すべて私の責任だった。過去の攻撃した‐と私が捉える‐彼ら、家族に、”そうさせていた” 。そう捉えることも事実可能です。


 様々な多くの方々のご意見。教え。世界観や価値観。考え方。思考法。これまで得た『学び』と『気づき』。そのすべてを一つ繋ぎ合わてせいくと、自己責任を説くつもりはまったくないけれど、どんな『視点』や『立場』からみても、自分の人生とはどこまで行っても自分の責任.その根本へ戻ってくる。

どうあってもそれは覆されることはなく、不変不動のもの。私はそう思うようになっています。

 

 『責任』という言葉自体に重い響きがあって、以前まではそれを負いたくはないし、自分の人生はすべて自分の責任。というのを認めたくない.と私の『エゴ』がよく喋っていましたが、かと言って、そこに対しかるく受止めるでもなく、きっとそれはさも当然のこと。普通にそれが極々当たり前のことだったのだなという感覚です。きっとその方が未来の可能性への選択肢が増えるのだと思っています。

 

 つまりは、そこにあるのはただ『体験』と、『ある』と、『愛』。それだけなのだと。マイナスと捉えられる『現象』や『出来事』というのは、ただそう ”あっただけ” .ただの『現象』と『出来事』であり、そこに『プラスマイナス』『良い悪い』『善悪』『上下』『偉い偉くない』などというものは本当に存在しないもの。

 私がこれを書いていてふと過ぎったのが、最近になって聞いた『この世は無情』という言葉。昨年、youtube上ではありますが、新たな女性との出会いがありました。その方はいつも日々内観をされていて、生き方が素敵な女性だなぁと感じよく視聴していますが、それというのは、彼女のお子様があるお話に対して抱いた感想です。そのお話の内容というよりかは私が感じたことで、ざっくり言うと、本当の意味での幸せを掴み取るのに必要なのは、物理的な側面も大切。けれど、例えば ”姿” において、人前でお化粧をしたり身なりを整える。お洒落はするべきとまでは行かないけれど『着飾る』ということも女性にとって必要な部分だとは私自身も思っています。然しながら先述にも同様のことを記載していますが、見るべきは外側じゃなく、自分の内側。内側が先に来て、後から『現実』や『結果』がついてくる。つまり、『あり方』や『生き方』が自分の ”姿態” を決めている。

 

 以前の動画で亀井さんが『身体醜形障害』のことを取り扱っておられましたが、そのときにご紹介なさっていたご本、タイトルを忘れてしまいましたが、顔の形が普通の人よりも歪んで生まれて来た方々のお話が載せられている.という、確かそんな内容だったと思います。うろ覚えなので間違っている箇所があると思いますが、その内の一人のある女性の彼氏さんがある日、彼女へこういうようなニュアンスで仰ったそうなんです。

 

 『君が顔を気にするというんなら、僕が着ぐるみを着て一緒に歩くよ』

 

 この言葉自体も素晴しいと思いますし、素敵な男性なのだなぁと思ったのですが、私自身も、見た目がすべてじゃないなんて綺麗事だと思っていたけれど、きれいになる努力や、可愛くなる努力も無論必要です。でも、本当に、見るべきはそこじゃなかったんだなと今でこそとてもよく感じています。姿形だけじゃなく、目にみえるものはすべて本当に『結果』という形で現れているだけだった.ということです。

 

 『この世は無情』という言葉に対し、それも包括しているこの世のすべてが『愛』だというのが私の答えです。ただ、確かにそういう側面もあるなと頷くことが出来たのは、これまでの学びや気づきがあったからこそですが、あるスピリチュアルに関連したお仕事をなさっている女性の方の動画では『無=愛』だと仰っておられました。学びが進んでおられる方ならこの意味は恐らくご理解に早いのではないかなと思いますが、つまりは、本質的にはこの世に『光』も『闇』もなく、あるのは『虹色』だと。


 お話は『生活保護』へ戻りますが、その資金を借りるのには10人以上が必要でした。やろう、やるしかない。そう思って、六月~八月初頭、九月二十二日まで、そのお願いの手紙を一人一人へ向けて書いていました。ただ、今の状況と、これまでの経緯の詳しい細かい詳細をちゃんと、一人、一人、だったので、口頭で会話出来るなら良い話ですが、然しながら、身体の歪みから正しい受答えが出来るかどうかに不安があった。それ故に、過去にお世話になった方々へ連絡を取って今の状況をお伝えしようと思っていたのですが、結局数人へ留まったままそれ以上に出来なかったのが、身体の歪みの進行による頭痛も相まって、書こう書こうとしてもなかなか前へ進めないことがありました。


