昨日から降り続いている雨は、今日も一日中続いていた。シトシトした 日本の梅雨のような雨だ。昨夜はバス旅行の疲れと程よいウォッカのお陰で ぐっすりと眠れた。ナギズとアルトナイは、彼らの子供イルダーナが何度も 夜泣きしたので大丈夫だったかと心配してくれたが、深い眠りの底にあった 僕には全く気にならなかった。その事を伝えると彼らはとても安心していた。

 さて、これからどうするかだ。することはたくさんある。まずお金が無い。 どこかで両替をする必要がある。それからウズベキスタンとキルギスタン のビザを申請する必要がある。それには招待状をお願いしてある、カンテングリに 連絡を取らなくてはならない。イアンも昨日ウルムチから飛行機で入っているはずだ。 そしてお互いの居場所をこのカンテングリに知らせることになっている。 それから泊るところだ。まさかこの新婚家庭にいつまでもお邪魔しているわけには 行くまい。そう、することはたくさんあるのだ。

 


ナギスの家


 まず、ナギズに電話を借りて、カンテングリに電話をかけてみた。ところが 誰も出ない。何度かトライしたが無駄だった。幸い住所は分かっているので、 あとで直接訪れることにしてみる。それから次は泊るところだ。ナギズにいろいろと きいてみると、彼は実は昨日僕のためにいくつかのホテルに電話して聞いてみて くれたそうだ。その結果、1100テンゲ(14ドルくらい)のホテルが あるのだが、そこに泊ってはどうかと提案してくれた。普段の僕にとっては 「高い」部類に入るのだが、ここはアルマトイ、しょうがないのだろう。

 結局なんやかんやしているうちに時間が経ってしまい、11時過ぎにようやく ナギズの家を後にし、僕らは一路ホテルに向った。雨は相変わらず降り続いている。 ナギズの紹介してくれたホテルはなかなか良いホテルだった。入り口からは一見 それがホテルかどうかわからない物だったので、自力では絶対に見つけ出せなかった に違いない。中には巨大なテレビと、巨大な冷蔵庫、それに小さなベットが 二つと机があるシンプルな部屋だ。トイレもバスタブも付いている。これで この値段なら良しとしなければならない。

 ナギズは僕がチェックインしたのを見届けると、疾風のように去っていった。 忙しいなか僕のためにいろいろと付き合ってもらって、申し訳ない。そう思った。 彼とは明日また夕食を取ることを決めて別れた。

 さて、いそいで両替だ。多分、銀行は午前中は12時までしかやっていないと 思い、だからあわてて支度する。フロントのお姉さんに地図をもらい、現在地を 確かめ、手近な銀行を教えてもらいタクシーを拾った。どの車がタクシーだかさっぱり わからないので、とりあえず適当に手をあげる。そして停まってくれたタクシーに 行きたい場所を地図で示し、さらに直接お金を見せて、料金を確認する。言葉 が通じないとはかなり不便なものだ。今迄なら数字くらいなら英語で通じたものだが、 ここではそれも通じない。

 銀行は意外にもHSB、香港上海銀行だった。( 後から全く別の銀行であったことが判明)中にはいると、カウンターのところに きちんとアメリカンエキスプレスのトラベラーズチェックのステッカーが貼ってある ので安心する。果たして他のチェックは両替できるか定かではないが、とにかく アメリカンエキスプレスは大丈夫なようだ。ただし、2パーセントの手数料がとられた 。両替レートはたいていある程度の国になれば現金レートとTCレートというのが 存在して、TCのほうがずいぶんと得に設定されているものなのだが、この国では どちらも同じレートであった。TCの両替えの時には、受け取りがドルでも この国の通貨テンゲでもどちらでも良いようだが、街で一般に流通しているのは テンゲなので、僕は当然テンゲを要求する。1ドル76.3テンゲだった。

 町中のいたるところに両替え屋があるのだが、 どこも現金でしか受け付けてくれない。さらに受け付けてくれる通貨はアメリカドル、 ドイツマルク、ロシアルーブル。半分くらいの店ではその他にキルギスタンソムも 受け付けてくれる。日本円はまるっきり無視されている。どうやら 円経済圏を離脱したようだ。

 さて、銀行が終わればカンテングリである。受け取ったインビテーションに書いてある ファックスによれば、カンテングリはアバイ通りの48というところにあるそうだ。 銀行の人に地図を見せて場所を聞いたのだが、たいていアルマティーの人は交差する 二つの道の名前で場所を把握するので、これでは場所はわからないと言われてしまった。 確かにこの街は札幌や京都のように綺麗な碁盤の目に作られた 街で、交差する通りを二つ言えばそれで大体の場所を把握できる。銀行の人の話 によると、この先3ブロックほど南に行ったところにあるカザフスタンホテル というところからこのアバイ通がはじまるから、そこを歩いてみるのが 良いのではないかということだったので、僕はその助言に従って、とにかく歩いて みることにする。

 そう言われて街を歩いて初めて気が付いたのだが、この街にアジアの匂いはしない。 とにかく街が整然としていて、そして綺麗だ。さらに歩いている人も着飾った 恰好をしている。通りには洒落たオープンエアのカフェがたくさんあり、スーツを 来た人が談笑している。人種的にはヨーロッパ人種がかなり目立つ。 アジア人種も居ることには居るのだが、そんな彼らもビシっとしたスーツに 身を固めているの物だから、なんだか今迄と勝手が違う。僕は国境だけではなく、一つの大きな文化圏を越えたのだなあと実感した。

