まだ太陽が低い高度で弱い光を発している内にベッドから起きださなくてはならない。 久々の6時半起きだ。あたりは凍えるほどに寒い。太陽の光が寒さに負けている。

 7時きっかりに先生がやってきて、またロシア語レッスンの開始である。 今日は主に数字であった。1~100までの数字を一応覚える事に成功する。 それから「これを買いたい」というのと「これはいくらですか」というのを 覚えた。これで買い物はばっちりのはずだ。2時間という時間設定は やはり適切なようで、今日は集中力が切れる前に時間が来てしまい、 先生はアタフタと今度は自分の授業のために学校へと去っていった。

 さて、今日はインターネットだ。というのは、この近くにキメップ大学というのが あって、そこで一時間5ドルでインターネットが出来るらしいことを昨日大学に 行って確かめておいたのだ。10時間で2000テンゲ(3500円くらい)という のもあるのだそうだが、10時間も使う事はないだろうと思い、一時間5ドルコース をお願いすることにした。といっても、普段僕が使っているコンピュータから ではなく、ここにあるコンピュータからアクセスしなくてはいけない上、 ここにあるコンピュータはロシア語と英語のシステム なので、日本語でかかれたホームページは全く読めない。

 そこで、とにかく見たいホームページのアドレスだけを控えていって、 文字化けでも何でもよいからどんどんとページを開き、それをダウンロードし、 後から僕のコンピュータに移し替えてから読むという作戦に出た。つまり 僕としてはダウンロードさえすれば良いわけで、1時間もあれば十分だろうと タカを括っていたのだ。ところが、このコンピュータの遅い事、遅い事。 たとえば20Kの文章をダウンロードするのに5分くらいかかってしまう。 そんなこんなで、結局3時間近くの時間を取られてしまった。けれども 係の人は800テンゲで許してくれた。

 これだけすると、もう本当にくたくたに疲れてしまう。何しろ今日は 6時半起きだ。疲労した頭を何とか働かせながら、大学の外に出る。 そしてその時僕は声を出して驚いてしまった。白いのだ。世界が 真っ白に輝いているのだ。ここに来る時に小雨は降っていた。その時の 気温はかなり低く、ひょっとしたら雪になるかも知れないなと 考えてはいたが、まさか現実になるとは思わなかった。外に出てみると、 白い大きな雪の結晶が空から舞い降りてきている。まるで北海道の 雪を想像させられるような、上質の結晶だ。僕はなんだかうれしくさえ なってしまった。シルクロードの休憩地点での5月の雪。いったい誰が こんな現実を事前に想像できようか。

 街は衣装を身につけている。純白の衣装だ。新緑は雪にまみれて、車も 白をかぶっている。塗れたアスファルトは真っ黒で、だからいっそう そのコントラストが眩しい。雪は音もなく深深と降り積もる。鳥達は どこかへ避難してしまったようで、普段聞こえてくる歌声も今日は 聞こえない。そんな新鮮な空間を満喫するために、 僕はわざと遠回りをして、ホテルへと向った。

 


雪は一気に積もった







 
5月でも容赦ない雪


 ホテルに帰るとちょうど1時ころで、簡単な食事をとったあとは 、ひたすら部屋でのんびりすることにする。さすがにこの寒さの中では これ以上外をふらつく気がしない。 すると例のバネッサがやってきた。 彼女もインターネットをやりたがっていたので、僕の情報を提供すると とても喜んでいた。彼女はジャーナリストの端くれのようなもので、 ドイツの地方雑誌に旅の様子をレポートしているのだそうだ。そんな彼女から 耳寄りの誘いがあった。彼女は昨日カシミールからここに来て、ここで 暮らしているジャーナリストと知り合ったのらしい。そして、その時は ほとんど立ち話程度だったのだが、今日、あらためて彼がこのホテルに来る ことになっており、僕も一緒に話をしないかと誘ってくれたのだ。

