長かったアジアも今日で区切を付ける事になる。イスラエルがアジアかと言われると イマイチピンと来ないが、地政学的にはここはアジアだ。明日入るエジプトにしても いままで滞在したシリアやヨルダンと同じアラブ圏に括られるが、地政学的に エジプトはアフリカだ。なんだかピンとこないが、とりあえず500日あまりを 経て、いよいよアフリカに入る。


 エルサレムからエジプトの首都カイロまではここからダイレクトバスが出ている。公営のバスではなく、旅行会社が主催するバスなのだが、それで行くのが 一番便利なのだと別の旅行者から教えてもらっていた。料金は73シェケルだと いう。20ドルにも満たない。これはお買得だろうと思い、昨日教えられたマサダ ツアーというところを訪れた。本当は今朝のバスでもうエジプトに入ってしまおうと 張切っていた。ところが、今日はユダヤ教の祭日にあたり、だからバスはおろか 国境も閉まっているのだという。しかも追い討ちをかけるように、料金は 73シェケルではなくて73ドルであることが判明した。バス料金自体は35ドルだが、なんとイスラエルの出国税が32ドルもし、エジプトの入国税も6ドル かかる。イスラエルとは最後まで金のかかる国だ。  

 しょうがないので出発は10月1日ということにして、今日一日は最後のアジアを 思いっきり満喫する事にした。このあたりに住むユダヤ人とは宗教に厳格な人達なようで、 祭日は実は昨日からはじまっていた。夕飯を食べに行こうと新市街に繰り出したのだが、 ユダヤ人の商店が林立する新市街の店は、見事にすべて閉まっていた。まだ 午後7時にも関わらずにだ。どうやら彼らの祭日というのは前日の日没から、当日 の日没後1時間まで25時間続くのだそうだ。だから彼らにとっては昨日の夜7時 というのも既に祝日で、宗教教義にのっとって文字どおり「安息」しているのだろう。 マクドナルドやケンタッキーまで閉まっていた。昼間あんなに活気のあった街の 中心街は、まるで深夜2時の街のようにまばらに人が行き過ぎるだけだ。そんな ゴーストタウンを僕は腹を空かせてさ迷った。

 

結局アラブ人街のある旧市街に戻ってきて飯にはなんとかありつけた。当然の ことながらアラブ人にとってはユダヤ人の教義など全く関係無い。

今日もそれは同じだった。ユダヤ人が管理している観光名所はすべてお休みだ。 嘆きの壁に行って写真を撮ろうとしたら、それも禁じられた。その後ユダヤ人の 子供の写真を取ろうとしても彼らに断られる。何でも今日は祝日だから写真を 撮られるのは禁じられているのだそうだ。子供達に結構つっけんどんな対応を されたので、ちょっと傷ついた。アラブ人の人懐っこさはそこには全く存在 しなかった。

特に行くところも無く、だから今日はとにかく旧市街をうろつく事に精を出した。

 城壁に囲まれた旧市街はかつてすべてがアラブ人の居住区だった。

けれども今では キリスト教徒であるアルメニア人街やユダヤ人街も一角を連ねている。 この地区を歩いてみると、 その綺麗さに驚く。基本的に細い道にクリーム色の岩を積み重ねて家が造られて いるという構造は変わらないのだが、まだ新しい。つまりそういう事だ。 かつて住んでいたアラブ人はここから追い出されてしまい、そこに新たな居住区を 作り上げたわけである。

 

キリスト教徒の13歳の男の子が人懐っこく僕に話し掛けてきた。

彼はイスラム 教徒の子供達とも気さくに遊んでいる。ひょっとしたらイスラム教徒はユダヤ教徒 とはかなり敵対してはいるが、キリスト教徒とはそうでも無いのかもしれない。 彼は7歳くらいのイスラム教徒の子供の手をひいて雑踏の中に消えていった。


 今回この地にいて、あまりユダヤ人と会話できなかったのが残念だ。

是非とも 彼らの意見を聞いてみたかったが、今日は祭日なのでそんな話をするのも禁じられて いるらしい。ユダヤ人とまともに会話をできたのは、イスラエルに入国する時 に話をした運転手くらいのものだ。

彼はあからさまにアラブ人を差別しており 、彼らをまるでうるさい蝿のように見下していた。

まあどちらかというと彼は 一方の極端に位置するのであって、すべてのユダヤ人がこんな風では無いと思うが、 もう少し他のユダヤ人の話も聞きたかった。

イスラエル・パレスチナ問題というのは単に10日ほどこの地に滞在した くらいでは何も語れない。

けれども少なくとも現実を目の当たりにし、幾ばくかの 歴史を学ぶ事が出来たということは、ここにやってきた大きな収穫だったと思う。

 さて、これからアフリカだ。今迄よりもずっと大変な旅が予想される。もう一度 気を引き締めて、頑張っていこう。