 本来なら顔を合わせてが望ましい形だと思いますが、頼ろうと思ったお相手は、この鳥取県内に居らっしゃる方々なのかが分からず、そして先述の通り、実際に会ったとしても口頭ですべてを正しくお話するには姿勢の関係上厳しいのが現状です。なので、実際にお会い出来るなら会ってお話を聞いてもらおうと、途中まではそう思っていましたが、歪みの進行を考慮し、『手紙』という形でお伝えしようと思い、四人の方へ、お話を聞いて下さるかどうかの許可を先ずは取りにご連絡しました。ですが四人の内一人から返信が来て、一万円ほどお借りすることは出来たのですが、後の三人からは返って来ませんでした。


 『姿勢の歪み』というものが実際にどこがどう悪いのかの説明しても、本当にこれは私にしか分からないものだと思うのでご理解し辛いところがあると思いますが、それだったら自分の身体の中を知るためにレントゲンを撮ったらどうかと思いはしましたが、気になったのが放射能です。それがどうしても嫌だったので、レントゲン撮影は止めました。ただ昨年の秋頃に、歯科矯正は必要だろうぐらいにズレているのが以前から分かっていたので、歯科矯正の方で放射線量の少ないレントゲンを取り入れている病院があったのでそこで撮影してもらいたいと頼んで行ってみたのですが、ただそれも撮らないまま終わりました。というのも、分かるのはほんの一部分に過ぎないと言われたのと、私の歯の状態の説明を聞いていても撮影する必要はないと感じたからです。

因みに私の歯は上と下が横からみると重なっている状態だと言われましたが、つまりは歯科矯正はやっぱり必要なんだなというそれだけは分かりました。

 

 姿勢の歪みからしても結局はそうだろうと感じていましたが、今の状態で働くことは今直ぐにとは行かなかったので、歯科矯正はそのときは断念しました。元々受けたいところがあった.というのもあります。かと言ってじゃあ治そうと思っても正直なところ不安があるのは、姿勢が歪んだままの状態で歯科矯正をやっても大丈夫なのかどうかです。これまでの症状では、視界がぐるぐる回る。頭痛。首の後ろの、無理矢理に捩られているような痛み。耳鳴り。などがあったので、そこら辺が、多分私が思うに、大幅の筋肉のズレがある姿勢からやっても結果的には変わりないんじゃないかと思っています。


 恐らくは、私と同じ状態の人っていうのは殆ど居ないのではないかと思いますが、今現在も、時折歪みの進行が進むことがあったり、身体が常に力んでいて呼吸が浅いのが常です。気づいて楽になれるところへなるべく整える.という形を取っています。曲がっているその感覚はいつも感じており、この捩れは、複雑に絡み合っている訳じゃ当然ありませんが、感覚という部分では少々説明しにくく、ただ、一つ言えるのはもう人間としての ”正常な動き” が出来ない、たぶんもう遅い。そして先述でもお伝えしている通り、終わった方が楽.そう思えるぐらいには辛いことがあります。


 今の感覚として強いのは、顔の皮膚が下へ引っ張られているような感覚です。上から押さえつけられているような感覚もあって、今では偶にですが頭痛があります。頭を動かしたり、身体をなるべく楽な位置へ戻そうと動かして、ピッタリ嵌る感覚が掴めたときに初めて動く、という動作をしますが、これは普段意識していないとさらにズレていくので出来るだけ身体には気を配っているのが今の私の状況になります。それが面倒でもう終わっても良いやという気分に時々なって、これを一生続けていかないとなるぐらいならと考えることもありますが、とは言っても、生きることを諦めたつもりでもなく、本当に死にたいと思っている訳でもなく、それも一時の感情だけなのでそれほど深刻に思っているほどでもありません。ただ本音を言うと、呼吸が浅いときや、身体が力んでなかなか身体の感覚をつかめなかったりすると、先述の通り、悲しみと悔しさが募って、自分へ手を上げることが時々あるのです。


