数年ほど前から始まった自身への暴力によって姿勢の歪みの進行が加速していき、今は正直いうと、終わった方が楽だという思いが浮かぶぐらいです。

 昨年は、元の元気な身体へ戻るために行動して来たことには間違いはありません。ただ、以前からもう既に、『治る気がしない』感覚もありました。でも諦めたくなかったので、それでも治せる可能性があるならと動いていましたが昨年の九月後半に『病院が自由に選ばない』ということが分かりました。ただ、残念な気持ちと同時に感じたのが、ホッとした安堵です。恐らくは、この安心が私の本当の声だったのだろうと思います。

その整体師さんのコーチングを受けている際に云われた ”困ってないから” という言葉は当たっていました。‐そのことについては後述しています。‐

 姿勢が歪んだまま生きるということは、当然ながら色々と不便が出て来たり、出来ることも限られます。とは言え、”限られる” です。
身体がどんな状態だろうと自分次第でどうにでもなる。姿勢の歪みは一生取れはしないだろうし私の望みも、叶えてやれる数も少なくなる。でも本当に、なにも出来ない訳じゃない。それはある方の存在によってそれが確信へと変わったからです。


 『人の可能性は無限大』とは聞きなれた言葉ですが、その整体師さんとのコーチング中に、ある障害をもっていた方のお話が出てきました。詳しい内容は伏せませすが、その方は『シータヒーリング』を受けて以降、見紛うほどの変化を遂げられたそうです。その方自身に対しても純粋に凄いなと感動したのですが、ただ、シーターヒーリングを受けたからと言ってすべてが一気に変わるのかというとそうではなく、”自らの行動” が必要不可欠です。それ故に、物理的に身体が治らずとも私の可能性が広がるなら、たとえ時間がかかってもいろんなものへ触れていきたいと思うので、私の足枷となっていたものを外せることが出来る。そのシータヒーリングを受講したいと思っています。

 

 様々な『講座』や『メソッド』を習ったり、『ヨガ』なんかもそうだと思いますが、なぜ多くの方々が自分に役立つものを取り入れようと動くのかというのは、本質的には、幸せになるための手段として、なのだそうです。そして、お金を稼ぐ.という行為自体も、大切な人たちと暮らしたい。守りたいから。だと言います。

 

 話はズレるかもしれませんが、お笑い芸人キングコングの『西野亮廣』さんが以前にこういう風なニュアンスで仰っていました。

 

 『 大切な人が幸せに笑っていられる環境にするには、その大切な人の周りの人たちの生存も大前提 』

 

 私自身はコロナへ入って以降、ありとあらゆる意味合いから本当にすべてが変化しており、それは、『世界』『人』『いのち』『自然』『神』『価値観』『死生観』『魂』『あの世』『転生』『お金』などの本当にすべてです。それ故に、『生』と『死』そのものに対しての印象や捉え方も変わっており、例えば、その当時の私のように、認められるため。痩せるため。という生きる目的が承認欲求になっていたり、ただ食いつなぐために稼ぐ。のように、単なる生存のために生き延びる生き方は、きっと虚しい。

 

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 私は自分をずっとバカだとか頭が悪いと思ってばかりいましたがそういったのもまた、私の『あり方』や『生き方』に問題があったからでしょう。ただ驚いたのが、コーチングで言われたのが、『頭が良い』と言われたことです。多分後天的に育っていったものだと思いますが、例えば、今ではその傾向は少なくなっていると思いますが、所謂『ずる賢い』。

十年以上前までの私は『自己卑下』『頑張り屋さん』『謙遜』などをする人というのは他人から好かれやすい.という印象を持っていました。私は私自身に対しての評価がすべてマイナスだったが故に、嫌われることへの恐れと不安から、そこからなにかをしてほんの少しでも補おうとしていましたが、それが結果的に報われることはなく、寧ろ、マイナスな方向へ傾いていっていったのは言うまでもないことです。ないものを付け足そうとするその根本的動機が『承認欲求』という『エゴ』だったからです。

 

