またナギズの家で目が覚める。いつのまにかそんな光景に慣れている。時計を 見ると9時を回っていた。僕が起きだして布団をたたんでいると、ナギズ達も 起きだしてきた。ナギズは建築材料の貿易で生計を立てている。彼の場合この 言葉が当てはまるかどうかわからないが、いわゆる華僑コネクションだ。つまり 中国時代の人脈を生かして、そこで建築材料を安く仕入れそれをカザフスタンで 売っているわけだ。パスポートを見せてもらうと、もう何十回となくこの二カ国を 往復した跡が見て取れる。韓国と中国を往復しているヤンさん達と同じような ことをしているわけだ。

 建材市場からの電話を待って、僕らは出かけることにする。また雨が降っている。 最近気候が安定しない。その度に僕は靴の心配をしなくてはならなくなり、不便さを 実感する。水のもれない靴をどこかで買う必要があるかもしれない。ナギズには 博物館まで送ってもらった。実はこれから日本大使館に行こうと思っている。 別になにか大事な用事があるというわけではなく、日本の新聞を見せてもらいたい と思っていたのだ。そして、大使館は博物館の近くにあるときいていたので、ここまで 送ってもらったわけだ。ナギズとはまた二三日のうちに食事を一緒に取ることを 約束して別れた。

 


博物館


 ところが、博物館の近くに大使館らしき建物はさっぱり見当たらない。雨も 少し強くなってきており、悪いことに僕は傘をもっていなかった。だから、 大使館はあきらめて一度ホテルに戻ることにした。イアンからの伝言が 入っているはずだ。実はイアンは昔KGBのビルだった所の屋上にある ナイトクラブに行きたがっており、それで今日二人でそこに行こうかと いう話になっていたのだ。そして、僕が彼の家に電話をかけるか、彼が僕の ホテルに伝言を残すかで連絡を取ろうということで合意していた。 僕は昨日予期せずナギズの家に泊ってしまったので、今朝電話をかけることが できなかった。だから、きっと彼が僕のホテルに伝言を残してくれるだろうと 思っていたのだ。

 果たして、ホテルの僕の部屋のドアには一枚の紙切れが挟んである。当然 イアンからだろうなあと思い、紙面を開いてみるが、意外にもその手紙は イアンからではなくて昨日ウズベキスタン大使館で出会ったフランス人の 女の子からの手紙だった。彼女は僕のアドバイスにしたがってホテルを移って 来たとのこと、そして出来れば僕にいろいろと情報を提供して欲しい ということが書いてあった。早速彼女の部屋のドアをたたいてみるが、残念ながら 彼女は帰っていない。また後で寄ってみよう。

 イアンからの伝言は無かったので、急いで彼の家に電話してみるが、電話は 全く通じない。しばらく粘ったが、あきらめて今度はホテルの人に 場所を確認して日本大使館に向った。大使館は意外にもビルの中にテナント として入っている。日本大使館の入っているビルの向かいにはイタリア大使館と オーストラリア大使館の入っているビルがあった。実はカザフスタンでは 現在新首都の建設中だ。カザフの首都アルマトイにしても、キルギスの 首都ビシケクにしても、ウズベクの首都タシケントにしても、どういう訳か この辺の国の首都はどれも国境からそれほど離れていないところに建設されている。 きっと旧ソ連の政策なのだろうが、独立国家の首都としては、それでは いろいろと不都合があるに違いない。そんな理由もあってか、現在彼らは より内陸部に新首都を建設中なのだ。だからきっと各国の大使館も現在の大使館を 暫定的なものと割り切っていて、それでビルの中にテナントとして入っているのだろう。

 僕は大使館というのはその国の顔だと思っている。建物の立派さや、係員の対応など によって、行く前からその国のイメージが固まってしまうと言うものだ。これまでに もビザを取るために沢山の大使館を訪れた。とても親切な大使館もあったし、 応対があまりにも官僚的な大使館もあった。立派な大使館もあったし、建物は 綺麗なのに、中がとても汚い大使館もあった。そしてそんなさまざまな大使館を 見るたびに、一体自分の国の大使館はどうなのだろうと思わずにはいられなかった。 外国人を邪険に扱っていないか、日本という国の名に恥じないだけの 施設が整っているのか、等々だ。幸い今迄訪れたタイ、スリランカ、ネパールの 日本大使館はそれなりの水準にあった。そしてカザフスタンだ。