 歪みの原因はこれも以前にお伝えしている通りですが、センターピースの観点からその三つと、否定的な思い込み。そして、『生活習慣』やダメな『思考グセ』。『想像力の欠如』。これも結果的なもので、経験上から生まれたものだと思っていますが、例えば、大体の人は、『私』を嫌っているんだろう。あの人は私のこと苦手なんだろうな。どうせ私は嫌われる。どうせ私はキモいと言われるだろうななどと、聞いてもいないのに、ましてや、実際に会ったこともない『人』に対してさえもそう決めつけてしまうことが私にはありました。
『人の思考や感情を決める』ということは、逆をいうと、相手はそういう風に見做している人.という決めつけにもなる。


 人はあくまで自由。が基本中の基本であり、それが相手を尊重することへ繋がる。人がなにを選択し、なにを選択しないのか。なにを思考して思考しないのも、なにをして、なにをしないのかも。本当にその人の自由。たとえそれが小さな子どもであったとしても、その行く道の先に『終わり』が待っているとしても、大切な人が選択したその道を尊重し、最後まで見守ってやる。先述した ”世は無情” へ繋がってくるのかもしれませんが、だからこそ、生きる上で『覚悟』と、『あり方』や『生き方』を定めることが必要なのでしょう。プロカメラマンの清水翔平さんのメルマガでは『影の部分を受容れる覚悟』だと仰っていました。
 
 話がズレましたが、お金を頼る相手がたったの四人という少人数で留まった理由として、一つは、手紙の文章が長文であること。長文なのは『承認欲求』という『エゴ』からではなく、お相手は全員一般側だと思っているので、細かいその詳細などをお伝えしないと納得するのもしないというのは個々人の自由ではありますが、然し理解に難しい部分があると思ったので、今に至るまでの経過を細かく手紙へ記していました。
 二つ目が、一人一人へ最初から書くべき.という『べき論』があったこと。又、伝わらないかもしれない不安と、ちゃんとしないと嫌われる恐れと不安がここにはあったように思います。
 三つ目は、頼ろうと思う相手を選んでいた。ここにも嫌われる『恐れ』や『不安』がありました。今の現状を知人や友人へ話せばきっと嫌われるだろうという不安と恐れです。
 そして四つ目が、姿勢の歪みの進行から来る首の痛みと頭痛。主に、それが遅くなってしまった要因の一つです。

 

 首の痛みから長文且つ、一人一人へ文章を打つのに億劫になって結局は一旦止めることとなったのですが、ただもう一つの一件で、今の現状へ至ったことを伝えないとならない状況が出て来たのが、八月の頭辺りでした。それは以前に短い期間ではありましたが、通っていたある心療内科への先生にです。というのも、ここには生活保護を受けるまでのサポートをして下さる機関の方々が関わっています。


 その方々は昨年の、確か六月後半頃から一ヶ月に一回という頻度でお世話になっていて、人数は二人で、いつも同じ方々です。一般側であるので、此方側の世界のことは伏せさせてもらっていましたが、『コロナ』を切っ掛けにして、私の ”すべて” が変化し、結果的には、今の私の『視点』や『立場』『価値観』など、つまりは、『一般』や『常識』といったふつうとはズレているということはお伝えさせてもらっています。
最初の方は、生活保護までの一連の流れを手伝って下さる方々.という意味合いからのサポートという認識していましたのでべつに自身のことを話す必要性はないと思ってはいましたが、ただよくよく考えてみると当然ながらその役目は ”サポート”。今の現状に至った経緯をお話しない限りは、向こう側も私に対してどういった対応をして良いのか分からない。そして、会話の流れからというのもあれば、そういった ”違い” をお伝えしておかないと、私が望んでいる方向へ進まない。『ヨガ哲学』や『スピリチュアル』『センターピース』などのそれぞれのことは省いています。どう思われるかを恐れたからじゃなく、正直なところ、分からなかったからです、言っても良いのかどうかを。


 当然ながら、その機関の方々は自身の変化を望んでいらっしゃる訳じゃないので、私は、聞かれたことだけに答える.を意識していたり、前述の通り、自分の『意見』や『考え』『思い』はお話していますが、此方側の世界のことをお伝えしても良いのかどうかが、その判断が曖昧だったので取り敢えずは伏せていました。然しながら、『(ふつうという枠の外にいる)色々な方々や”セカイ”が教えてくれたことです』.と暈しながらお伝えしています。

