おはようございます。はしのんです。

昨日はあれからクタクタと眠り、どうにもこうにも起き上がれなくって、気付いたら16時過ぎあせる

慌てて起きて、息子のお迎えに行きました...。

ま、私ってこんなもんです。



* * *


仕事を辞めると決めたのに、襲ってくる強烈な怖さ。

その怖さを感じながらも、

不思議なことに、辞職に必要な行動はするするっと進みました。

怖い怖いと思いながら、するするっと上司に伝え、

怖い怖いと思いながら、するするっと大ボス(真の雇用者)に、

辞意を伝えるメールを書き、

話し合いではするっと了承され、 

次に向けて行動を起こしている...。


ああ、「辞めることに関してはこの選択が間違っているわけではないんだな」


と、判断することができました。

だって、心と違うことしてたら、こんなにスムーズに進まないもんねぇ?



じゃあ、この怖さは何よ? 

何に対する怖さよ?


いわゆる、「思い出し怖い」のはずなので、

過去にも似たようなのがなかったか、探りながら、共通点を探していきました。



たくさんたくさん、出てきました。

あんな時もこんな時も怖かった。

ひとつひとつ、抱きしめていきました。

でも今回は、複雑で、本当に時間がかかったー。


結果、私の中にある強烈な思い込み(大前提)を集約すると、



私がいないほうがうまくいく

何ももっていない自分が愛される(やっていける)わけがない


のようです。


これ、次のステップに対する怖さのように思いますが、

今までのことも、ほとんどこれで説明がつくので笑ってしまう(笑)



* * *

「私がいないほうがうまくいく」という思い込み


みなさんの中にもこんな想いがあったりしませんか?



家族や仲間を思うとき、いつも私は、その輪を「外から見ている人」でした。

私は輪の中の一員ではなく、外からその輪を客観的に見て、支える裏方。

(「裏方」は私の元々のセルフイメージです)

小学校、中学校時代はよく学級委員をやらされていました。

その時も、仲間を引っ張る人、ではなく、

仲間と先生を外から支える人、でした。

仲間と先生の間に入り、ふたつの関係をスムーズにするために働く、

中間管理職みたいなイメージです(笑)。



そう、私は、仲間の一員になっちゃだめ。

ならないほうがいい。

なったら居心地が悪いんです。

だって、私がいないほうがうまくいくと思っているから。

私がいないほうが、みんなが幸せに過ごせると思っているから。




これまでの仕事は、ずっと大学関係でしたが、

それでも、2-3年でプロジェクトを転々としていました。

共通しているのは

「立ち上げ時にはいるけど、成果がでて、賞賛を受け取る時期には自分はいない」

という状態。


軌道に乗り始めたら、

私は必要ないよね、

私がいなくても大丈夫よね、

と、自ら去るようにしむけていたのかもしれません。

もちろん、私には自覚はありませんでしたよ?

だって辞めさせられたし、辞めざるを得ないような出来事がありましたから。

でも、私がそうさせてたんでしょうね。

こんな思い込みがあったら、そりゃ常勤職に就けるはずもありません(笑)

能力がないのではなく、仲間に入れてもらったら困るんです、私の無意識が(笑)。



もちろん、家族もしかり。

父、母、兄(上)、兄(下)、私、の 5人ですが、

私はいいから、父、母、兄、兄、の4人が「家族として」幸せになってほしい。

そのためならなんだってする!という立場でした。


その根底には、ちょっと特殊な家族環境と、

「私なんて生まれてこなければよかった」

という、自分の存在を強く否定する気持ちがあったからです。



うーん、、ちょっと長くなりそうですね。

次に続かせてください。

その特殊な家族環境を次でご紹介しますね。



追記:

これまで研究職を選んだのも、

対象を自分の外に置いて、

あれこれ眺めたり考えたりするほうが落ち着くからだったのかも(^^;)。