日常生活で何かが起きるたびに

 

 

「わたし、迷惑をかけるひと」

 

「あのひと、迷惑をかけるひと

 わたし、迷惑をかけられる人」

 

という思いが自動思考的に出てきて

 

不要な悲しみや怒りにとらわれているなら。


 

それ、あなたの罪悪感が創り出すまぼろしです。

 

 

 

 

はしぐちのりこです。

 

 

ココロのしくみ研究室(ココケン)で扱った【罪悪感】。

 

 

・・・1月開催の写真を撮るのを忘れた。2月はまだご参加いただけます。

 

 

 

罪悪感

 

= 自分はダメな人、

 悪い人間、罪があるという感覚ですね。

 

 

多くの人がもっている感覚です。

 

 

「私がこんなことしていいのだろうか・・・」

 

「こんなのことやらかして申し訳ないなぁ・・・」

 

「わたしなんていないほうがいいんじゃないかな・・・」

 

こう思ってしまうのは、すべて、自分の中にある罪悪感のしわざ。

 

 

 

この罪悪感があると

 

日常生活で何かが起きるたびに

 

目の前の現象とそれを結びつけて

 

それまで平和だった世界に

 

「迷惑をかけるひと」と

「迷惑をかけられる人」を

 

創り出します。

 

 

ただ何かの行為をした人だったのに

 

迷惑をかけるひと・かけられるひと

 

というジャッジが入るのです。

 

 

そのジャッジの方が超迷惑・・・( ̄ー ̄)。

 

 

 

そしてそこに

 

イラついたり、ムカついたり、

 

自分はダメだと落ち込んでしまったり。

 

 

さまざまな感情を発生させ、

 

その感情にフォーカスさせることで

 

人生を進ませなくさせてしまう。

 

そんなねらいが罪悪感にはあります。

 

 

 

そうなんです。

 

罪悪感は

 

人生の流れを止めてしまうのがやっかいなところ。

 

 

これからの風の時代

 

不要なものを手放して

 

より流れに乗って

 

軽やかに生きていきたいはずなのに。

 

 

なのにこの罪悪感が

 

あなたの重荷を作り出してしまうのです。

 

 

だから、できるだけないほうがいい。

 

 

もちろん、全てをなくすことは無理でしょう。

 

 

でもできるだけ気づいて、癒やして、軽くして(手放して)

 

あなた自身の人生を生きていってほしい。

 

心からそう願っています。

 

 

(ココケンではそんな思いで、

 この罪悪感のからくりと

 手放し方法について解説しています。

 みんなのシェアで話がふくらんで

 今回もなかなかおもしろい回でした( ´艸`))

 

 

 

さて、この罪悪感というのは

 

現実世界でいろんな形となって

 

私達に教えてくれます。

 

 

止める役割をするのですから

 

そこに気づいて

 

外して

 

再び流れをつくればいいのです

 

 

 

そしてこの罪悪感をもってしまったのは

 

やはり子どもの頃に出会った

 

大人との関係性に始まります。

 

 

特にお母さんとのやりとりから

 

であることが多いです。

 

 

その中で私が一番しんどいだろうなと思うのは

 

「自分自身の存在が罪」だと思ってしまっているパターン。

 

「生きていてごめんなさい」という想いです。

 

(私、はしぐちのりこもこの想いに長年支配されていました)

 

 

自分自身の存在への否定。

 

これがあると罪悪感を使った

 

自己否定ループの世界にはまっていきます。

 

 

 

さて、

 

「生きていてごめんなさい」

「生まれてしまってごめんなさい」

 

その想いは

 

どういうシチュエーションがきっかけで

 

あなたが持ってしまったのか

 

あなたは把握していますか?

 

 

 

親にきついことを言われて・・・ 

 

という人もいるでしょう。

 

親が病弱で頼りにならなくて・・・

 

という人もいるでしょう。

 

 

どんな場合でも

 

自分自身が生まれてきたことが

 

お母さんにとって迷惑なんじゃないか

 

お母さんが幸せじゃないのは

 

わたしがいるからじゃないか?

