「メディウに行かないか」昨晩イアンが言った。そこは確か、カンテングリの タニヤも勧めてくれていたところだ。だから僕は二つ返事でOKした。ただ、天気 次第だよね。と僕らは合意していた。昨日みたいなシトシト雨の中ではそこに は行きたくない。何でもメディウというのは山のかなり上の方にある スケートリンクとその周辺の風光明媚な場所なのだそうで、だから天気が良くない と行っても意味が無いのだ。

 ところで今日はピーカンだった。だから、イアンは僕を迎えに来るはずだ。そう思い、 彼を待つ。彼は昨日、その現地の人の家からホテルに移ってくるようなことを言っていた。 現地の人の家が街からあまりにも遠いのが問題なのだそうだ。それに今僕が泊って いるところは彼がもっているガイドブックに載っているどのホテルよりも安くて 設備が良いらしい。「おまえはいつも良いところを見つけてくるなあ」と 彼は言っていた。

 ところが、やってきたイアンは手ぶらだった。昨日僕と食事をして家に 帰ると、心配した家のお母さん(55歳くらい)が家の外で彼の帰りを 心配して待っていたのだそうだ。そして、彼の顔を見るなり抱き着いてきて 「良かった、良かった」というしぐさをしたのだという。「そこまで されて、宿を移るなんてとてもじゃないけど言えないよ」と彼は言っていた。 なんだか満更でもない顔をしている。

 そんな彼と、街に出て、僕は驚嘆の声をあげた。それは山だ。 頂上に雪をたたえた真っ青な山が、街に迫っている。昨日は雨で 見えなかったのだが、美しい山が、街のすぐ側に聳え立っているではないか。 僕らは軽い朝食をあと、6番のバスに乗りその山に向っていった。 街のエリアはあっという間に過ぎ、すぐにりんご畑が広がる。この アルマティというのは「りんごの里」という意味なのだそうだ。 終点で降りると、景色はますます圧倒的になった。僕らはとりあえず スケートリンクを目指して、ゆっくりと坂をあがって行く。 なんでもここは世界で一番高いところにあるスケートリンクなのだそうだ。 イアンが「すごいだろー」という調子で教えてくれたが、僕にとってみれば 「だからどうしたの」という程度のシロモノでしかない。

 


スケートリンク


 ただし、スケートリンクは置いておいて、景色がとても素晴らしい。 首都からたった20分ほどバスに乗っただけで、こんな素敵な景色の中に 気軽に身を置けるアルマティーの人をうらやましく思った。空気がおいしく、 鳥のさえずりがどこからとも無く聞こえてくる。ウルムチの天池ではせっかくの 絶好の景色のなか、趣味の悪い中国ポップスが大音響で流れていて、かなり 興ざめしたのだが、ここではそんなこともなく、自然を堪能出来る。
 


すばらしい景色


 僕らの他には背の高いロシア系カザフスタン人の女性二人がスケートリンクを 目指していた。二人の恰好はとても山に来るという恰好ではなく、どちらかというと 「夜の女」を想像させられる。体の線の見える黒い上着に、黒いミニスカート。そして 15センチくらいのハイヒールだ。この景色にはとても浮いて見える。 言葉が通じなかったのであまり会話はできなかったが、 それでも、挨拶を交わしたりはした。

 スケートリンクまでのんびり歩いて20分ほどかかった。ここでまた 問題が発生した。今日は天気が良いのだが、そのお陰で山の雪がどんどんと 溶け出して、それで道がまるで川のようになっているのだ。そして くたびれたナイキをはいている僕は、またすぐに靴下がビショビショに なってしまう。いままでこんな事で行動が制限されるなんて思っても 見なかったのだが、実際そうなるともう歩くのが辛くてしょうがなくなる。 まだシーズン前で氷が張っていないスケートリンクを見学したあとは、 さすがにその先まで登る気にはならず、そこでイアンと別れ、僕は一人 街に戻ってきた。用事もあったのだ。今日はウズベキスタンビザを取らなくては ならない。