 過去の経験上から嫌われることへ極端に恐れていた私は、それを無意識的に狙って、私は私に対しての嫌悪感や苦手意識をもっている人をみるとすぐにそれが分かっていたことも相まって、言葉を選び、過剰な自己卑下をし、他人へ合わせなんでも頷く。人が違うと態度を変え、自分にも、他人にも、無意識ではあったけれど嘘を吐いていました。そのすべてが嘘だったかというとそうではなく、思ってもないことを言っていたりとかです。そういった意味からいうと私はずる賢いと言えるのかもしれません。然しながら、今の自分をバカだとももう思うことは出来ず、ずる賢く生きるつもりももうありません。頭が悪くなるときはあっても。
 


 下記でお伝えしていますが、昨年からずっと私は生活保護を受けようと思っていましたが、それを受けるには先ず最初に資金が必要だと分かりました。今の姿勢の歪みが酷い状態で外へ働こうにも無理があり、なにより、不注意が目立って他人様へご迷惑がかかる。なので、今は借りるしかないと思い、私はお金を借りようとお願いの文章書いていました。

それを数人に送ったのですが、結果的に返って来たのは一人だけで、その子は理解をしてくれて、良いよと頷いてくれました。ですが、他複数人からの応答はありませんでした。
それをコーチングの際にお伝えして、返って来たその答えは ”困っていない” から。なぜ困っていないかというと、暮らせているから.です。私は昨年からずっと『私は困っているから行動して来ている』とばかり思っていたので、私の話し方がどこかダメだったのか、また間違えたのか。それとも、本当の意味での変化を望んでいないからか。と思っていましたがそう云われたときはすとんと、納得と、腑に落ちました。

身体が歪んでいても、雨風を凌げる家はあって、あたたかいお風呂もある。ネットが使える。スマホもあればパソコンもある。そんなに裕福な家庭ではなく、なんの気兼ねなく自由にとはなりませんが、欲しいものは一応は買えている。その状況がこれまでずっとあったからです。

‐ 潜在意識の視点からいうと、人の望みはすべて叶っている.と謂われますが、そう言われると頷く以外他にありません。‐ 


 『ブロック』というのは『稼げないブロック』です。それがあるかもしれないねと云われました。絶対あると思うのは、これまでの経験上を考慮すればその可能性は低くはない。後は、バイトをしていた頃になんらかの、仕事に対してのトラウマが生まれている。

 

 他にも私には『ブロック』とは色々とあるかと思いますが、今回印象的だったのがそれでした。そのため、私は今年に『シータヒーリング』を受けようと思っています。先ずは『セッション』をする予定です。


 シータヒーリングを受けようと思ったのは、先述したその整体師さんとの会話から登場したその障害をもっていらした方のお話が切っ掛けでした。その方の存在を知ったとき、それは未だ儚いながらも、確かに硬く、希望のひかりが私の内側で差したのを感じたのです。そして、それ以降からあやふやだった方向性もハッキリと明確になっていったのです。

 これから先、私がやっていきたいと思うのは主に『絵』『デザイン』『お話』。そして、趣味であった『二次創作』 を再開したいと思っています。今は小説は書きたいという意欲もあるので、出来たものは『pixv』へ投稿しますが、すぐに公表するのではなく、非公開のままに、機を待って、暫くの間はあたためたいと思っています。ただ、これからは『絵』を主に描いていく時間を取ろうと思っているのと、将来的には、私がデザインした衣装を私の好きな『CP』へ着てもらうこと。特に右の子には女性の衣服を着てもらいたい。きっと似合うだろうなぁとその思いがずっとあったので、着せ替え人形みたいに見てはいませんが、あぁ私はそうしたかったのかもしれないと、どこかで思っていたのだと思います。それというのも、これまでに何度か絵に挑戦してみようとしていたことがありましたが、でも姿勢の歪みがあるし…と、そこでも歪みを言い訳にして諦めて来たのです。

 

 然しながら、『2040』さんのあるお話を切っ掛けに、二次創作を始め、文字が記載されているものは自分の人生に役立つもの ‐『健康』『学び』『気づき』になるものなど ‐を除き、読むことを止めようと思っています。‐ その理由は後述しています。‐ ですので、二次創作の小説の方は、自分のものは見ても他人様の作品へ目を通すことはもうこの先は少ないと思います。それから、二次創作では、お喋り出来る友人や仲間が欲しいと思っています。これは私自身の成長にも繋がるかと思うので、特にそこへの条件はありません。

