昨年末から関わらせて頂いている案件を通して、


私は

モダンをやりたくてモダンを選んだわけではなく

求めていた環境や得られるものがそこにあったからモダンをやっていた


ということに気づき、


そこからいろいろなことを考えたり振り返ったりしてきました。



そこから進んで、だいぶ考えもまとまってきたなと感じたのは、ここ最近見たダンス系のテレビ番組から。


今は

ダンスジャンルが何であるとかよりも

いかに魅せることができるか(エンターテイメント性の高さ)


団体演技だったとしても

個々がいかに輝けるか(更に上を目指すならば個々を足し合わせた結果を団体演技とする)


といったところにあると言えると思います。


もちろんベースに何を置くか(一旦身につけているか)というのはレベルが上がれば上がる程に出てくるのではとも思うのですが、

それも引っくるめて、構成や振付ができる人がいれば、それもまた個性的な作品となるんですね。



今昔の比較で動画の存在がよく取り上げられるのですが、特にどこかというと、寄りで見ることが増えたことにあるのだと思います。

(プラスして可動する視点


舞台は引きで見ることが多い(プラス固定視点)ので、見せ方が全く違いますね。


だから今でも、舞台ベースのものはそこまで大きく変わってはいないとも思えます。


それでもそれが中継されたり録画されるにあたっては、ビデオの質も良くなってきましたし複数台での編集が容易になったことから、中継や録画を見越して舞台をするということも(特にコロナ禍を経て)、出てきています。



踊り手の視点に立つと、

多くの人にわかってもらうというよりも自身を中心にその目線が合う人にわかってもらうということに重きが置かれているように思います。


そしてそれを貫いた結果のところに、“多くの人を驚かせるような”というエンタメ性が出てきます。



驚かせ続けるというのはなかなか難しいことで、決まったオチや展開を安心する人の心理も完全に無くなったわけではないので、


そのあたりの匙加減は、

自分たちを観に来てくださっている(興業公演的なもの)なのか、

審査する人たちが見ている(コンテスト的なもの)なのか、

によるのだろうと思います。


以前はそこに明確な違いがあって、振付をする人も分かれていたように思うのですが、

感覚的に今は後者目線でないとウケないのかなぁとは感じています。



そういう意味で、

モダンとかコンテンポラリーという言葉の元々は

常に斬新なもの

時代を象徴するようなもの

だったはずなんですよね。


だからこそ、どんな踊りかと聞かれると答えにくかった。


でも今は教科書的な説明ができてしまうひとつのジャンルにもなってしまっていて、

それを先導する人たちも変われない年齢や立場になってしまっていて、

「とにかく古い!」となったんだなぁ…と。。汗うさぎ



そして長年の違和感が解消されてスッキリしたものの、

ここで私はまた深い深い沼にハマってしまったわけですが。。


それはまた追々。。


とりあえず良くも悪くも沼ってしまって、周りから奇異の目で見られそうながら、

幸い受け入れてくださる方々の支えで、この年齢で、ひとつ作り上げてきた形を傍に置いて、


本来の人の動き

今の価値観


に身を置くという作業を続けています。


この繰り返しを諦めるまでは、現役でいられるはず!と信じて。昇天