クリハラです。
昨日、上野の森美術館で、「聖地チベット展」を観てきました。さすがに、チベットの美術品をここまでまとめて目にすることができるチャンスは、これまでほとんどなく、チベット美術や文化、歴史を学ぼうとする者にとっては、かなり見ごたえのあるものでした。特に「カーラチャクラ父母仏立像」は、通常、一般の人はまずまみえることはできず、そのインパクトは言葉を超えています。
さて、この展覧会については、先のブログでもお話ししましたが、チベットが政治的にかなり困難な状況にあるため、各所での議論、抗議行動があり、私も国内で報道、ネットで配信されている記事、ニュースにはかなり目を通しています。実際、昨日もチケット販売ブース前で、政治的なアピールをしている人を何人か見かけました。街では、各所でデモやミーティングがありました。
でも、私が実際に感じたのは、美術品群そのものは、これまでのチベットを支え、チベットをチベットたらしめた、心の知恵、人の技術、財力の結晶そのものです。それらを「略奪品」と呼び、現在、議論している今の政治的な論点に置き換えて美術展を語るのは、ちょっと理論的に違和感を感じます。何世紀にわたって育まれてきた美術は、あくまでも無垢で、罪はありません。私たちは、この美術展で、「私たちの人間としての品格と心の力」を試されているのだと、本気で思いました。
今までチベットを知らなかった人や、もっと知りたいという方々が、
この美術展で感動を受け、チベットへの興味が掻き立てられ、今のチベットの状況を深く知るのは、そう遠くないことだと思います。そして、きっとその先で知る事実から、それぞれが何かを得、考え、行動されていくのだと思います。
そして、行動する際に大切なことは、私たちは、すべての事柄において、対立や憎しみ、怒りをもって臨んではいけない、ということです。これは私たちがチベットの高僧らから直に学んだ、もっとも大切な人の在り方の一つです。対立を超え、事実を受け入れることを胸に刻み、絶対に同じ人間同士で相手に対して、攻撃的、威嚇的、軽蔑的な態度をとってはいけません。
今回、展覧会での商品販売に際して、数少ないながらも、何人かの方々から、かなり厳しいコメントをいただきました。私どもの説明が十分でなかったと、心苦しい思いとありがたいチャンスをいただいたという思いで一杯です・・・が、実は今回、東京の聖地チベット展では、チベットの素晴らしさが伝わる商品をお探しになっている、心あるコーディネーターの方とのご縁があっての販売決定でした。私たちは、チベットコミュニティとのこれまでのやり取りを支えに、日本人に分かりやすく、チベットの良さを厳選してご紹介してきたという自負もあります。
美術を通しての感動、尊敬、畏敬の念は、多くの対立、問題、そして争いを超えることができる・・・私たちノルブリンカは、これまでの経験から、その信念を強く信じ、チベットの素晴らしい心の知恵、癒しの力を、より多くの人に知っていただけるよう、これからもたゆみない努力をしていこうと思っています。