今日は日曜日だ。最近は日曜日に限り、際限無く眠れるだけ眠ろうと思っているので、 今日は9時を過ぎても布団に包まっていた。自然に目が冴えてきて、そろそろ起きようかなあと思っ ころに、誰かがドアをノックする。何だろうと思い、ドアを開けてみると、バネッサ だった。ここに引越してきたフランス人だ。

 「実はこれから湖に行こうと思っているんだけれど、一緒にいかない?」ドアを 開けるなり、開口一番で彼女はこういう。最近何故かフランス人女性に 誘われることが多い。まだ半分寝ぼけていたのだが、特に 今日も予定も立っていなかたった僕は、当然彼女の誘いに合意する。彼女の話によると それほど遠くないところに湖があるのだそうだ。ホテルの隣にあるスーパーマーケット の奥にあるカフェで待っていてもらうことにして、僕は急いで支度をする。 洗い立ての真っ白いジーンズだ。昨日洗ったジーンズは、自分でもびっくりするほど 白く綺麗になった。これで街を歩いていても恥ずかしい思いをしなくて済む。

 カフェで少し話をして、彼女に言われるままにバスに乗った。バネッサは ロンリープラネットの中央アジア版というのをもっていて、いつもそれとにらめっこしていた。 僕は今日は彼女の言われるがままについていくという感じだ。ここでバスの 乗り換えなのと言われてバスターミナルの様なところで降りると、バネッサが 「あ、あれが乗り換えのバス」といきなり駆け出した。あわてて付いて行くが、そのバスは バネッサが思っているところに行くバスではなかったようだ。すると、同じよう その場所を目指していたらしいロシア系カザフ人のカップルがバスのドライバーと交渉し、 一人50テンゲでその場所まで連れていってくれることをに合意してくれた。 なんだか、カザフのバスも適当だ。

 バスは30分ほど走って、そのなんとかという場所に到着する。僕はもうそこが 湖のほとりなんだろうなあと思っていたが、そこには湖は全く見当たらない。 ロシア系カザフ人のカップルはさっさとどこかに歩いていってしまって、僕らは 取り残されてしまう。バネッサが、こっちの方にしばらくあるいて行けばあるはず よというので、例のカップルが歩いていった方向に向かって僕らも歩き出した。

 今日は天気も良く、ハイキングには最適だ。湖は見えなかったが、 道が山間の川を縫うように続いており、前方には真っ白な山が聳え、なかなか ご機嫌な景色だった。なんだか大理で山歩きをした時のことを思い出す。 1時間ほど山あり谷ありの、そんな景色の中を歩いたのだが、一向に湖が 姿を現さない。でもこの澄んだ空気の中に身を置いていると そんなことはどうでもよくなってくる。けれどもバネッサは湖にこだわっているので、 休憩した時にバネッサのロンリープラネットを奪い取って 読ませてもらった。そうすると、とんでもない事実がどんどんと浮かび上がってくる。

 


バネッサ
 


 なんと、湖はここから10キロも先にあるではないか。普通の道の10キロでも かなり辛いのに、こんな山道の10キロで、しかもこんな軽装でたどりついける 訳はない。10キロとは片道のことで、つまり往復20キロという訳だ。今は もう午後1時近い。日帰りなんて無理な相談だ。実際 ガイドブックには、別の道から4WDの車を雇って行くように勧めている。

 僕がそれを発見して、バネッサにこりゃとてもじゃないけどいけないよ。 別にこの景色の中でしばらく歩くだけでも楽しいから、適当なところで引き返そうよ。 と言ったのだが、バネッサはあまり納得していない様子だ。「でもなんとか行けると 思うわ」などとごちゃごちゃ言っている。それじゃあ、あと1時間だけ歩いてみて、そこで引き返そうと 言うことで合意して歩き出したが、5分ほど歩くと、先ほど会ったカップルが休憩している ところに遭遇した。そこでまたしばらく休んで話をする。するとさっきまであんなに 良かった天気が崩れ、大雨が降ってきてしまった。僕はもう先に進む気には ならず、だから木陰で休みながら、 彼らとの話に没頭していた。

 彼らの名前は、サーシャ(男)とマーシャ(女)。サーシャは英語が結構話せるので、会話にほとんど 苦労はしない。サーシャは25歳、マーシャは26歳なのだそうだ。二人とも ミュージシャンで、サーシャはギターを、マーシャはバイオリンを弾く。 サーシャはギターの先生と週に一度ホテルで演奏することで生計をたてて いるのだといっていた。サーシャのもっていたボトルのウオッカを少し 分けてもらい、話はますます盛り上がった。お酒は人間関係をスムーズにする 小道具だ。

 


サーシャとマーシャ


 バネッサはこの雨の中未練がましくこの先の道を行ったら湖に行けないかしら などと言っていてたが、サーシャに「湖に行くのは別の道だよ。それに歩いて行く のはとても無理だよ」といわれ、ようやく納得していた。そこで僕らは4人で 引き返すことにする。帰り道は坂を下りるという感じだったので、意外と 速くバス停まで着いた。実は今日はサーシャとマーシャの結婚記念日で、 新婚旅行で1週間滞在したこの思い出の地を再び 訪れたのだそうだ。なんだかそういうのっていいなあと思った。

 ところで、バスは一時間待ってもやってこず、しょうがなく僕らは 更に山の麓まで歩くことにする。歩みののろい女性人二人を尻目に、 僕とサーシャは沢山の話をしながら山を下りていった。 彼はカザフが独立してからの生活の激変を語ってくれる。3年前までは ここはそれほど物価も高くなく、過ごしやすい街だったのだそうだ。けれども 今では貧富の差が激しくなり、高級レストランが満杯である一方で、今日の 生活にも困っている人がいる。表層からはあまり見えてこないが、やはり この国も沢山の問題を抱えているのだ。

 結局4キロほど歩いて、僕らはようやくバスに乗ることができた。 雨は激しく降ったり、小雨になったりを繰り返したが、基本的にずっと 降り続いており、そして気温も下がってきた。だから最後の方はほとんど 凍えるような状態でバスをまった。あの時湖までいくなんていう無謀なアイデア に合意しなくて良かったと心底思った。もし強行していたら、確実に遭難していた。

 街に戻って、彼らと別れを告げる。アルマティーの人にとっては山とは 本当に身近なもののようだ。この前訪れたメディウにしても今日のこの山に しても市内から一時間もかけないで簡単に訪れることができる。そして そこにある自然は本当に素晴らしい。この点はとてもうらやましい。

 街に戻ると、綺麗な晴れ間が広まっていた。どうやら雨は山間部だけ だったらしい。また靴下がびしょ濡れになってしまい、歩くのが 気持ち悪かったのだが、こんな晴れ晴れした場所に帰ってくると、 気分が落ち着く。バネッサと軽く食事して、一度別れたのだが、 何故かバネッサがまた僕の部屋に来て、いろいろな話をした。ついでに 夕食も一緒にとった。  

 彼女はフランスの問題(彼女はフランスに職が無くて、イギリスで働いて いたのだそうだ)や、彼女の旅の考え方などを熱っぽく語って帰っていった。 これから中国圏に入って行くと言うので、僕がいくつか旅に必要な漢字を 書いてあげるととても喜んでいた。旅人は助け合いだ。だから僕も 今迄の経験上彼女のためになりそうな情報を出来るだけ提供した。