ちょっとエンジンをかけて先を急ごうと思った矢先に、一ヶ月先までウズベキスタン に入れないという事態になった。ビザだ。 噂によると、ウズベキスタンビザは、インビテーション 無しでも10日まてばビザを取れるということだったので、それならビザを取り直そうか とも考えた。どうせ日本人はタダだ。ところが、その方法でビザを取ろうとしていた バネッサが、大使館で門前払いを食らったらしい。彼女は今回はキルギスタンが メインだから、日本に行った帰りにウズベキスタンによることに変更したわと けろっとしていたが、つまり僕にとってはこことキルギスに普通よりも長く滞在 しなくてはならないということになったわけだ。

 大抵の旅行者というのはウズベキスタンをメインにしている。タシケントは別として 、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァなどのシルクロードの都が点在しているその国は 見所でいっぱいだ。だから、途中キルギスタンのビシケクによる人も何人かいるが、 カザフスタンは通過と割り切る人が多い。確かに、この街はシルクロードの 埃っぽい匂いを期待してやってきた人にとっては少々拍子抜けのする街だ。 ここは、ヨーロッパ的テイストの漂う、緑豊かな都会なのだ。

 ところで、そんな平和な都会に長く滞在する事になった時、僕には一つの妙案 が浮かんだ。それは言葉である。中国に居た時に、最初の全く中国語がしゃべれない 時と、後半の旅行会話なら何とかなるようになった時では、旅の広がりが違った。 たとえばナギズとだって、昔の全く中国語がしゃべれなかったころの僕ならば、 ただの通りすがりの人ですまされていたはずである。それにこっちが頑張って中国語 をしゃべっているのを見ると、地元の人の対応も全く違う。

 この国に入ってから、僕はまた無口になった。ここはロシア語の世界で、 ロシア語は「さようなら」と「ごめんなさい」と「おやすみなさい」それから 「いなか」しか知らない僕にとって、(なぜか「こんにちは」は知らない、 「いなか」は学生時代近くにあった喫茶店の名前なので知っている) もう不自由で 不自由でしょうがないのだ。しかもこの国では、中国で使っていた 「必殺筆談作戦」も全く通じない。キリル文字はRをひっくり返したような文字や、 Nをひっくり返したような文字があって、さらに同じ文字であっても英語とは 読み方が全く異なる文字なので、ますます混乱して、訳が分からなくなってくるのだ。

 そこで、この長期滞在を期に、ロシア語を習うというのはどうだろうと思った。 幸い、ウズベキスタンビザで使うと思っていた60ドルがそのまま手元に残っている。 そう思い、旅行会社のタニヤの相談すると、自分の大学時代の先輩で英語も話せる 人がいるから彼女を紹介すると言ってくれた。そして一昨日彼女と電話で話しを して、お互いの条件を確認して、今日からロシア語レッスンスタートという ことになったのだ。今日から5日間、一日4時間のマンツーマンレッスン。 かなりハードだ。

 午前9時に先生がやって来て、僕らのレッスンはスタートした。マンツーマンだけに 疲れたらといって居眠りをするわけにもいかない。集中力というのは90分が 限度だといわれているが、果たしてそれは正しく、2時間近くなるとどうしても 頭が回らなくなって、一度休憩をはさむ。それでも4時間が終わる頃にはもう くたくたで、その後全く何もしたくない状態になってしまった。 ロシア語では巻き舌で舌を震わせるという日本人に取ってはとてつもなく難しい 発音があるのだが、やはりここに一番苦労させられた。4時間やって覚えたのは 「XXはどこにあるのですか?」だけという、とんでもなくお粗末な成果だったが、 まあ、初日だからこんなもんだろう。

