見えるものを
見ず
見えぬものを
見よ
とは、 人を観(み)る時は、
その人の心を観るように心掛ける事
先日、たまたま家族が観ていたTV番組で美輪明宏さんが言われていた言葉です。美輪さんは子供の頃、実家で営んでいたカフェに来るお客さんを見て思ったんだそうです。
カフェを訪れる、世間では権威があると思われていた医師や教師たちが酔っ払って、給仕の女性のスカートの中に手を突っ込んだり頭を潜り込ませている乱れた姿を見て、普段は偉そうにしていても本性は大したことないと知り、人を見た目や肩書きで判断してはならないと思ったんだそうです。
これを聞いた時、まさにこれからの時代に必要な言葉だな、と思いました。
この2年半、医者だから、著名な政治家だから、有名人だから、人気のタレントだから、などという理由でどれだけの人が騙され、打たなくていい💉を打ち、どれだけの人が犠牲になってきたんだろう…
美輪さんのお話を聞いて、これからの時代は
「心の眼」というものが本当に大切になってくるな、と改めて思いました。
そして、松下幸之助さんは、人間のカンについて、
ご著書「道をひらく」の中で以下のように述べられています。
以下引用
「 カンというと、一般的には何となく非科学的で、あいまいなもののように思われるけれども、修練に修練をつみ重ねたところから生まれるカンというものは、科学でも及ばぬほどの正確性、適確性を持っているのである。そこに修練の尊さがある。」
「世に言われる科学的な発明発見の多くのものは、科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて、そのカンを原理づけ、実用化するところから生み出されている。つまり、科学とカンとは、本来決して相反しないのである。」
「要は修練である。練磨である。カンを働かすことを、もっと大事にして、さらに修練をつみ重ねたい。」
やはり人間のカンというものは馬鹿にしてはいけませんね。松下幸之助さんのおっしゃる通り、科学的根拠は後からくるもののように私にも感じられます。
今回の「コロ💉も」、色々調べるより前にまずは自分の直観で「何か気持ち悪い」と感じた人達は、まさにそれが正しかったという結果が今、出てきていますよね。
私の知人の何人かも、一切何も調べていないにも関わらず「何となく気持ち悪い」という自分の直観に従って接種していない人達がいます。
そして今、「自分の直観に従って良かった」と彼らが言うように、今回やむなく接種してしまった方も、これからは直観を磨き、自分の内なる声にぜひ従っていただきたい、と思います。
今、日本では様々な安全が崩壊してしまい、食べる物から電磁波から何から何までが人間の脳に悪影響を及ぼすもので溢れ、直感が働きにくい環境にされています。
なので、農薬や食品添加物を極力減らしたり、電磁波対策をしたり、出来るだけ自然に触れたりすることも直観を磨くのに大切なことだと思います。
そして、自分の直観を信じることが一番大切なんですが、誰かを信じる時にも、自分の直観が頼りになります。「この人のことは信じるに値する人間か?」と。
これからは、疑心暗鬼にならずに人との信頼関係を築くための、人や様々なものを見抜く「心の眼」を養うためにも直観を鍛えていくことが益々必要になってくるような気がします。
最後に、もし良かったらコチラにぜひご署名をお願いします。子供達を守るために‼
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