...って、この言葉自体がもう「拗ね」ってわかるよね(苦笑)
ちょっと暗い話が続きます。
次の記事でひっくり返しますんで、もうちょっとお付き合いください
途中で、この方のセッションを受けました。
悩んでいたのも事実ですが、単にこの方(を信頼していたので)が
どういうセッションするのか知りたかったんです(笑)
「私なんて、生まれてこなければ良かった」という思いは、前から認識していて、
その都度向き合ってきました。
でもやっぱりまだまだ残っていたようで、
目の前に再度突きつけられる形となりました。
自分の状況をここで書くのは、
自分の「妖怪かわいそう」にスイッチが入りそうで
避けていたのです。
でも、この気持を持つようになった経緯を少し紹介しますね。
* * *
私は、兄二人(16才、10才違い)をもつ末っ子長女。
ですが、兄二人とは母親が違います。
兄の母親は、兄が幼いころ(下の兄が3歳の時)に、病気で亡くなりました。
その後、しばらくは父が一人で育てていたそうですが、
どうにもしんどくて、母と見合い結婚したそうです。
下の兄はよく、「お母さんがデパートで売ってるなら、買ってほしい」と
父に言っていた、と、聞かされました(母から)。
母自身も、17歳の時に自分の母親を病気で亡くし、
弟、妹、5人を抱え、長女として、母親役を頑張ってきた人でした。
だから、母を亡くした人(兄など)への想いはすこぶる強かったようです。
母曰く「お兄ちゃんに嫌な思いをさせたくないから、子ども(私のことね)を持つつもりはなかった」そうですが、
父の説得により、私が生まれることに。
父にしてみれば、母を家族にしたかったんでしょうね^^。 ←ここは私の推測
で、私が産まれたわけですが、、、
実はね、小さいころの、母→兄、母→私 への態度は、そりゃもうはっきり違っていました。
兄へは「Tちゃん、Mちゃん」と、名前にちゃん付けで呼ぶ。
私は「のりこ」と呼び捨て。
兄へはいろいろ気を使って、甲斐甲斐しく世話をする。
私は放ったらかし。
兄にはニコニコ、
私には愚痴、
事実を知らなかったので、私は、
ずーーーーーーーーーーーーーーーっと、
「私は橋の下で拾われた子なんだ。だからこんな扱いなんだ。」
と本気で思ってました(笑)
そう思うほうが、毎日が楽だったんです。本当に。
でも、事実は逆だった。
私が実の子だった。
事実を知ったのは小学校6年生の頃。
最悪なことに母親との喧嘩の時に、吐き捨てるように聞かせれたんです。
「あんた、なんでそんなわがまま言うの!
お兄ちゃん達は(私が実の母親じゃないから)言いたくても我慢してるのよ!」
「わかってんの!? ちょっとは考えてモノ言いなさいっ!」
「あんたはお父さんとお母さんがいるってだけで、幸せなの! ありがたく思いなさい!」
衝撃でした。
うちは、他の家となにか違う、、ということは察知したし、
自分が橋の下で拾われた子だと思っていたので、
兄と母親が違う、というこにはそんなに驚かなかったのですが、
まさか自分が実の子とは!、
そこだけが(@□@;) でした。
兄(特に下の兄)は、母がやってきたとき、本当に喜んだといいます。
お母さんがデパートで売ってたら買ってほしいと言っていた兄。
私がお腹の中にいる時も、「産まれてくる赤ちゃんはボクと本当の兄弟になるの?」と
聞いてきたという兄。←これを思い出すだけで、今でも泣けてくるんです。
それでね、この時、思ったことがあります。
「私が生まれてこなければ、お母さんはお兄ちゃんだけのものでいられたのに...。」
「おにいちゃん、ごめん。」
「私が生まれてきてごめん。」
あーーーーーーーー、書いててもまだ泣けてくるーーー!!!!
この時、はっきり決めたのを覚えています。
「私が幸せになるなら、自分の力でやっていかなくちゃ。」
「お父さんとお母さんの力は、全部お兄ちゃん達が幸せになるために使ってもらおう。」
「私は絶対にもらっちゃいけない。」
ってね。
自慢じゃないけど、
これ以降、「服を買ってほしい」って親に言ったことが1回もありません。
大学以降の学費も、神戸でひとり頑張っていた生活費も、
入学の時だけ援助してもらいましたが、
ほとんど自分で都合つけました。
こう書くと美談ですが、要するに
かわいくない娘まっしぐら です
ええ、ご多分にもれず、こんなに頑張ってるのに(!)
「かわいくない娘」
って、よく言われていましたさ(遠い目)。
「自分なんて生まれてこなければ良かった」 は、
完全な自分の存在の否定 です。
今まで抱えていた生きづらさは、ここにあると認識していたし、
向き合っていたけれど、
まだまだ残っていたし、
いろいろなところで、チラホラと顔を出して、
人生をうまくいかないものにしてたと、今回再度わかりました。
でね、
この思い込み、
今回あらためて、面白いことに気付いたんです!
