昨日は街をうろついているうちにホテルに帰ったのが11時を回っていて、 だから結局メッセージをくれたフランス人に会えずじまいだった。それから イアンとも結局連絡が取れなかった。イアンは順調に行けば今日タシケント に向けて出発してしまうはずだ。いままで各地で再会ができていたが、きっと これでもう会えなくなってしまうだろう。そう思うと昨日会えなかったのが とても残念だ。

 フランス人の女性とは今朝一緒に朝食をとった。彼女は一ヶ月前に 出発して、なんと日本を目指しているのだという。「ベトナムであった日本人の 男の子が一度フランスにある家に遊びに来たことがあるの。だから今度は私が 日本に遊びに行こうと思って」とさらりと言ってのける。ただ彼は現在 就職一年目で会社の寮に入っており、来年は寮から出るので日本に行くのは多分 来年の4月くらいだろうということだ。つまり1年かけて日本にいくわけだ。 僕もこれから一年かけて日本を目指している。方向は逆だが、日本で会えたら 面白いねといって、話に盛り上がった。

 彼女と別れたあと、今度はホテルの一階にある床屋さんに行ってみた。 カシュガルで切ったばかりなのだが、カシュガルの床屋は、そりゃあもう とんでもない床屋だったのだ。10元(150円)という料金から考えると しょうがないのかもしれないが、ボサボサだった頭がもっとボサボサに なった。なにしろ坊主あたまにした訳でもないのに、すべてバリカンで ことを済ませるのである。彼はとうとうはさみを握らなかった。そして 所用時間は10分以下。出来あがった髪を見て、僕は苦笑いをせざるを得なかった。 案外カシュガルの人はほとんどの人が帽子をかぶっているので、髪型 なんて気にしないのかもしれない。

 けれども、アルマティーというおしゃれな都会に来てしまった身としては こんな頭ではやってられない。そこでホテルの一階に床屋さんもなかなかおしゃれ だったので、お願いしてみることにしたのだ。そこには何故かミニスカートを はいたグラマーなお姉ちゃんが待機していて、僕が座るやいなや、チャッチャッ と髪を切ってくれる。もちろんはさみもきちんとつかってくれる。途中 でお決まりの「どこから来たの?」という質問をされ、僕が答える前に 彼女は「中国でしょ」というので、首を振ると今度は「韓国でしょ」と言ってきた。 僕が「日本だよ」というと「あら」と言う顔になった。やはり日本人はあまり 多くないらしい。(さらにこんなところで髪を切る日本人はもっと少ないのだろう) 髪型はおしゃれな都会を闊歩するのに恥じない、なかなかの髪型になった。 これで料金400テンゲ。700円弱である。

 髪を切った後は、今度は洗濯だ。何しろタイで買った僕の白いジーンズは、 今やしみだらけで、見事に茶色いジーンズに変身している。なんてったって ここはおしゃれな都会なのでこんなジーンズでは恥ずかしくて街を歩けない 。ホテルでバケツを借りて、カンボジアで買ってきてまだ残っていた洗濯洗剤を ぶち込んで30分ほど漬け込む。そうするとお湯はほとんどコーヒー牛乳 状態になっているではないか。その後も石鹸を使ってごしごしと汚れを おとす。ここまで汚れていると、洗濯もなかなか気持ち良いものだ。

 洗濯を終えて、今日は博物館に行ってみる。唯一の長袖のズボンである ジーンズを洗濯してしまったので、半ズボンで出かけた。幸い今日は日が 照っている。と、やはりアルマティーの天気は曲者だ。僕が外に出るなり あたりは曇ってきてしまい、そして気温が一気に下がってきた。調子に のって上もポロシャツ一枚で出てきてしまった僕はすぐに後悔したのだが、 もう後にはひけない。結局寒さに震えながら博物館を見学する羽目になった。 よりによって、博物館というところはたいてい外の気温より涼しいと相場が 決まっており、だから僕はなおさら凍えてしまった。でもそんな恰好をしていた からだろうか、中に入るなり僕が何も言わないのに係の人に「学生ですね」 と決め付けられて、いつのまにか学生料金のチケットを握らされていた。 学生35テンゲ(50円弱)、一般60テンゲ(80円くらい)だった。