 昨年の八月頭、それが三回目か四回目だったかは忘れましたが、お二人が私の家へ訪れ、お話をいつものように聞いて下さっていましたがその最中のこと、『以前通っていた心療内科へもう一度行ってみたらどうでしょう』というご提案がありました。それを聞いたときは内心戸惑いと躊躇が起こりました。そこに『否定』『恐れ』『不安』があった訳じゃなく、単純に、『視点』や『立場』というそもそもの前提が違うので、多分、行っても特に得られるものはないんじゃないか.と思った故です。ですが、それとは別にして一般側でないというその言葉への認識がズレていたことに、ほんの少しですが不満を覚えていました。一方で私自身も言葉足らずなところがある ‐ 私は言葉で相手に伝えようとするのを諦めて来た人間だったので恐らくはそういったのもあったり、あとは面倒くさいというエゴの部分もあったのかなと思います。 ‐ ので、これも単純に私の不徳です。


 『心療内科へもう一度行ってみたらどうでしょう』というその意味合いは、そこでなにかしら良い病院を紹介して貰えるかもしれないという期待があったのだと思いますが、『心療内科』や『精神科』とは、当然ながら、『整形外科』『形成外科』『整体』『歯科』などとは取り扱っている分野がそもそもが違いますし、物質的にも『人』へ触れる領域が違います。詳しいことはあまりよく知らないので間違っていたらすみませんが、

両者が扱えるのは自分と共通する分野同士か、それでも治療が困難な場合は、他の病院が推奨されるかのどちらかだと思います。


 心療内科へ通うのを止めた切っ掛けが、これもハッキリとはよく覚えていませんが、多分、鴨頭明子さん ‐以前まではダイエットトレーナーとしてご活躍なさっておられましたが、今現在では『youtube講演家』として転進していらっしゃいます。‐ との出会いによって、健康に対する認識が変化していったのが始まりだったような気がします。因みに通っている最中、心療内科へ行くのに憂鬱さをいつしか感じるようになっていたのですが、ここでも多分、嫌われることや、評価への『不安』と『恐れ』です。これまでの私を振り返っていつも思うのは、本当に私は、『不安』『恐れ』の『エゴ』の中で生きていたのだなと実感します。

 診察の度に色々近況を訊かれますが、『薬』を飲んで一応良好になってはいるけれど現状の変化が殆どなく、一時的な効果はあってもその先へなかなか進まず、同じ状況が続いていました。働く意欲が全く出なかったのです。そのため、そこについてなにか言われるんじゃないか、どう思われ評価されるかへの不安と恐れがありました。それ故に飛んでくる質問にはどっちつかずな答えしか返せていませんでした。

薬を飲んでいるのに微塵も取れなかったのが、『不安』 『恐れ』 『否定』 『他人責め』 『自分責め』 です。多くのことを教わり、学び、気づいている今と、『薬物療法』していた以前と比較すると、マイナス感情へ減って来ているし、ここが本質的に違うんじゃないか.と感じるのは『感謝』と『安心感』です。


 元々が自分自身への暴力を振るうようになったのを機に治療しようと思って心療内科へ通うようになったのですが、いつしかその目的からズレて、あの頃の私はたぶん、働きたくないというのも含め、『現状維持』を目的にしていたんじゃないかと思います。然しあるときから治療しに来ていたはずがもう行きたくないと思うようになり、病院へ通うことが憂鬱に感じられるようになってしまったそんな最中に、鴨頭明子さんとの出会いから『薬』とは単に一時的なものであって、薬物療法で人は治らない.ということが分かったのです。


