昨年亡くなった母の実家は静岡県浜松市天竜区です

お葬式や四十九日にはおじさんおばちゃんいとこにいつもこちらに来てもらうので
父が車で行きたいと言ったのです

17日に愛知県知多郡武豊町から往復しました

私は免許が無いのでずっと父が運転して行きます

母が癌で入退院を繰り返すようになってから5年以上は行っていないのです

父は先日岐阜県中津川市のおばさんが亡くなったのでおじさんやいとこを4人乗せて片道2時間半を往復してきたそうです

それで自信がついてしまって同じくらいの距離の母の実家にもお礼に行きたいと言い出したのです

11日弟に言ったら「大丈夫かぁ?止めといた方がいいぞ」と弟が言うので父はムッとして「ええわまぁのりえと行って来るで」と言い返していました
そぉしたら弟が「そぉかぁそれならいいわなぁ」と言うので父は「ふん」と頷いていました

私免許無いんですけど…


16日の前日から実家に帰りました

まずはスーパーへお昼ごはんと夕ごはんのオカズを買いに父と2人で行きました

スーパーのお魚屋さんには朝取れたてのまだ生きているタコがありました

今の時期のタコは旬だそうです

おじさんとおばさんに買って行くことにしました

お魚屋さんにタコの内臓をとって塩もみして冷凍してもらうように頼んできました


実家のリビングには父が買ってきたお土産が山のようにありました

海苔・海老せんべい・佃煮・味だし醤油などなど

父はメモにリストを書いてあれこれ買ってありました


お昼ごはんを食べてから実家の2階で母の遺品を整理しました

おばさんが鞄をもらってくれると言うので父と2人で探しました

中身のわからない衣装ケースが3つもあったので開けてみました

1つ目は予想どおり母の鞄でした

2つ目は私や弟が子供の頃に着ていた古い着物でした

父が長年探していたたんぜんも出てきました

3つ目は母がUFOキャッチャーでとった縫いぐるみがびっちり入っていました

驚きました

母の鞄を段ボールいっぱいにして1階に下ろしました


それから干物も買いたいとのことだったので夕方に父のお奨めの干物屋さんに父と2人で行きました

穴子と鯛と鯖の3種類の干物を6軒分買いました

カチンコチンの冷凍の干物を冷凍庫から出してもらって発泡スチロールに氷と一緒に入れてもらいました

17日の朝出発前に取りに行くことにして冷凍庫に入れておいてもらってきました

それからガソリンスタンドで給油してからスーパーによってタコをもらってクーラーボックスに氷とドライアイスと一緒に入れて帰ってきました


実家に帰ってから父と2人で車にお土産などを積みました

トランクの中だけでは入りきらず後ろの座席にも山のようにお土産を乗せました


夕ごはんを食べたら私はとっても眠くなってリビングで1時間くらいうたた寝してしまいました

その間に父がお風呂の用意をしてくれたのでなんとか起き上がってお風呂に入りました

そして20:00には寝てしまいました


17日の朝6:00に目が醒めました

父が玉子入りのお味噌汁を作ってくれました

納豆・お漬物・佃煮・おポテトサラダ・味噌汁・ご飯を食べました

それから支度をして冷凍庫のタコと佃煮を車に積んで母の遺影を持って父と2人で栄養ドリンクを飲んで8:00に出発しました


まずは干物屋さんに寄って頼んでおいた干物を取りに行きました

店員さんはとても親切で浜松まで行くと行ったら干物が入った発泡スチロールの箱に氷を3袋も入れてくれました


高速道路には豊川ICから乗りました

父は赤塚PAでトイレに行ってスポーツドリンクを1口飲んだら「さあ行こう」と車に乗るので驚きました

5分も休憩していないのです

ちょっと心配になりました


まずは浜松西ICで降りて北区のおばさんの家に行きました

このおばさんは末っ子で一番母と仲が良かったのです

ちょっと迷ったので10:40くらいに着きました

番犬のサクラに吠えられましたが手の臭いを嗅がせて「サクラいいこだね」と言ったらすぐに黙りました

隣りにいとこの家があるので顔を出してからおばさんの家に上がりました

母の遺影を出してテーブルに置きました

おばさんはとっても美味しいメロンをご馳走してくれました

久しぶりに会ったおじさんと話しができて父は上機嫌でした


おばさんに助手席に乗ってもらってナビゲーターをしてもらいました


次は母の実家に行きました

おばさんは「3日前から待ってるで早く行かないと」と言っていました

父が日曜に電話をしてから待っていてくれたようです

母の実家には11:30くらいに着きました

母の実家ではお刺身つきの美味しい仕出し弁当を用意して待っていてくれました

お弁当を食べていて母の遺影を出し忘れたので食べ終わってからテーブルに出しました

デザートに美味しい西瓜を出してくれました

ここでも父は上機嫌でおじさんおばさんとたくさん話しをして笑っていました

おばさん達に母の鞄を見てもらいました

みんな1つずつもらってくれました

おばさんは「仏壇に供えてやって」と夏には珍しいミカンをくれました


次は車で5分のおじさんの家に行きました

いとこが待っていてくれてお茶の葉をくれました

おじさんがお茶摘みした物です

いとこと話しながらお土産を下ろしていたらちょうどおじさんも仕事から帰ってきました

ゴーヤで作った玄関先のグリーンガーテンと金魚を見せて自慢していました
のりえのおいしいごはん日記-130717_144747.jpg