 さて、昼飯でも食うかと、近くの大通りアバイストリートを歩いていると、 先生が向うからやってくるのが見えた。彼女は僕の事を探していたらしく、 「ああ、よかった」といって、僕の方に近寄ってくる。彼女は現役の学生なのだが、 彼女の話によると彼女の授業は午後からだと思っていたのに、今日学校に行ってみると 午前9時から2時までになってしまったのだそうだ。これはまさに僕らの授業の 時間とバッティングする。彼女はなんとか授業を午後にできないかと言ってきたのだが、 僕としてはどうしても午後は街をふらつく事に使いたい。そこで、結局 僕らは朝7時から9時までの2時間の授業に変更するということで合意した。 アルバイト料は時給で契約しているので、その分の支払いは少なくなることになる。 一時間5ドルの契約だったので、100ドルのところが60ドルになったわけだ。

 


アバイ通りのバス停


 朝7時からの授業というのはかなり辛いが、まあしばらく「早起きさん」に なることで我慢しよう。それに今日の4時間授業は地獄だったので、2時間に なって逆に良かったのかもしれない。

 今日はなかなかぽかぽかした陽気だ。午後は何も考えずに街をふらつく事に使う。 この街を歩いていると、あちこちから小鳥のさえずりが耳に届いてくる。思えば中国には「鳥」というものが あまりいなかった。誰かが、中国にいた雀は農民にとっての害鳥だったので、 総出で撃ち殺し、そのために絶滅しただなんてことを言っていたような気がするが、 それは案外本当だったのかもしれない。それがこの街は、小鳥達のハミングで 満ち溢れている。そして、それを聴いていると、とても平和な気持ちになる。 この街に長く滞在するのも悪くないなと思ってしまう。

 それから、今日はよく道を聞かれる日だった。どうやら僕は街に溶け込んで しまっているらしい。僕から他の旅行者を区別できなくなってしまったように、 彼らも現地人と旅行者を区別できないのだろう。つまりそんな街なのだ。

 ところで、またこの穏やかな天気が一転した。郵便局に行こうと思い、葉書をとりに 一度ホテルに戻ったのだが、その後すぐに天候が怪しくなった。この街の天気は本当に安定しない。 まだ雨は降り出していなかったのだが、空が暗くなったので、一応傘を用意して 外に出かけた。今日習いたての「XXはどこですか」というロシア語を使って、 ホテルの人に聞いてみたら、見事にこちらの言いたい事を伝えるのには成功 したのだが、その後返ってきた言葉が全くわからなく、結局地図に印をつけてもらった。 なんだか本末転倒だ。

 苦労して見つけた郵便局を後に、またその辺をふらつこうと思っていたら、 外は一瞬のうちにどしゃ降りになっている。また靴の水漏れを心配しながら、 急いでホテルに帰ってくる事にした。そして今日はそのどしゃ降りがずっと 続いていた。バネッサがまた部屋に来て、ふたりでまたいろいろと情報 交換したのだが、彼女はもう夕飯を食べてしまった後だったので、その後 僕は一人で飯を食いに出た。といっても外はさっき以上に叩き付けるような 雨が降っている。遠出はできない。そこで近くのステーキハウスにはいったのだが、 ここでまた僕は重大な過ちを犯してしまった。

 ビーフステーキが360テンゲ(600円くらい)と書いてあったので、 まあビーフステーキならこんなもんだろうと思いうっかり注文してしまったのだ。 出てきたステーキは大ぶりの肉で厚みもあり、それは食べごたえのある物だった。 これで360テンゲならとても安いなと感動までしていた。ところが、 請求書を見て愕然とする。なんと360テンゲは100グラムあたりの値段で、 僕の食べた肉は300グラムもあったのでつまり1800円もしてしまったわけだ。 メニューを見ると確かにそう書いてある。けれどもお姉さんは僕に一度も 量を聞かなかったぞと思ったが、それも後の祭り。その他に盛大に ビールやスープ、それにお姉さんの進めでサラダまで取ってしまったので、 結局今日の夕食は3500円程度と、思わぬところで贅沢なディナーを 取ってしまった。