 それから期間的にどれぐらい空いたのかはもう覚えていませんが、もう一度そこへ通おうと思ったのが『カウンセリング』の枠があったからです。ただ、確かこの、カウンセリングを受ける二度目に通ったその日の後のことだったような気がしますが、私はなにかが切っ掛けで狂ったように自分自身へ暴力を振るいだし、それをみた母親がふつうじゃないと感じたのかその先生へ電話で相談していたようで、ここの病院へ行って下さいとメールで言われましたが、私はそれを全力で拒否しました。先述で云うように、『薬』や『精神科』『病院』などで、私のこれは治らないことが分かっていたからです。
 サポートをして下さるその機関の内の一人が、以前の心療内科へもう一度、原点へ戻ってみてはどうでしょうかと仰ったのは、母へ彼女たちが、私の状況や様子などを伺っていたからだと思いますが、正直ながら、原点もなにもそこにはないと思っており、加えて母は、その当時の電話の際に推められた病院があるからそこへ行ってほしいと以前に私へメールからそう云っていたはずだったのですが、昨年の八月辺りで、母はそのことを忘れていたため、なにが切っ掛けで認識が入れ替わったのかは分かりませんが私がその病院を知っている、つまり、私が先生から病院を推められたと思い込んでいたようです。そういったこともあって、数年前にその先生から紹介して頂いた病院をもう一度聞いてみるために、八月後半、その心療内科へ伺ったのですが、その病院というのが、名前が分かりませんが、鳥取大学の『精神科』だったように思います。


 ただ、前述でもお伝えするように『現代医療』が主軸として回っているすべての『医療機関』と、私の今いる『視点』『立場』の、その前提はそもそもが異なっています。例えそれが叶ったとしても、会話の中で認識のズレが生じるのは明確です。然しながら、『和田さんの意見や考えを先生へ伝えてみてはどうでしょう』という後押しもあって、事実、”行ってみないと分からない” 。そのために、再び心療内科へ行くことを決めました。それ故に、お金を借りるための手紙は一旦置いておいて、次は、その心療内科の先生へ、今に至るまでの経緯と、自身の『意見』『考え』『思い』を文章へ記していき、その四人以上の方々へ連絡が出来ない状況に居ました。口頭でお話出来たら一番早いだろうとは思っても、これ以上の姿勢のズレへの不安と恐れが強く、必然的に『手紙』という形にしか出来なかったのです。


 然しながら今でこそ思うに、その当時の私は単純に、身体を楽に、リラックスさせてやっていたら、結果的にはここまでのズレを起こすことはなかったのでしょう。以前までの私は、姿勢を完璧に整えてからでないと車に乗ったり、衣服を着ることなどの一般的な人ならなんでもない、誰にでも簡単に熟す普通の動作が私には難しく、バランス感覚も鈍っていたこともあって、整えようとすればするほど、身体の感覚というよりも、どこが力んでいるのかが分からなくなることが多かったのです。然し私に問題があったのはこの前提にある、姿勢を ”完璧に整えてからでない” と、という思い込みです。
身体の感覚を意識していないとズレる.というのは事実あります。ですが、これは後に知ったことですが、身体の感覚を意識することよりも『筋肉』というのは緩ませてあげる、リラックスさせてやることが先に大切なことだと聞いています。それから『呼吸』です。つまり私は、整えようと繰り返す動作の中、力んでいることが多かったため、やればやるほど緊張しているその部分へ力が加わってどんどんとクセがついていっていた。

本当なら姿勢を完璧に整える必要性はなく、身体をリラックスさせて癒してやることが、本質的にはそれが先だった。もっというと、その当時は未だ顕在意識や潜在意識などのことを殆ど知らなかったので仕方がないと言えばそうですが、自分の内側へ意識を向けてやれていたら、結果は違っていただろうと思います。


 一度思い込んだものは良いと信じ込むクセが私にはあるので、”信じ込む” そのものというよりかは、そこには、『絶対』や『正しい』という思いの強さが人間関係を拗らせて来た要因の一つでもあるのではないかと思います。そんな思い込みの激しいところがまさか身体へ影響を及ぼしているなどとは夢にも思っていませんでした。

 そして、その心療内科の先生のもとへ再び向かったその結果は私の想像通りで、病院の紹介は出来ないと云われました。べつにその応答に対し不満に感じることもなく、驚くこともありませんでした。

 

 然しながら、例えば『コロナ』が流行っていた頃、『マスク』『ワクチン』関連で『推奨派』と『反対派』の両サイドがあったことはご存知だと思います。学んでいる人であれば、その両サイドが存在する、それが生まれる理由もよくご理解なさっていらっしゃるかと思いますが、ただ、これもそもそもの話です。『何事も二極の世界』とは亀井さんも動画内でよく仰っておられますが、これは確か『松本医院』さんも仰られておられたこどで、私自身も前々から感じていたことでもあります。『反対派』が出てる時点で、調べる人は調べる。調べない人は調べない。その二極へ別れる。それだけで本当は良かったのだろうと思います。
つまりは、コロナ以降も現代医療を前提にした精神科医や心療内科含めるすべての医療機関含め、今居る立場を続行されている時点でもう答えはそこで決まっている。ですので、私自身としてはそこで得られるものというか、意味はないと言い切るには少々語弊があれど、私の目的とする方向へ向かうには個人的には一旦停止のような感覚です。とは言え、前提として、私自身がもう少し自分の意見や思いを強く主張するべきだったなと感じています。

