こんにちはチューリップ

ゴールデンウィークも終わり、学校が始まりましたね。

娘にとっては戦いのとき。

ゴールデンウィーク中も『あぁ、学校行きたくないショック』と言っていた。


わたしは『そうだよね〜』と深く突っ込まずでも『聞いているよ』の姿勢で相槌を打つ。



私もゴールデンウィークが終わり、前半は仕事をしていたものの、後半はゆっくり休んでいたので今日は『会社に行きたくない』と思ってしまった笑い泣き行ったら行ったで頑張っちゃう!



親からしたら子供の『行きたくない』という言葉を聞きたくない方も多いと思う。




行きたくない

→さぼり、なまけ、甘えなど、子どもの気持ちに対する親の怒り、行けて当然と思っている親のエゴ

→他の子は行けているのに自分の子どもは行けない(周りからどう思われるのか、社会から逸れているのではないかという不安感)
みんなと同じではないことに対する恥ずかしさなど、結局親自身がどう思われるのか世間体を一番気にしているだけ




娘が不登校になり始めた小学5年生のときは
私自身が『不登校の娘』という肩書きに囚われ過ぎてしまい『負のループ』にどっぷりハマってしまっていた。


だから当然のように親子の衝突も避けられず


毎日感情のぶつけ合い、泣き合い、二人でドーンと気持ちが落ちる。


母子二人しかいないから、こうなったら収拾もつかない。

誰か『助けて』



こんな毎日が続くなら、親子共にこの人生を
この手で終わらせようとも考えた。


命がどれだけ大切なものかとわかっているのにどうにもならない感情。



目の前が真っ暗だった。





そんなときに私の心を救ってくれたのは


NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ』でした。


病みにやんでいて、どうやってここに辿り着いたのか記憶が少々欠落しているのですが、たまたまネットを見つめていたときに『電話相談』をやっていると知り、もうどうでもいいや(本当はどうでも良くないから辿り着き)無の気持ちで、電話に出た方へ、自分の気持ちを打ち明けたと記憶しています。



そのとき感じた気持ちとして

『自分と子どもの存在を認めて貰えた』

『本当はこの辛かった思いを誰かに聞いて貰いたかった』

『頑張ったね』って言って貰えて嬉しかった


ただただ涙が流れた記憶があります。





人に頼ることも必要


この辺りから自分の中で頑張り過ぎて背負っていたものが軽くなり、『甘えてもいいんだ』と思えるようになりました。

親が息詰まっていると、意識せずとも子供も共鳴してしまいます。

まずは親の私が満たされることによって、心に余裕が出来るようになり、気づいたら子供も自然に笑顔になっている、なんてことになっています。


また、衝突も少なくなりました。






周りは周り、わたしは私


命を生きることは周りのためではありません。

すべて自分のための人生です。


幸せの価値だって人それぞれ違います。


学校に行く、行かないで、その人の価値なんて誰にも決められません。



自分自身がいちばん心地よい、やってみたいことを選択していけばいいんです。






長くなってしまいましたが、娘は不登校であっても、不登校でなくても

『娘であり、ひとりの人間です照れ

むしろこんな経験が出来ていることに感謝すら感じますクローバー





今日も読んでくださりありがとうございますラブラブ