それは、、次の記事でー(たぶん明日)
は~長かった。
お付き合いくださって、ありがとうございます。
ちょっと暗い話が続きます。
次の記事でひっくり返しますんで、もうちょっとお付き合いください
途中で、この方のセッションを受けました。
悩んでいたのも事実ですが、単にこの方(を信頼していたので)が
どういうセッションするのか知りたかったんです(笑)
「私なんて、生まれてこなければ良かった」という思いは、前から認識していて、
その都度向き合ってきました。
でもやっぱりまだまだ残っていたようで、
目の前に再度突きつけられる形となりました。
自分の状況をここで書くのは、
自分の「妖怪かわいそう」にスイッチが入りそうで
避けていたのです。
でも、この気持を持つようになった経緯を少し紹介しますね。
* * *
私は、兄二人(16才、10才違い)をもつ末っ子長女。
ですが、兄二人とは母親が違います。
兄の母親は、兄が幼いころ(下の兄が3歳の時)に、病気で亡くなりました。
その後、しばらくは父が一人で育てていたそうですが、
どうにもしんどくて、母と見合い結婚したそうです。
下の兄はよく、「お母さんがデパートで売ってるなら、買ってほしい」と
父に言っていた、と、聞かされました(母から)。
母自身も、17歳の時に自分の母親を病気で亡くし、
弟、妹、5人を抱え、長女として、母親役を頑張ってきた人でした。
だから、母を亡くした人(兄など)への想いはすこぶる強かったようです。
母曰く「お兄ちゃんに嫌な思いをさせたくないから、子ども(私のことね)を持つつもりはなかった」そうですが、
父の説得により、私が生まれることに。
父にしてみれば、母を家族にしたかったんでしょうね^^。 ←ここは私の推測
で、私が産まれたわけですが、、、
実はね、小さいころの、母→兄、母→私 への態度は、そりゃもうはっきり違っていました。
兄へは「Tちゃん、Mちゃん」と、名前にちゃん付けで呼ぶ。
私は「のりこ」と呼び捨て。
兄へはいろいろ気を使って、甲斐甲斐しく世話をする。
私は放ったらかし。
兄にはニコニコ、
私には愚痴、
事実を知らなかったので、私は、
ずーーーーーーーーーーーーーーーっと、
「私は橋の下で拾われた子なんだ。だからこんな扱いなんだ。」
と本気で思ってました(笑)
そう思うほうが、毎日が楽だったんです。本当に。
でも、事実は逆だった。
私が実の子だった。
事実を知ったのは小学校6年生の頃。
最悪なことに母親との喧嘩の時に、吐き捨てるように聞かせれたんです。
「あんた、なんでそんなわがまま言うの!
お兄ちゃん達は(私が実の母親じゃないから)言いたくても我慢してるのよ!」
「わかってんの!? ちょっとは考えてモノ言いなさいっ!」
「あんたはお父さんとお母さんがいるってだけで、幸せなの! ありがたく思いなさい!」
衝撃でした。
うちは、他の家となにか違う、、ということは察知したし、
自分が橋の下で拾われた子だと思っていたので、
兄と母親が違う、というこにはそんなに驚かなかったのですが、
まさか自分が実の子とは!、
そこだけが(@□@;) でした。
兄(特に下の兄)は、母がやってきたとき、本当に喜んだといいます。
お母さんがデパートで売ってたら買ってほしいと言っていた兄。
私がお腹の中にいる時も、「産まれてくる赤ちゃんはボクと本当の兄弟になるの?」と
聞いてきたという兄。←これを思い出すだけで、今でも泣けてくるんです。
それでね、この時、思ったことがあります。
「私が生まれてこなければ、お母さんはお兄ちゃんだけのものでいられたのに...。」
「おにいちゃん、ごめん。」
「私が生まれてきてごめん。」
あーーーーーーーー、書いててもまだ泣けてくるーーー!!!!
この時、はっきり決めたのを覚えています。
「私が幸せになるなら、自分の力でやっていかなくちゃ。」
「お父さんとお母さんの力は、全部お兄ちゃん達が幸せになるために使ってもらおう。」
「私は絶対にもらっちゃいけない。」
ってね。
自慢じゃないけど、
これ以降、「服を買ってほしい」って親に言ったことが1回もありません。
大学以降の学費も、神戸でひとり頑張っていた生活費も、
入学の時だけ援助してもらいましたが、
ほとんど自分で都合つけました。
こう書くと美談ですが、要するに
かわいくない娘まっしぐら です
ええ、ご多分にもれず、こんなに頑張ってるのに(!)
「かわいくない娘」
って、よく言われていましたさ(遠い目)。
「自分なんて生まれてこなければ良かった」 は、
完全な自分の存在の否定 です。
今まで抱えていた生きづらさは、ここにあると認識していたし、
向き合っていたけれど、
まだまだ残っていたし、
いろいろなところで、チラホラと顔を出して、
人生をうまくいかないものにしてたと、今回再度わかりました。
でね、
この思い込み、
今回あらためて、面白いことに気付いたんです!
それは、、次の記事でー(たぶん明日)
は~長かった。
お付き合いくださって、ありがとうございます。