 アバイ通りは目抜き通りの一つなのだが、ゆったりとした緑豊かな通りで、 車通りもそれほど多くなかった。建物はさすがに旧ソ連の街並みらしく 特徴の無い、馬鹿でかい建物ばかりが続いた。住所はカザフスタンホテルを 背に右手が奇数、左手が偶数で進むのだが、なにぶん一つの建物が大きいだけに いったいいつになったら48に行き着くのか大変不安になった。

 ところで腹が減った。そう言えば時間はもう1時を回っている。そう思い、 手近なカフェに飛び込んで、昼飯を食べてみることにする。そこは この辺のビジネスマンの「ランチ」の場所という感じで、客の 恰好はやはりいままで飛び込んだ「食堂」とは圧倒的に違った。 入り口で注文してその場でそれを受け取り、中で食べるというカフェテリアスタイル だ。そこで何でもよいからお勧め料理が欲しいということをなんとか伝えて ようやく食事にありついた。お勧め料理は「ウイグルスパゲッティー」を ちょっとアレンジしたようなものと、中にジャガイモが入っている蒸し餃子だった。

 飯を食ってさらにアバイ48を目指す。としばらく歩いた所にある交差点で 見慣れた顔がこちらに歩いてくるのを見つけた。彼も僕とほぼ同時に僕を見つけた ようで、お互いに手をあげて再会を喜ぶ。イアンだ。話したいことはいっぱいある。 イアンもそれは同じらしく、僕らはまた僕が飯を食ったカフェにもどり話をする ことにした。彼の第一声は「お金返さなくちゃ」だった。実はウルムチで再会 した時に僕は元をあまらせて困っており、同時にイアンは元が足りなくて困って おり、どちらにしてもアルマティで再会できるだろうからと僕が200元ほど イアンに渡していたのだ。国境では元を両替えする場所が無かったので、僕に とってはこれはとてもありがたい申し出だった。更にイアンは僕にとってかなり 有利な両替えレートを使って、テンゲで返してくれた。そんな彼にとても感謝した。

 彼はもう一つとても大事な情報を持っていた。というのはカンテングリは 二日前にオフィスの場所を移転したのだそうだ。前々から電子メールで 移転するとはきいていたのだが、どこに移転するのかはまだわからないので、 分かったらまたメールすると言われていて、結局最後にウルムチでインターネット にアクセスした時まで情報は来なかった。タイミング悪く、僕がバスに乗っている 時に彼らは移転していたようだ。イアンはかなり苦労したのだが、最終的に ようやく場所を見つけだしたんだよと教えてくれた。

 その後も沢山の話に華が咲く。彼の飛行機はかなり遅れて結局アルマティーに 到着したのは僕と同じころだっただとか、空港でビザをとると55ドルだ ときいていたのに、結局105ドルも取られた上、1時間も待たされたことや、 今、1000テンゲ払って地元の人の家に泊めてもらっていることや、カンテングリ で僕らを担当してくれているタニヤという女性はなかなか綺麗でフレンドリーで あるということや、もう話に際限が無い。

 と、隣に座っていた女性が突然話し掛けてきた。流暢な英語で僕らはちょっと 驚く。なんでも彼女も今朝ここに着いたばかりのバックパッカーなのだそうだ。 アメリカ人で、ウルムチから列車でここに入ったという。トランジットビザなので もう今晩ここをでて、ウズベキスタンに向わなくちゃならないのと言っていた。 僕はそんな話をきいていて、心底驚いていた。こんなところにも沢山のバックパッカー が居るのだなあということに驚いたのではない。彼女に話し掛けられるまで彼女が 旅行者だと言うことに気が付かなかったことに驚いたのだ。いままでだったら、 西洋人バックパッカーというのはその存在だけでかなり目立つものだった。 けれどもこの街では西洋人というのは街に溶け込んでいる。この街はまるで ヨーロッパだ。

 イアンと夕食の約束をして、僕は一路カンテングリを目指す。ところが一時期 収まっていた雨がまた激しくなってしまい、僕はしょうがないので 傘や外套を取りに一度ホテルにもどることにする。そしてホテルに帰るまでに とても苦労してしまった。特徴のない、整然とならんだ通りを歩いていると、 自分を簡単に見失ってしまうのだ。歩いて10分で行けるはずの所を、結局 1時間もさまよってしまった。防水性が売りで買ったナイキのウオーキングシューズ は、さすがにこの一年間の過酷な旅でかなりくたびれてしまったらしく、 ぼくがホテルに行き着く頃には、水が盛大に染み込んで来てしまい、靴下がビショビショ に濡れてしまっていた。

 結局ホテルからカンテングリに行き着くまでも、盛大に迷ってしまう。たぶん 普通に行けば30分で歩いて行けるところを2時間もかかってしまった。まあ、 街というのは道に迷いながら全体を把握して行くものだ。とは言っても、今日は 天候が悪かった上、靴に水が染み込んでくるという最悪の事態が続いたので 結構つらかった。苦労して行き着いたわりに、カンテングリの人は素っ気無く、 (オフィス移転を知らせなかったことを謝るわけでもなく)とりあえず約束の 70ドルをテンゲで払って、帰りはタクシーで5分でホテルに帰ってきた。

 夜はまたイアンと盛り上がる。ただしここのレストランはとても高い。 ビールの中ジョッキ(500ML)で日本円で500円以上もする。そんなに 沢山食べたという訳でも無いのに、一人2000円ほどだった。

 やっぱり僕は大きな国境を越えたんだとあらためて思った。