自分へみせたいものを描く.というのを前提に、趣味の方は未だ行こうと思っています。
 

 又、『マルシェ』を鳥取県米子市か、もし可能なら、大山で体験してみたい。又、出来うるなら、将来は『大山』で暮らしたい。という思いがあります。そしてもう一つあるのですが、ただ、これは一般側からみると不謹慎とされる類に分類されるのではないかと思うのでここではお控えさせて頂きますが、一つお伝え出来るのは、そのとき、その先の未来に対し今のところは、それを最初聞いたとき、不安と恐れを抱きましたが、ただ今は、良かった。と思えている自分がいます。これまで存在していた時代、所謂『DS社会』『常識』『文明』へ終止符が打たれる。同時に新たな世界が幕を開ける。その節目をこの目でみて、体験したい。それまでに私のいのちがあるかどうかは分からない。けれどそこまでは生きていたい。そして気づいている今だからこそ言えることですが、この社会がピラミッド型で良かったんじゃないか。と。”彼ら” の存在が居なかったらありとあらゆる意味においても、『私』はここに存在しなかったんじゃないかとすら思うからです。



 私は『死』を、『いのち ‐肉体‐の終わり』と捉えています。『終わり』とは、すべての人々に必ず訪れるものであって、それがどんなとき、どんな風にして終わっていくのかは誰にも分からない。それは誰しもがご存知のことかと思います。『2040』さんのお話から、脅しや怖がらせる目的があって言うつもりは決してないのですが、これからは今まで以上に、あらゆる意味においてもなにかしらが起きてくる確率は高くなっている。そういった意味でも、『人』の ”いのちの終わり” とは本当にすぐ傍にある。特に私の場合は、歪んだ身体で生きていくとなると、恐らくはいつしか、数年後の未来は今よりももっと不自由になってしまっているかも分かりませんが、可能性としては低くはないでしょう。

身体の歪みの進行も今も時折ある中、どこまで生きられるのかはハッキリ言って長くはないんじゃないかと思っています。普通の人よりも終わりは近いんじゃないかと。すぐになにか起きたとき逃げられる身体でもないし、車の運転もその関係上から出来ず、身体の内側で起こるなにかしらが要因となって終わる可能性もゼロじゃない。


 『死』への恐れがないと言ったら嘘になるし、そのときが来たら、情けなくてもエゴが出てくるかもしれない。ただここ数年で多くの教えや『学び』と『気づき』などによって、それだけに限った話ではないですが、以前よりもそこへの見方が変化し、『不安』や『恐れ』もまた薄まって来ていると感じます。
時折ふと思い浮かんでくるのが、帰りたい。その声がどちらのものなのか。どういった意味合いがそこにあるのか、もしくは気のせいかも分かりませんが、まだ私は生きていたいし、生きている内に色んなことを体験したいと望んでいる。私も未だ、諦めたくはないと思っています。


 
 『いつ死んでも良いように』と、私が中学生の頃のある先生が仰っておられました。私には無縁の生き方だと思って流し聞いていましたが、私の頭の隅っこで、ずっと残っていた言葉です。それが昨年の始め頃からその言葉がずっと聞こえて来ていました。


 私は今の時点では、いつでも終われる準備は出来ている.と思っています。というのも別に、そこにはマイナスな意味合いとして云っているつもりはありません。然しながら、”以前までの私” ではなく、”今の私” を ”実際に会って” 誰かに知って欲しかった.私もここに居て良いんだと誰かに認めてもらいたかった。そんな無意識にも望みがあった私は、一月二十七日、山口県の整体師さんのところへ行きました。その思いに気づいたのはその日から数日後のことです。今の私を知ってくれている人が一人でもいればそれだけで良かったんだなと改めて感じた日でもあり、そして、これで私の終わりが訪れたとき、安心して終われる気がしたのです。かと言って、べつに生きることを諦めているつもりはありませんし、私も未だたくさんの体験をして自分を知っていきたい。

 

 今死んでも良いように生きる
 そうと決めたのは、昨年の十一月後半頃からですが、今はその意欲がより一層強く、深くなっています。私がこれまで『死』に対し異常なほどの恐れを感じていたのは多分、今を生きていなかったからでしょう。


 (3)へ続きます。