はしぐちのりこです。

 

 

年度末でしたね。

 

そしてもうあと数時間で4月。

 

新しい年度に入ります。

 

 

ここのところ

 

心がきゅ〜っと狭まる感覚にハマっていた人も多かったかもしれません。

 

そんな話をよく耳にしましたし

 

私自身も、自分のダメな部分しか見えなくなる時間を過ごしていました。

 

 

でもね、よくある「一時的に堕ちている」という感覚ではないんですよ。

 

何も思い当たる原因がない。

 

後ろの人が変わった? 

満月だから?

 

笑笑

 

 

突如としてやってきたこの暗いトンネル。

 

でも向こうにかすかな光が見える感じ。

 

 

もうどんどん自分に嘘がつけなくなっています。

 

いろんなものが手放せて楽になると同時に

 

昔のしっかりしていた頃の私は別人だったの?っていうくらい

 

自分のひどさに呆れるのです。

 

せめて誠実な部分は自分のいいところだと思っていたのに

 

それすらも怪しくなってきました(笑)

 

でも、ここをちゃんと受け入れたら

 

全然違う、新しい世界が待っているような気がして

 

しんどいけれど

 

悲壮感はない感じ(笑)。

 

 

すごく抽象的ですよね。

 

昔と何が変わったかを書いておきましょう。

 

 

昔は、自分が堕ちたり、精神的に不安定になっていたりすると

 

SNSにいろいろつぶやきのようなものを書いていました。

 

今だからわかります。

 

そんな、ダメな自分をわかってほしくて書いていたんでしょうね。

 

堕ちている自分をわかってほしくて

 

優しい言葉がほしくて

 

こんなにがんばっている自分をわかってほしくて

 

書いていたのでしょう。

 

 

私の母親は妖怪かわいそうでしたから

 

私の中にもそれは根付いていて

 

しんどくなるとそれがうずいていたのでしょう。

 

 

 

でも今は、そんな大丈夫じゃない自分さえも

 

積極的にわかってもらおうと思わない。

 

なぜなら、自分がわかっているからいいや、という感じです。

 

 


 

 

 

ここのところ、同時に大きな変化を感じています。

 

この春で、息子が亡くなって6年になります。

 

生きていたのが6年。

 

亡くなってから6年。

 

ここからは、一緒にいない時間の方が長くなります。

 

 

そしてこの春

 

同じ学年だったお友達は小学校を卒業しました。

 

明日から中学生。

 

 

なんていうかな、

 

ちょうどいい言葉が見つからないのですが

 

なにかがひとつ終わった感じがあるんですよね。

 

なにかから開放された感じ。

 

 

 

子どもを亡くした人という人生から

 

私自身の人生に戻ってきた感じ。

 

それをここ1ヶ月、急速に感じています。

 

 

そんなことを思っていたら、

 

今朝、子どもとお別れ仲間の貴子からメッセージが。

 

そしてこんな記事を書いてました。

 

 

 

 

貴子は12年(次が13回忌だそう)

私は6年(次が7回忌)

ブログに出ているきよみは6年(きよみも次が7回忌だよね)

ありちゃんは9年。

 

貴子と

 

「よく頑張ってきたよねー」

 

「そして私達、アホだよねー」

 

って。

 

こんな経験を積みにこの世にやってくるなんて、アホです(笑)

 

 

でも、どんなに苦しくても

 

地獄の日々だったけど

 

それはそれとして

 

今は笑えている。

 

よくがんばったな〜と思うんです。

 

 

悲しいかな、息子との思い出は

 

少しずつ記憶が薄れていくんですよね。

 

でもそれが亡くした者にとっては

 

楽になるということなのかもしれません。

 

違う楽しい思い出がつくれているということなのかもしれません。

 

 

必要がなくなれば

 

ちゃんと人生は前に進みます。

 

私はまた、ここから新たな章が始まる気がして

 

怖くて仕方ありませんが(笑)

 

でもどんな人生にするのかは、

 

どんな気分でいるのかは

 

いつでも自分が選べます。

 

それを忘れないように

 

また1年過ごしていきたいと思っています。

 

 

つらつらと書きました。

 

 

 

 

年度末の夜に。

 

 

はしのんでした。