなかった。 車優先思想はきっと旧ソ連からの遺産であろう。
それから建物もそうだ。ゴツイ、けれどもこれといった特徴のないくすんだ色のビルや ランドマーク的に建てられた劇場や政府のビルが大半なのだが、だんだんと西側諸国 式のビルも目立ってきた。全体的に「ゴツさ」がとれて「スマート」になってきている という気がする。ただしそれだって本当に良い事なのか僕には判断がつかない。 たとえばカンボジア、特にシェムリアップにいた時に見たビルは、 近代建築のビルにしてもたとえば屋根の部分を 昔ながらのカンボジアスタイルにすることで、伝統を継承しつつ新しい物を取り入れて いることに成功していたが、アルマティで見た新しいビルというのは、ある意味これも どこにでも有りそうな特徴のないビルになってしまっているのだ。まあ、それは 日本も同じ事なので、しょうがないのかもしれないが。
さて、明日バネッサはこの街を離れる。今日もなにかと彼女は僕の部屋を訪ねては いろいろな話で盛り上がった。彼女は明日の朝早いので、今晩が彼女に会う最後の チャンスという事になる。一緒に夕食をとって、また沢山の話をする。そして いつもみんなとそうするように、アドレスを交換して、それから固く握手して お互いの健闘を祈る。また別れだ。僕らはお互い最高の笑顔を作って、それから 手を振った。
10時を過ぎるとビョンジュが僕の部屋を訪れて、彼の部屋に行き12時過ぎまで 酒を酌み交わした。なんだか彼にも僕はとても気に入られてしまったようだ。彼が この国に来てコンピュータ関係の仕事をしているのは、兵役の一部なのだそうだ。 兵役にもいろいろなものがあるのだなあと思った。