 カシミールとは、インド、パキスタン、中国にまたがる地域を指し、 特にインドとパキスタンがその所有を巡って激しく争っている。 中国とパキスタン の関係は最近良好で、カシミールに関わる国境も比較的はっきりしている。 だから、カシュガルからパキスタンのスストまで行くバスの運行が実現している わけだが、インドと中国、インドとパキスタンの間の国境はもうぐちゃぐちゃだ。その 両国との駆け引きの中で、当のカシミールは独立国になることを望んでおり、 それがまたこの地域の様相を複雑にしている要因でもある。  そんなところから来たジャーナリストと話す機会があるなんて、とても 貴重に違いない。そう思い僕は二つ返事で彼女の誘いに合意した。

 2時半ころまで彼女と話をしていただろうか、気がつくと太陽が照っている。 そして木々の衣装はあっという間に水蒸気になって天へと登ってしまい、 また春の光景が繰り広げられていた。空の青がより一層輝いてみえる。

約束の 時間にホテルのロビーに行き、そこでそのジャーナリスト氏に挨拶する。 と、思っていたよりも彼は若い。隣のカフェで話をしてわかったのだが どうやら彼はジャーナリストというよりも学生のようだ。本業は カザフスタンの大学の医学部の学生で、その傍らにこちらの英字新聞の 原稿を書いているのだそうである。それも、政治とか経済的なことでは 無く、医学の現場のようなことを書いているのだと言っていた。  

 


カシミールの少年


 そうは言っても、沢山の興味深い話が聞けた。たとえば検閲。この国では おおっぴらな検閲は無いのだが、それでも政府の批判をするのは 暗黙の内にタブーになっているのだそうだ。先日、その禁を破って 政府批判の記事を載せた記者は、その後、特に正当な理由も無く 更迭されたという。そう言えばウルムチでウズベキスタンのタシケントに 住むアメリカ人の新聞記者に会ったのだが、彼も同じような事を 言っていた。彼の場合、これらの国は検閲が厳しいので、記事は 国内ではなく、アメリカや英国に発信するのだと言っていた。 この手の話というのは、表層的に旅行しているだけではなかなか知り得ない ことなので、興味深い。

 それから、もちろんカシミールの話にもなった。彼は「今のところ」 インドのパスポートをもっているのだと言っていた。そして、彼の 気持ちとしてはやはり独立を望んでいるのだという。つい最近 インドが核実験を行ったのだそうだ。彼がもっていた新聞にも大きく 取り上げられていた。もちろんそれはパキスタンを牽制する為であって、 それには彼の故郷が大いに関わっているわけである。 その新聞記事の大半は日本がその核実験に対してかなり怒っていて、 インドに対する援助を凍結することを決定したというようなことで 埋められていた。なんでも日本はインドに取っての最大の援助国 なのだそうだ。彼は日本の態度を評価しながらも、インドにとって 援助というのはそれほど大きな位置を占めていないので、それほど 痛手はないだろうなあと言っていた。

 なぜ彼がわざわざカザフスタンにまで来て学校に行っているのかを 聞くことはできなかった。やはりカシミール人として、インドに取り込まれて 行くのを嫌っての結果なのだろうか。「独立というのはかなり薄い希望だと いうのはわかっているんだ」と言った彼の、せめてもの抵抗が カザフスタンだったように、僕には思えてならなかった。

 なにも、こんな難しい話ばかりをしたわけではない。4時半から10時まで、 5時間半も僕らはずっと話し込んでいた。カフェからレストランに場所を変え、 僕はビールとワインも飲んで楽しい時間を過ごした。旅の話、音楽の話、 それぞれのお国自慢、これからの話。同じ年代の3人が集まれば話題に事欠かない のは当り前だ。ワインを頼んだら、まるでコーラでも注ぐかのようなグラスに、 なんとストローを指して出てきたのには驚いたが、これもカザフ式なんだろうね と、僕らの恰好の話題の種になってしまった。ちなみにこのワインはブルガリアの ワインだった。