これからも、私は時にエゴへ掴まれ、『他人責め』『自分責め』、自身への『暴力』などをやってしまうことはあるだろうと思います。それで自信を失ってしまうことや、歪みから来る痛みに、辛い、苦しい、悲しい、悔しいという感情から本気で終わってしまいたいと思ってしまう日もあるでしょうし、もしまた私の目の前で『キモい』『死ね』と言われたら、前と同様に頭がまっしろになって、泣いて、最終的に相手を憎んでしまうかもしれない。でも、たとえそうあってしまったとき、どんなときだって、どんな私だって、私は私を愛してやろう。でも、私は自分のことが分からない。分からないところがいっぱいある。だから私は私のことを知っていきたいと思う。これからは多くの、姿勢の関係上たくさんは出来ないかもしれないけれど、出来る限り自分の足で向かって行って、様々な体験を積み上げ、色んな人と出会って、色んな考え方や価値観へ触れていきたい。

 

 以前までの私だったらエゴの内側で今も永遠にループしていただろうと思います。でももう以前までの私はここには居ない。昨年までの私と、”今の私” は、違う。事実そう感じるのです。
 

 過去の経験がなかったら、嫌いな人が、嫌いな人でなかったのなら、苦手な人が、苦手でなかったのなら、好きな人が、好きな人でなかったのなら、過去の、私の記憶の中での、私へ攻撃していた ‐ と私が捉える ‐ 彼らが、彼らでなかったなら。私の友人らが、友人らでなかったなら。私の家族が、家族でなかったなら。私が、私でなかったのなら。ここまで変化することは出来なかった。そして、”今の私” は ”存在して居ない” 。『私』と関わってくれたすべての人たちや出来事が、『私』をここまで連れて来てくれたのです。


  目の前で起こるありとあらゆるすべての『現象』や『出来事』は、私へなにかを教えてくれている。
  
  Yesterday is a history ‐ 昨日は過去 ‐
  Tomorrow is a mystery ‐ 明日は未知 ‐
  Today ia a gift ‐ 今日は贈り物 ‐
  That's why it's called the present ‐ だから今この瞬間をプレゼントと言うんだ ‐

 

 亀井さんの昨年のいつだかの動画内で、あるレストランでの食事の席近くの壁に貼ってあった言葉だとご紹介されていたものです。


 彼らは ”正しかった”。友人らは "正しかった" 。父母、兄弟、叔母は ”正しかった” 。でも、私も ”正しかった” 。

 今死んで良いように生きる。それぐらいの幸せを手にし、今終わっても良いと心の底から言える人生にしたい。うつくしくなる方へ進んでいこうと思います。


 私は完全な存在です。みんなとなんら変わらない人間で、かわいくて、きれいで、うつくしい。かけがえのないオリジナルの私。『和田範子』という名のついている仮の肉体をもった、『愛』と『ひかり』のエネルギー体。私はこの肉体を使って、どこまでもエネルギッシュに生きていこうと思っています。

 最後までお読み頂き、有難う御座いました。