先月父が旅立ちました。
ちびたが産まれる少し前に胃を全摘出をしてから8年。
私の結婚式の時は自分も和装がいい!と紋付き袴を着て、
出席してくれた会社の人からは「お父さん恰幅がいいね~」と言われておりました。
やはり胃を全部取ると食事をすることが大変だったみたいで、手術から半年後の写真を見ると既にガリガリ。その頃は「お父さんは王監督みたいだねと(王さんも胃の手術をしていて、見た目も結構似ていました)冗談を言っていましたが、
最近は「桂歌丸師匠とお父さんどっちが痩せているかねえ」と言う位の痩せっぷりでした。(※お二人とも元気でご存命です。)
九州男児で頑固な父で、猫も含め自分以外全員女性の我が家でしたが、父の権力が一番強かったです。
大学生になって遅く来た反抗期の私はたま~にぶつかりました。
アメリカに語学研修に行きたいと、渡したプリントをその場でくしゃくしゃにされ、むかついた私がその晩一言も口を効かなかった翌日、自分がくしゃくしゃにしたそのプリントをまっすぐに伸ばして
「行ってもいいぞ」ということもありました。
私も父に反抗していた割には、映画や文学で父の影響をかなり受けているということに葬儀の時に気が付きました。実家に置いてあった映画のビデオ(イタリア映画の「鉄道員」)を斎場に持っていったら、
年長のいとこたちがとっても懐かしがっていました。
NHKのラジオ英語の音楽を聴いていた頃、父が初めて買ってくれたCDはルイアームストロングで、ジャズも好きになりました。
小学生のころ、千葉県から父母の実家がある福岡(!)まで車で旅行した途中で、奈良に観光旅行をしたり、佐賀の吉野ヶ里遺跡に行ったことがとても思い出に残っています。私が仏像好きで、大学で史学科に進んだのと関係があるんだろうか・・・・。
我が家の子供たちは痩せているおじいちゃんしか知りません。頑固な九州男児ではなく、孫にとっては冗談を言う優しくて面白いおじいちゃんでした。
ちびたが生まれた時は、手術をしてから3か月後くらいでしたが、毎日ちびたを沐浴してくれました。
ミニタが生まれた時は、ちびたを連れて毎日病院に来て、新生児室のカーテンが開く様子をベトナムで見た水上人形劇になぞらえて、「ほら水上人形劇が始まるぞー!」と言っていました。
もちろん、ミニタの沐浴も毎日父がやってくれました。
二人とも、沐浴の時の写真には父の腕が写っています。
ちびたにとっては、近い人の初めての死で、病院で父と対面してから葬儀が終わるまでの3日間は本当にあっという間でどうだったのかな?と思いますが、お焼香や合掌もお辞儀も周りの大人の真似をしてちゃんとやれていました。
悲しかったけれど、九州から友人や親戚がたくさん来てくれて、天気が良くて桜も満開で、とっても温かい式だったので、ちゃんと送り出せたんじゃないかなと思います。
可笑しかったのが、私の姉やマーティンが挨拶をするのを見たからか、東京に戻ってからのお風呂で「XX家の長女のちびたです。よろしくお願いします!」とスピーチしていました。
ちびたやミニタには、おじいちゃんは49日まではその辺をふわふわ飛んで会いに来ているよ、と教えています。GWに実家に帰った時は「おじいちゃんもう家に戻ったかな?」とか、
「バスの上に乗っかって一緒に帰ってきたかな?」と言っていました。じいちゃんバスの上に乗っかってたらちょっと怖い(笑)
祖父母や叔父叔母の葬儀の時は安らかに眠ってください、と心の中で唱えていましたが、自分の父なので、もうちょっとこの辺にいてね、と思ってしまう。
もう少しふわふわと私たちを見に来て欲しいなあ。