 ところでこの博物館。大きくてなかなか見ごたえがある。カザフの自然、 カザフの歴史、カザフの風土が事細かに展示されている。中でも最後の カザフ独立から現在までのコーナーがなかなか面白かった。独立国家としては 生まれたてのこの国の誕生の瞬間から、国旗、独自の通貨、切手などがうやうや しく飾られている。カザフを独立国家と承認した国の国旗が承認した順番に 示されていた。カザフを独立国家と承認した最初の国はアメリカ。これは なんとなく分かるような気がする。1991年12月のことだ。二番目は意外にも 中国。その後イギリス、フランス、モンゴルと来て、日本はカザフを独立国家として 承認した6番目の国なのだそうだ。アメリカからちょうど一ヶ月遅れだった。

 


博物館の目玉


 興味深かったのは、7番目に韓国と北朝鮮が同じに日に承認していたこと、 それからロシアがこの国を独立国家として承認したのは、世界の国の中ではかなり 遅い部類に入るということだった。その後のコーナーでは、各国からの 贈り物が展示してある。最初はアメリカで、クリントン大統領とこの国の首相が にこやかに握手しているパネルの前に、アメリカらしい趣味の悪い贈り物が デンデンとおいてある。他に目立ったのは韓国とロシアの贈り物だった。 日本の贈り物は特に一つのコーナーとしては設けられていなかったが、 金のかぶとが展示して在ったので、きっとそれに違いないと思う。

 博物館を出るころにはますます天候は悪化しており、ますます凍える羽目に なった。カフェで手紙などを書いていたのだが、耐えられなくなってホテルに 戻る。とはいっても長袖関係はさっきすべて洗濯してしまったので、着るもの が無い。しょうがないので、布団に包まって寒さをしのいだ。夕方には またあのフランス人バネッサが僕の部屋に押しかけてきて、いろいろな話で 盛り上がった。

 夜はまたナギズだ。彼と彼の友人が僕のホテルにやってきてくれる。彼らは もう飯を食ったのだが、僕がまだだというと、ホテルの一階にあるレストランに 行こうと言うことになった。僕が食事を、彼らはビールで盛り上がる。ただし ここのレストランは思ったよりも高い。中国の倍以上の値段だ。アルマティーの 物価にはいつも驚かされる。ナギズはこの国の30歳の平均月収は100ドルくらい だと言ったいたが、どうも信じられない。街で売っているすべての物が 日本の物価をほんのちょっと安くしたくらいなのだ。そしてそれは特に 外国人向けに高い値段を設定しているわけでもない。

 

 
ナギスとその友人


 ナギズと僕の間では「おごり合戦」がずっと続いている。僕としては、ナギズに 世話になりっぱなしなので、なんとかお礼の気持ちを示したい。ナギズと しては僕は客なのだからなんとかもてなさなくてはならないと思っているようだ。 そして実はそれはとても気持ちが良い。いままで、他の人との間ではいつのまにか僕が お金を出す羽目になっていて、難しい思いをしたことが何度かあった。 最初からこちらが出すつもりでいても、勘定の段になると巧妙に逃げる 態度を示す人もいて、そんな様子を見るとあまり気持ちが良くないものだ。

 今日の食事も、僕らの戦いは続いており勘定の段になってまたもめてしまった。 というのは今日の食事は僕だけが食べ、ナギズとナギズの友達はビールの小壜を 一本ずつ飲んだだけだ。明らかに僕が出すべき勘定である。もちろん僕は彼らの ビール代も持つつもりでいた。なのにナギズは僕が最後の一口をまさに口に 運んでいるところでさっさと会計のお姉さんのところに行ってしまい、勘定を 済ませようとしている。しかも勘定はそんなに安くない。僕は急いで立ち上がって お金を握り締めてお姉さんの所に駆け寄る。お姉さんも双方向からお金を出されて どちらを取るかで困っていた。けれども言葉の出来るナギズの勝だ。結局 またおごられてしまった。

 その後、部屋でビールを飲もうということになり、この時は財布を出したのは 同時だったのだが、お金を出したのは僕の方が速く、なんとか僕がおごることが 出来たのだが、さっきの食事とのバランスを考えると、どうも良くない。 夜更けまでまた楽しく飲んだり話したりして、彼らは12時前に帰って 行ったのだが、次回こそ僕がおごろうと固く決意した。