おじさんにタコをあげたらニコニコして喜んでいました

おじさんの大きなゴーヤを3つもとってもらってきました

ゴーヤに混じって小さな西瓜もなっていたのでもらってきました

母は小さな木の実や南瓜を玄関に飾るのが好きだったのです


次は浜北区のおばさんの家に行きました

15:00頃着きました

テーブルに母の遺影を出して置きました

冷たいお茶をいただきながらここでも父は上機嫌で笑いながら話しをしていました

おばさんにも母の鞄を1つもらってもらいました


次は畳屋をやっているおじさんの家に行きました

16:00頃着きました

おじさんは釣りからちょうど帰ってきたところでした

大きなボラをたくさん釣ってきたそうです

テーブルに母の遺影を置いてみんなで笑いながらいろんなことを話しました

ここでも父は上機嫌でした

おばさんは最後に残ったリュックを2つもらってくれました


最後に歳が一番上のおばさんの家に行きました

おばさんの家は農家です

大きな梨畑や田んぼを持っています

おばさんはもぉ90歳近いのです

少し耳は遠くなりましたが毎日元気に畑に出ています

16:00くらいに着いたのですが家に誰もいないので畑に探しに行ったらおばさんがいました

母の遺影をテーブルに置いてみんなで笑いながら話しました

おばさんはお米をお土産にくれました


北区のおばさんがナビをしてくれたおかげで親戚の家をスムーズに廻ることができました

最後におばさんを北区の家におくって行きました

18:00頃着きました

また番犬のサクラが吠えるので手の臭いを嗅がせて「サクラいいこだね」と言いながら両手を出したらサクラは自分から撫でさせてくれました

おじさんとおばさんにお礼を言って帰ろうとしたらおばさんが菓子箱をくれました

それからお礼を言って帰ってきました

浜松西ICから高速道路に乗って新城PAでトイレ休憩をとって帰りました

夕ごはんのオカズを何にしようか話しながら帰りました

取れたてのゴーヤと冷蔵庫にはお豆腐と玉子と竹輪があったのでゴーヤチャンプルを作ることにしてスーパーなどには寄らずに帰りました

20:00頃携帯に電話が畳屋のおじさんから入りました

「もぉ帰ったか~?」と聞くので「まだ半田の手前だよ」と答えると「そうかそうかわかったわかった」と電話が切れました

おじさんは心配してくれたのです


20:30頃実家に着きました
事故も無く無事に帰って来られてホントに良かったです

車からおじさんおばさんにもらったお土産を下ろしました

父は上機嫌で無事に着いたお礼の電話をおじさんおばさんにかけていました

その間に私はゴーヤチャンプルを作りました

大きなゴーヤ3つに小さなお豆腐1丁と玉子1つではゴーヤが多過ぎました

隠し味に少し入れようとおもった砂糖の塊が入ってしまいました

醤油とだしでなんとかしましたが失敗ゴーヤチャンプルの山盛りが出来上がりました

父は「もう少し苦くても良かったな」と言いながらたくさん食べてくれました

21:00にごはんを食べて
22:00にお風呂に入って
23:00に寝ました


18日は1時間お寝坊しました
7:30に目が醒めました

朝ごはんは父が用意してくれて私が起きるのを待っていてくれました

朝ごはんは父が作った玉子とネギ入りのお味噌汁と昨日の残りの失敗ゴーヤチャンプルでした


数日前から父の身体中に原因不明の湿疹ができていたので11:00頃から父は皮膚科に行きました

心配だったので私もついて行きましたが小さな病院で患者さんがいっぱいなのでその間は近くのスーパーで待っていました

1時間くらいで父は病院から出てきました

痒みを止める注射を打ってもらって飲み薬と塗り薬を出してもらってきました

それから父と2人でスーパーでお買い物をして帰りました


お昼ごはんを簡単に済ませて14:00頃父が「俺は昼寝するかな」と言い出したので私も2階でお昼寝をしました

15:30頃起きると父は玉ねぎを刻んでいました

タッパに1回分を分けて冷蔵庫に入れておいて朝のお味噌汁の具にするのでした


私は16:00過ぎに名古屋に帰ることにしました

父はお仏壇のお供え物をたくさん持たせてくれました

おばさんからもらったお米10kgも鞄に入っているので両肩にずっしりな荷物です

17:00名鉄電車と地下鉄を乗り継いで名古屋のマンションに帰って来ました


21:00頃母と一番仲の良かったおばさんにお礼の電話をしました

おばさんが丸1日ナビゲーターをしてくれたのでおじさんおばさんの家をスムーズに廻ることができたのです

父は上機嫌で車の中ではおばさんとずっと話していました

おばさんのおかげで父も機嫌良く1日を過ごせました

あらかじめ17日には一緒に廻ってもらうように父が電話をする前におばさんには私から頼んでおいたのです


北区のおばさんには父が日曜に母の実家に17日に行くことを電話したらすぐに実家のおばさんから電話があったそうです

それから30分してまた電話が架かってきて「ごはんは用意しとくから食べてこないように」と念押しされたと笑っていました


おじさんもおばさんも父と私と母を待っていてくれました

母は亡くなる前に1度は浜松の実家に帰りたかったのですが叶わなかったのです

おじさんおばさんの家で母の遺影を出すとみんなが「良く来たなぁ」と遺影に話しかけてくれました


父ももう歳なので母の実家に自力で車を運転して行けるのはこれが最後だと思います

思い切って行って来て良かったです