 先生とのやり取りで不快に思ったりしなかったのは、此方側の意見を尊重して下さっていたからです。マイナス感情を抱くことはなく、寧ろ以前よりも好印象を抱きました。そういう意味では来て良かったのかもしれませんが、その逆に、ほんの少しだけ心がざわついたのがそのサポートをして下さる機関のお二人の内の一人に対してでした。

然しながら決してお二人のことが嫌いで言っている訳じゃなく、今では彼女たちと出会えて本当に良かったと思っています。彼女たちと会話していく中、私自身も、お相手側は一般側であったので、言葉を選びながらお話すれば、真摯に話て下さって有難う御座います。と仰って頂きましたが、相手のいる立場や視点。相手が今置かれている状況や背景などを想像しながら ”落ち着いて” 話せば、喧嘩や争い、マイナス感情になることはなく、此方側の立場や視点に対し否定や批判的な視線を投げられることもない。お相手側がこちらの意見を受容れられなかったとしても、私の思いなども汲み取って頂けるのだと学びました。ちゃんと説明すれば分かってもらえるのです。けれどもその ”ちゃんと説明する” そのときに一番大事だと改めて感じたのが ”伝え方” です。そしてその根っこが『愛』からくるのか、『エゴ』からなのか。

 

 『お詫び』の方にも記載していますが、2020年か21年頃の春の終わり頃と、6か7月頃に、当時友人だったある三人へマスクとワクチンの説得を試みようと思って連絡しましたが、結局それがダメになってしまったのが、その根っこが『承認欲求』『不安』『恐れ』という『エゴ』から言動していたこと。そして、相手の状況や背景を考えずに安易に口走ってしまったこと、つまり『想像力の欠如』です。

 

 それから、そのお二人の内の一人が、私の家を素敵で、建っている場所もとても良いところですねと仰って下さいました。私自身、自分の家はあまり好きじゃなかったので、そう仰って下さったときは少々吃驚しましたが、その言葉がなかったら私は、この家をずっと嫌いなままだっただろうと思います。汚くて、暗くて、気持ち悪い家。そう思い続けて暮らしていたことでしょう。

私の家が建っているところって、よくよく見ると本当に良いところで、目の前には大山が見えるし、わりと近くだし、川の音も聞こえて来て、風の通りも、小鳥の声もよく響く。山へいつでも行ける。住宅が密集していないので本当に広々として、自然豊かなところなんだなと初めてそこで、私はこの家の良いところ、この地域の良いところに気づいたのです。思えば昨年の春に近所でみつけた私のちょっとした花見のための穴場スポット。そこは本当に、殆ど人が通らないので一人で独占出来るのです。ここに生まれて本当に良かったと、そして、それは両親や、嫌いだった鳥取県米子市という地への感謝へ、後々繋がっていきました。

ここへ家を建ててくれた父。二人が結婚してくれたこと。この地へ住もうと思ってくれたこと。ここで私が生まれたこと。

こんな場所に良いところなんて一つもない。だって暗くてじめじめしてて、鬱々とした空気が漂っている。とその当時は思っていましたが、それは単純に心がそう私へみせていただけだった。そうやって嫌いだった鳥取県米子市という場所は、本当は良いところだったんだなと、今ではそう思えるようになっています。


 ただ、ここで改めて分かったことが、前提とする立場が違うから互いに話がかみ合わない.というのも間違ってはいない。けれど、単に前提が違うからだけじゃなく、やはり一番要となるのが『あり方』や『生き方』。そして、”実際の体験” があってこその "現実" であり、本当の意味での ”本物” .といことです。又、前提を疑ってみたり、亀井さんが動画でよく仰っている ”問いを投げる” 。相手にではなく先ずは自分自身へ矢印を向けてやる。思い込みを前にして言動をしないそういった練習がこれから先も、私は大切なんだなと思います。

  

 (5)へ続きます。