 ホテルに戻って、もう一度両替えを済ませ、急いで大使館にむかう。昨日の タニヤの話によると、ウズベキスタンビザは65ドルで、ドルで払わなくてはならないか 、テンゲで払わなくてはならないか良くわからないと言っていたのだ。そこで 用心してテンゲも両替えしておいた。両替えに思ったよりも時間が かかってしまい、しょうがないのでまたタクシーを拾った。また適当に 手をあげる。するととても立派なベンツが僕の横で止まった。いままで、 タクシーはボロイ車と相場が決まっていたので、無視していると、どうやら それもタクシーだったようで、「どこまで行くんだい」というようなことを 言ってくる。地図を見せると大きくうなずき、70テンゲ(約100円)で商談が 成立した。立派なベンツで大使館に乗り付けるなんて、何だか 恰好良いなあなどと、一人で悦に入ってしまった。

 大使館の外ではタニヤが待っていた。彼女は、心配だから一緒に付いていくわ と言ってくれていたのだ。早速中に入ろうとすると、ここも北京のカザフスタン大使館 のように、大使館の敷地の外で順番を待つ仕組みになっているらしく、僕らは これから3番目なのだということを言われた。その時、また一人の女性に声を かけられた。彼女はフランス人の旅行者なのだそうだ。また、現地の人と 見分けがつかなかった。彼女はビザの情報を仕入にここにきたそうなのだ。 彼女の質問にタニヤはとても丁寧に答えていた。それからついでに僕も彼女に 僕の泊っているホテルの情報などを伝えておいた。

 ようやく順番が周ってきて、大きな大使館のたてものの隣に、犬小屋のように 存在する小さな建物に入って行く。ここでは、とても良いことととても悪いことが 同時に起こった。良いことは、ビザが無料だったこと。カザフ同様、日本人は ビザ代金がかからないのだそうだ。本当にこんな時はとても日本政府に感謝する。 ここで60ドルも浮くというのは大変大きい。それから悪いことは日程だ。 西安に居る時に、カンテングリに各国に入る日程を教えてくれと言われていて、 僕はあまり深く考えず適当に日程を書いておいた。どうせ後で変更出来る だろうと思っていたのだ。ところが、大使館の人の話によると、日程の変更は 受け付けないとのこと。そして僕が申請していた入国日は6月13日。 この後キルギスタンにも行くことにはなっているが、カザフは思ったよりも 見るものが無いので、早早と去ろうという計画がもろくも崩れ去ってしまった。 とはいってもこれは自業自得なのでしょうがない。 その後、タニヤとちょっとだけ公園を散歩して、そしてホテルに戻ってきた。

 


タニヤ


 夜はまたナギズである。約束通り彼が僕を迎えに来て、それで彼の家で 楽しい夕食の時間となった。彼の家に帰る道すがらビールをしこたま買い込んで 、沢山のビールで盛り上がった。アルトナイも僕が来るのを知っていたので、 特別料理で僕を迎えてくれる。僕はお土産にとワインとシャンパンをもっていった。 彼らはとても恐縮していたが、僕としても何とかして僕の感謝の気持ちを表したかったのだ 。何度かのやり取りのあと、ナギズはようやくお土産を受け取ってくれた。 アルトナイの料理は、バターを沢山使った炊き込みご飯に、牛肉の煮物を 乗っけて食べるという、シンプルだがとてもおいしい料理だった。
 


ナギス一家


 筆談の会話に盛り上がり、11時も過ぎた事だし、そろそろ失礼するよと伝えると、 ナギズは意外な顔で「なんだおまえ泊っていかないのか」と聞いてくる。実は 僕としても泊りたかったので、「え、泊っていいの」と聞き返すと二人とも 当然だよというような顔でうなずいてくれた。だから僕らはまた話を続け、 話に疲れたころ、ようやく眠りについた。