自分の人生を進めるのって自己対話しかなくて。

でも自己対話するためには

他人の存在(壁打ち相手)が必要で。

 

そうなるとやっぱり

自分以外のひとは自分を知るためにあるくらいの意識で

いいんじゃないかなと思います。ええ。ええ。

 

 

はしぐちのりこです。

 

 

 

みなさんは

 

「かみさま」

 

をどんな風に捉えていますか?

 

 

 

自分を導いてくれる存在?

 

自分の味方でいてくれる存在?

 

それとも

 

悪を懲らしめてくれる存在?(*´艸`*)

 

 

いろんな捉え方があると思います。

 

 

 

私も

 

「かみさま」

 

という言葉をよく使うのですが

 

 

かみさま 

 ≒ 大いなるもの 

 ≒ 内なる自分とつながっているもの

   ≒ 無意識を使って知らせてくれるもの

 

 

のようにざっくりと捉えている時もあれば

 

 

完全に外在化して

 

あちらの世界に帰った時に会える

 

"この世界をつくっている人"

 

として

 

捉えるときもあります。

 

 

同じ言葉をつかっても

 

その時々によって変わるので

 

私の中ではかなりあいまいです。

 

 

 

1ヶ月前に

 

血管迷走神経反射を起こしたのをきっかけに

(=自律神経をやらかしました)

 

私の本来のあるべき状態とは

大きくかけはなれてしまっていたんだな

 

自分を見失っているな

 

と思ったので

 

この期間は

 

徹底的に自分の内側と対話していたんですよ。

 

(対外的には、ほぼROM状態でした)

 

 

 

そうしたら

 

 

うわ!究極の他人軸が私の中にひとつ残ってるじゃん!!!

 

 

と、気づいたことがありまして。

 

 

 

 

 

それが、この「かみさま」という存在。

 

 

 

 

私はですね

 

今までずっと

 

 

「私は、

 神様に顔向けできる生き方が

 できているだろうか」

 

 

って考えながら生きてきたんですね。

 

 

「このままの自分だと

 神様に怒られるような気がする」

 

 

そんな感覚が消えなかったのです。

 

 

 

これって、逆を返せば

 

「神様に愛される自分でありたい」

 

という想いがある証拠。

 

 

 

おおおおおおおー、

 

究極の他人軸じゃん!(@□@;)

 

親が「かみさま」にすり替わっただけじゃん!!

 

 

と(苦笑。

 

 

気づいたときには、びっくりですよ。

 

心の底からガックリですよ。

 

身体の力が抜けましたですよ(笑)。

 

 

 

自分の人生を生きることができれば

 

もっともっと開花できるはず。

 

もっと理想の自分を歩めるはず。

 

そんな風に思っていたんですね。

 

 

その裏で

 

「そうできていない自分は

 

 かみさまに怒られるんじゃないかな」

 

と思っていたわけです。

 

 

 

ということは

 

 

どこかに

 

かみさまが認めてくれる

 

はしぐちのりこ(個人)の

 

「生き方/あり方」みたいなものがあって。

 

それを探し当てようとしているというか

 

自分がそこに沿えているかどうかを

 

いちいち気にしていた・・・と、いうこと。

 

 

 

おーう・・・

 

他人の目を意識している生き方やないかい・・・

 

 

 

 

 

だって考えてみてくださいよー。

 

 

 

仮に

 

かみさま≒おおいなるもの

 

の理想の生き方が

 

各自にあるとしましょう。

 

 

具体的には

 

私達が生まれる前に決めてきた

 

人生計画書=ブループリント

 

がそれだと思ってくれたらいいのですが。

 

 

 

そこに沿わなかったとしても

 

かみさま、怒りますかねぇ?

 

 

 

かみさまって

 

そんなちっぽけな器でしょうかねえ???

 

 

「へーそうなんだー

 

 そうしたいんだー

 

 ならそうすればいいんじゃん?爆  笑

 

 

って言いますよねえ?

 

ねえ?(*´艸`*)

 

 

いちいち怒るようなちっぽけな人は、かみさまじゃないよねぇ?

 

 

 

かみさまはかみさまで創りたい世界があって。

 

 

私には私で創りたい世界があって。

 

 

それぞれが

 

創りたい世界を生きる(自分の人生を生きる)。

 

それでうまくいくのではないでしょうか。

 

 

まるで学校の部活のように。

陸上部は陸上部で

茶道部は茶道部で

それで学校全体はなにも困らずうまくいく。みんな仲良し。

 

 

 

小さい頃言われた

 

「お天道様は見ている」とか

 

「バチが当たる」とか

 

そんな言葉がきっかけになって

 

いつの間にか

 

「顔向けできるような生き方を」

 

になっていたのかもしれないなあ。

 

 

悲しい経験

 

今までの人生を

 

無駄にしない生き方をしなくちゃ、とか、

 

 

あちらの世界に帰った時に

 

ちゃんと顔向けできる(褒められる)

 

自分でいなきゃと

 

思いすぎていたのかもしれないなあ。

 

 

 

かみさまというものを外在化して

 

自分の上に置いてしまったが故に

 

そんな風に思ってしまっていたみたいです。

 

 

みなさんもそんなふうに

 

かみさまや誰かを使って

 

自分を律しすぎていませんか。

 

構造は一緒です。

 

 

 

かみさまはかみさまで創りたい世界を創ってる。

 

あいつはあいつで創りたい世界を創ってる。

 

自分は自分で、自分の世界を創る。

 

それでいいんです。

 

そんな気持ちでいきましょうね。

 

 

 

高雄山の紅葉とコスモスをどうぞ😊

 

 

 

 

 

 

 

 


はしのんでした。

 

 

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