 ビルのテナントではあるのだが、セキュリティーはとてもしっかりしている。まず ビルを入ったところでチェックがあり、パスポートの提示を求められた。 そしてビルの三階に上がると、大使館の入り口にも中から鍵がかかっている。 呼び鈴も無いので、どうすればよいんだろうと思い、うろうろしていると、突然 インターホンから「どうぞおはいりください」という女性の声が聞こえて、 中からロックが解除された。どこかにカメラが設置して在ったのだろう。 中に入るとそこはビザを申請する人のための応接室になっており、奥に小さなカウンターが あった。そこで、日本語の新聞を見たい旨を伝えると、最近の物はないけれど それでも良ければご覧くださいと中からごそっと新聞を出してきてくれた。 日本経済新聞と産経新聞だった。4月の末の分まである。スリランカの大使館よりは 新しいものが入ってきているようだ。

 トイレに行きたったのでその旨を申し出ると、なんと大使館の中に入れてくれて トイレを使わせてもらえた。大抵大使館の中というものはよほどのことがない限り 入れてもらえないものだと思っていたので、その柔軟性に少し驚いた。トイレにいく までにちょっと中を観察させてもらったのだが、中はまるで外資系のオフィスのように 細かい部屋に仕切られており、大半が日本語を流暢に操るカザフ人で、日本人らしき 人達はほんの3~4人しか見られなかった。みんな忙しそうに事務作業に追われている。 その後2時間ほど心行くまで新聞を読ませてもらったが、結局その間に 来客は全くなかった。ビザを申請に来る人はあまりいないのだろうか。

 それほど大きな事件もなかったことに安心して、日本大使館を去り、 キルギスタン大使館にむかう。今度はビザを取るためだ。が、タニヤの教えてくれた 場所には大使館らしき物は影も形も見当たらない。周りの人に聞いてもまったく 言葉が通じず、しょうがないのでまたカンテングリのオフィスまで押しかけていった。 その時僕がいた場所とオフィスはそれほど離れていなかったのだ。タニヤは いなかったが、他の係の人がまた電話をかけて問い合わせてくれる。そうすると キルギス大使館はタニヤの教えてくれたところから2ブロックほど離れたところに あった。タニヤは親切なのは良いのだが、どこか抜けたところが あって、いつも苦労させられる。

 キルギスタン大使館は、茶色い木でできたおもちゃの家のような建物だった。 こんな建物からもまたキルギスタンが想像させられる。早速中に入ろうとすると 警備員に止められる。ビザを取りたい旨を伝えると、すぐに中に電話をかけてくれた のだが、一向に入館許可が下りない。きっと前の人が時間がかかっているんだろうなあ と思っていたが、30分待っても一向に許可が下りないので、なにか別の理由なのでろう。 しょうがないので、警備員とまた各国の言葉を取り混ぜたカタコト会話で話を した。大使館は5時までのはずなのだが、5時を過ぎても一向に音沙汰が なかった。そしてついに5時20分ころに大使館員が外に出てきて、「すまんが 6時にもう一度来てくれ」と言って、すぐに中に引っ込んでしまった。

 最近は、物事とはスムーズに行かないものであるというのが世界の常識なのだ ということがようやくわかってきたので、こんな事にも慣れたものだ。言われたとおり それから40分ほどあたりをふらついて、それからまた大使館に戻った。 夕方から急に天気が良くなってきたので、散歩するのもまた楽しい。

 言われたとおり6時少し前に大使館に戻ると大使館員がちょうどまた外に 出てきたところで、「どうぞどうぞ、中に入ってください」というしぐさで僕を 呼ぶ。大使館員は彼一人で、どうやらビザ発給専属の人はおらず、彼が いろいろな仕事を掛け持ちしているようだった。そしてちょうど僕が申請に 行った時は他の仕事で首が回らず、それで僕にまた後で来るように言ったようだ。 僕と同じかそれより若いくらいの大使館員だった。ここはビザ窓口 という様なものは存在せず、直接彼のオフィスに通される。 彼の机はさまざまな書類が 飛び交っており、彼の忙しさの一端を見て取ることが出来る。 ビザのサポートナンバーをタニヤから聞いていたので早速その番号を告げると 、すぐにファイルに閉じてあるインビテーションを出してきた。 ところが彼の机の上は書類で埋まっていたので、僕は別室に通されて、そこで 申請用紙を書くことになった。

 料金は35ドルだった。アメリカドルで払わなくてはならない。最近「日本人は ただ」というのが続いていたので、調子にのってキルギスタンもただに違いない と勝手に思っていたのだが、やはりそう甘くはなかった。大使館員は 「一時間も待たせてしまったので、お詫びに入国日も滞在期間も自由に選んで 良いですよ」と言ってくれた。インビテーションにはきちんと入国日も滞在期間 も指定されていたので、こんなんで良いのかと思ったが、せっかくなので、一週間後から 6月15日まで居たいということを伝える。そうすると、それじゃあせっかくだから 明日から入っても良いことにしておきましょうと、更に長い期間のビザをくれた 。

 これで、アルマティーでしなくてはいけないことはすべて終了した。けれども 問題はウズベキスタンにまだ一ヶ月も入れないということだ。この先の予定を もう一度真剣に考えなくてはならない。