昨年11月に母が亡くなった後の実家は父と
コザクラインコのピッチちゃんの2人暮らしでした
父は毎朝ピッチのカゴをキレイにして
お水とごはんをエサ箱に入れてあげていました
ピッチはそれを父の肩の上で見ていて
エサ箱にごはんを入れているとパクパク食べて
かえたばかりの新しいお水で水浴びをするのでした
辺りはビシャビシャです
父が新聞を読んでいると必ず新聞を持っている
父の手にとまって一緒に新聞を見ていました
父が新聞をめくるたびに
ピッチが新聞に穴を開けます
読んだ印をつけているのです
父とピッチは広告も一緒に見ていました
父はピッチが破りやすいように広告を2つに折って
「ピッチパチンコの広告見るか?」
「車の広告見るか?」とピッチにあげていました
ピッチはそれを待っていて
器用に広告を破くのでした
父が広告を見終わったら
ピッチも広告を破くのを止めていました
父がお米を研ぎ始めると
ピッチも台所に飛んで行きます
ピッチはお米の入っているボールに
無理矢理にとまって
父がお米を洗うところを見ていました
日が暮れて部屋が暗くなるとピッチが鳴きます
すると父は「何だ?電気か?」と電灯のリモコンを
手にします
ピッチはリモコンを持っている父の手に乗って
リモコンがピッといって電灯がつくのを
必ず見ていました
ピッチは父の肩に乗って「ちゃーちゃん」と言います
父は「はあい」と答えます
父が忙しくてピッチをかまってやれないときには
大人しく自分からカゴに入って寝ていたり
鏡台の上のハンドクリームの上にいました
ハンドクリームが無くなったので容器を
父が捨てたらピッチが怒ったそうです
なので実家の鏡台の上には
いつも空のハンドクリームが置いてありました
6月末にたった1日遅くてピッチを保護してあげられませんでした
悲しくて悔やまれてなりません
どうしても自分を許せないのです
私が泣いていても仕方がないのですが
泣けて泣けて仕方がないのです
ピッチは今どうしているのでしょうか?
生きていることを祈るばかりです
コザクラインコのピッチちゃんの2人暮らしでした

父は毎朝ピッチのカゴをキレイにして
お水とごはんをエサ箱に入れてあげていました
ピッチはそれを父の肩の上で見ていて
エサ箱にごはんを入れているとパクパク食べて
かえたばかりの新しいお水で水浴びをするのでした
辺りはビシャビシャです
父が新聞を読んでいると必ず新聞を持っている
父の手にとまって一緒に新聞を見ていました
父が新聞をめくるたびに
ピッチが新聞に穴を開けます
読んだ印をつけているのです
父とピッチは広告も一緒に見ていました
父はピッチが破りやすいように広告を2つに折って
「ピッチパチンコの広告見るか?」
「車の広告見るか?」とピッチにあげていました
ピッチはそれを待っていて
器用に広告を破くのでした
父が広告を見終わったら
ピッチも広告を破くのを止めていました
父がお米を研ぎ始めると
ピッチも台所に飛んで行きます
ピッチはお米の入っているボールに
無理矢理にとまって
父がお米を洗うところを見ていました
日が暮れて部屋が暗くなるとピッチが鳴きます
すると父は「何だ?電気か?」と電灯のリモコンを
手にします
ピッチはリモコンを持っている父の手に乗って
リモコンがピッといって電灯がつくのを
必ず見ていました
ピッチは父の肩に乗って「ちゃーちゃん」と言います
父は「はあい」と答えます
父が忙しくてピッチをかまってやれないときには
大人しく自分からカゴに入って寝ていたり
鏡台の上のハンドクリームの上にいました
ハンドクリームが無くなったので容器を
父が捨てたらピッチが怒ったそうです
なので実家の鏡台の上には
いつも空のハンドクリームが置いてありました
6月末にたった1日遅くてピッチを保護してあげられませんでした
悲しくて悔やまれてなりません
どうしても自分を許せないのです
私が泣いていても仕方がないのですが
泣けて泣けて仕方がないのです
ピッチは今どうしているのでしょうか?
生きていることを祈るばかりです