 

わたしさえいなかったら

 

お母さんは幸せなんじゃないか?

 

 

「お母さん、かわいそう・・・」

 

 

こんな風に子どもの頃に思ってしまった人は

 

自分自身の存在に罪悪感を持ちます。

 

それを持ちながら生き続けることはとても苦しいことです。

 

 

 

でも

 

 

自分自身が生まれてきたことが

 

お母さんにとって迷惑なんじゃないか

 

お母さんが幸せじゃないのは

 

わたしがいるからじゃないか?

 

というのは、実は勘違いです。

 

 

おかあさんがかわいそうに思えた、

 

そう思わせた状況証拠があるだけ。

 

そう思っちゃったんですよね、あなたが。

 

そう思ってしまった事実があるだけで

 

それは真実ではありません。

 

勝手に真実にしているのは私達自身です。

 

 

 

心の勉強を始めて

 

このからくりを知った人は

 

最初、母親に対して怒りが止まらなくなるでしょう。

 

あなたのせいで!

私はこんなに苦しんできたんだ!

 

と。

 

まずはその怒りをしっかり感じてください

 

(ぶつけても意味ないよ?

 ちゃんと自分で感じるんだよ)

 

 

そして、それが感じられてくると

 

そして落ち着いてくると

 

次にこれがわかっていただけると思います。

 

 

 

「私にそう思わせてしまった、お母さんを許します」

 

 

 

 

「お母さんはかわいそう」を採用して

 

誰にも頼らず、頼れず、

 

自分で自立して生きていくことを

 

頑張ってきたのではないでしょうか。

 

 

そして

 

お母さんがかわいそうであるからこそ

 

お母さんを助けるがごとく

 

その気持を周りに投影して

 

一生懸命まわりのために働いてきたのではないですか?

 

周りの役に立とうとがんばってきたのではないですか?

 

 

よくがんばってこられました。

 

本当に。

 

本当に。

 

 

 

ならば

 

 

「私にそう思わせてしまった、お母さんを許します」

 

 

 

この魔法の言葉を唱えて

 

 

「お母さんかわいそう」をストップさせてください。

 

そして一生懸命周りに配っていた愛を一旦お休みして、

 

 

 

今度はあなたが愛を受け取ってください。

 

 

 

止めていたあなたへの循環を

 

再び動かしてください。

 

あなた自身のために。

 

 

 

だって今までやってこなかったでしょ?

 

かわいそうな人をつくって

 

たくさん優しくて、役に立って、愛を配っていたのだから。

 

 

お母さんをかわいそうにしている人は

 

お母さんからの愛を受け取ることができません。

 

だってもらったら

 

お母さん可愛そうなのに

 

お母さん持ってないのに

 

ますます減るような気がするから。

 

 

同じように

 

母親との関係を世界に投影しますから

 

周りから愛を受け取ることができません。

 

申し訳なく思うのです。

 

それより自分から与えていたほうが楽なのです。

 

がんばりが効くから。

 

 

 

無意識ですが、あなたが循環を止めていたのです。

 

一方通行にしていただけなのです。

 

与えるばっかり。そりゃ疲弊します。

 

 

 

だから

 

「私にそう思わせたお母さんを許します」

 

そう唱えて

 

もう思わなくていいんだ

もうかわいそうにしなくていいんだ

もう与えるばかりでなくていいんだ

もう役に立たなくていいんだ

 

って

 

今度は「受け取る側」に周ってください。

 

 

ザワザワすると思います。

 

ここは、お母さんをかわいそうと思って

 

生きるのがしんどくなってきたひとがやるべき

 

がんばりどころ。

 

ぜひトライしてみてください。

新しい循環に触れることで

 

今まで見えていなかったものが見えてきますよ。



このお母さんと罪悪感の関係は

 

2月のココケンでも詳しく解説します。

 

気になる方は、自分の例を使って、一緒にやりましょう。

 

 

 

 

 

はしのんでした。