朝食を食べているとパムッカレのセファさんから電話がかかってきた。 「ホテルはどうだい?インターネットは問題無く出来ているかい」僕を 心配しての電話だ。「大丈夫だよ。まったく問題無いよ。ここの人はみんな とても親切で、だからとても楽しく過ごしているよ」と言うとセファさんは とても安心していた。僕も彼のそんな心遣いがとてもうれしかった。

 実際本当にここの人達は暖かい。朝食もとても凝っていておいしい。 5種類の手作りジャムが目の前に並んだ。こんなにすばらしい朝食は 久しぶりだった。  

 


 この旧市街のあたりはまるで迷路のようだ。昨日、夕食後に街を周った時も そう感じたが、今日明るい時間に街を散策して更にそう思った。カシュガルの 迷路とはまた違った趣がある。石畳の道の両側には趣向を凝らした沢山の 建物が並んでいる。色とりどりの看板が僕らを誘う。お土産物屋が並び、 古いカーペットや絵皿が華を添えている。趣味の良いカフェやレストランが ドアの隙間から覗く事ができ、そして気が付くと海が見えてきた。まるで この一帯はテーマパークのようだ。絞りたてのオレンジジュースを飲みながら そんなことを考えた。

 カシュガルの時と同じように、よく声もかかる。半分くらいは商売の声なのだが、 僕のほうからもどんどんいろいろな人に声をかけるので、簡単な会話をいくつも 交わす事が出来た。

しまいにはお茶をご馳走になったこともあった。

土産物屋の 店先に座って、簡単な世間話をするだけでもとても楽しかった。
 


迷路のような街並み


 海のほうに行ってみた。沢山の観光客相手の船が停まっている。遥か向こうには 白い砂浜が輝いており、巨大なホテルがいくつか海沿いに建っているのが見えた。 カレイチのあたりは切り立った崖になっているので、砂浜という訳にはいかない。 ただ、小さな入り江を利用した海水浴場の様なものがあった。どうやらお金が かかりそうだというのと、一人でそんな所にいっても面白くないと思い、 海水浴はパスする事にした。ただ、せっかくここまで来たのだから是非とも 地中海に触りたい。そう思い防波堤の先の岩場に腰を下ろし、塩水に足を浸した。 そのあたりでも泳いでいる人が何人かいて、僕はまた沢山「メルハバ(こんにちは)」 と言った。
 


マリーナ


 水はとても透き通っている。たいてい港の水はどす黒く濁っているのが相場だと 思っていたが、海の底まではっきり見て取れるほど透き通っている。魚が 遊んでいるのが目に入った。上の方に小さな魚が群れていて、下の方に大きな魚が 群れていた。ちょうど誰かがパン屑を捨てたところらしく、小さな魚がそのパン屑を ついばんでいる。沢山の魚が一瞬パンの所にいき、一口だけ食べては遠ざかって 行った。仲良くみんなで食べましょうという感じだった。
 


海水浴場


 けれどもパン屑は次第に重くなったのか底の方に沈んでいった。すると今度は 大きな魚の番である。そのパン屑を見つけた大きな魚がパン屑を食べようとした ところに、それよりもちょっと大きな魚がその魚を押しのけてパクっと一口で 全部食べてしまった。こちらのほうは生存競争がなかなか激しい。その後はまたなに ごとも無かったように魚たちはあたりに散ってしまった。だから僕もその場を去る ことにした。

 迷路をさまよっていると、ちょうどアザーンの時間になった。トルコを旅していると、 ここは本当にイスラム教の国なんだろうかと疑わしくなることがある。特に 敬謙なイスラム教国であるイランを旅した後だけに、あまりにも開放的な雰囲気に 驚いてしまう。

肌をあらわにした女性が平気で街を歩いていたり、街のカフェで 男達が平気で酒を飲んでいたり、ポルノ映画館だってエロ本だってそこら中に溢れている。 スポーツ新聞の内側の記事は日本以上にピンク色だ。酒については寛容だった 中央アジア諸国に比べてもこの辺は大きな違いがある。

 ところが、そんなトルコで、イランですら感じることができなかった「イスラム教」 が存在した。それがアザーンだ。お祈りの時間になるとロケット型のミナレットの 上のスピーカーからこぶしをまわした歌のようなアザーンが聞こえてくる。 長い時もあるし短い時もある。けれども独特の節回しはなかなか味のあるもので、 僕は夜中にこのアザーンで目を覚ませられたとしてもそんなに腹が立たなかった。

 僕はずっとこのアザーンはテープか何かなのだろうと思っていた。けれども実は それが肉声だったことに、今日ようやく気が付いた。今日アザーンがはじまった時に 僕は丁度モスクの真ん前にいた。良く見るとミナレットの入り口が半開きになっている。 そしてその半開きのドアの内側で男がマイク片手に唸っているではないか。自分の 声を聞き取るためだろう、片耳をふさいでまるでカラオケでもするかのように気持ちよく うたっていた。アザーンが終わり彼が出てきたところで僕と目があった。僕が 拍手をすると彼はちょっと照れたように笑った。更に握手をすると「どうもありがとう」と トルコ語で言った。こういう職に就いているからだろうか、アイロンのかかったこざっぱりした シャツに身を包んだ紳士だった。

 実はもう一つトルコに入ってから「イスラム」を感じる事があった。これは他の イスラム圏でもそうなのかも知れないが、あまり聞かなかった事だ。それは 割礼だ。トルコの男の子はある程度の歳になると(3~10歳くらい)ちんちんの 皮を切ってしまうのだそうだ。その日は一家の大行事で、数日前から男の子たちは トルコの正装をして街を歩き回る。イスタンブールに居る時はそんな正装をした 子供たちをよく目にした。7歳を過ぎる頃になると、子供たちも何をするのか把握 していて神妙な顔つきをしていたものだが、それ以前となると、ただ単に恰好良い 衣装(トルコの民族衣装で、脇に刀をさしている)を着る事が出来てそれだけでうれしいという 感じだった。

 ちょうどアヤソフィアに泊っているときに宿の従業員のアリババの友人の子供が その時期で、その日は大勢の人が集まってパーティーをし、その後子供を病院に 連れて行き皮を切ったあと、子供はベットでうなり、大人たちはバーベキューで盛り上がる のだそうだ。いちおう子供のベットは子供が好きな沢山のものがプレゼントされる のだそうである。アリババの友達の子供は4歳と9歳で二人同時に行うのらしい。 その友達と何度か話しをしたが、父親である彼も結構緊張しているようだった。

 話し次いでに他にトルコ人の面白い習慣だと思ったのは、脇毛と陰毛だ。 胸毛はそのまま生やしているくせに、その二個所については 伸びていると不潔と言う事で剃ってしまうのらしい。(女性はどうかよくわからない) これはイスラム 圏共通だと言っていたが果たして本当なのだろうか。それにしても文化の違いというのは 面白い。

 

 


 夜はまたシーフードに舌鼓をうった。この辺はエビは高級品らしく値段がとても 高かったが、記念にと思いエビの串焼きを食べた。おいしいにはおいしかったが、 日本だったら(特に北海道だったら)もっと安くておいしいものが食べられるのになあ とも思った。

 当初このあとアダナに入りすぐにシリアに行こうと思っていた。けれども午前中に バス会社をあたるとアダナまでは11時間もかかる上夜行バスしか走っていないという。 11時間というのはちょっと辛いので、明日はどこか途中の街まで行くことにしよう。 さて、明日はどこまで行けるんだろうか。