天気にいい朝は、ほとんど毎日ノルディック・ウォーキングをしているのですが、途中で会うほとんどの方に、「おはようございます」と声をかけています。昼に歩くこともあるのですが、昼の「こんにちは」が何となくわざとらしいというか、何か魂胆があって声をかけてきているんじゃないかと勘繰られる節があるのに対して、朝は自然と声をかけられるように思っています。


そして、朝の「おはようございます」には、世の中を変える力がある、と勝手に信じているのですが、そうであるからこそ、そのように信じている私には、「おはようございます」と声をかけ続ける責務があると思っています。
そんなこともあって、「おはようございます」の英語について、少し考えてみました。


「おはようございます」の英語は「Good morning」ですが、たぶん英語に限らずヨーロッパの言葉は「良い(善い)朝」が「おはようございます」を意味するのではないかと思います。そして、おそらく英語の場合は「I wish you a good morning」などの省略形だとは思いますが、では何故「Good」なのでしょうか?


「Good」は「良い(善い)」で、「Bad(悪い)」の対立概念と捉えていいと思いますが、「善悪」というものは、頭で考えて判断すべきものだと思います。ただし、「真偽(true & false)」のように純粋に論理的な概念でもないように思います。


私としては、論理的というよりは、むしろ倫理的なニュアンスがあるように思っています。とはいえ、nativeではない私には英語の「Good」「Bad」のもつニュアンスは本来わからないのですが、何となく判断の基準に「神」(のようなもの)の存在がある宗教的な色彩を帯びた概念のような気もします。


そのような色彩を帯びた言葉には「正邪(right & wrong)」があり、こちらの方がより強いニュアンスがあるように思いますが、どちらかと言えば「正邪」が「行い」に対しての言葉であるのに対して、「善悪」は「存在」に対しての言葉であると感じています(違うかもしれません・・・)。


いずれにしても、頭で考えて判断すべき概念と思われる「Good」な朝があなたにもたらされますように、というのが朝の挨拶として使われている訳ですが、「頭で考えて判断すべき概念」(ではないかもしれないのですが・・・)というところに、何となく違和感を感じてしまいます。


頭ではなく、心や気持ちに重点を置いた場合、あなたにもたらされて欲しいのは「良い(善い)朝」ではなく、「幸せな朝」のような気がします。ところで、「幸せ(happy)」には対立概念がないのではないでしょうか?「幸せ」にしろ「幸福」にしろ、その反意語は単に否定語をつけただけのものです。この点においては、英語でも同様ですね。


その意味では、善悪がプラスとマイナスの関係にあるのに対して、幸不幸は程度の問題ということになります。ではありますが、善悪と幸不幸とで二軸のマトリクスで考えてみると、あなたにもたらされて欲しいと思われるのは、善で不幸な朝でも悪で幸福な朝でも(ましてや悪で不幸な朝でも)なく、善で幸福な朝であるような気がします。


そういったことから、これから英語で挨拶する際には、「Good & happy morning」(朝の場合)としたいと思っています(少なくとも気が変わるまでは・・・)。


よろしくお願いします。