汝が声、誰も聞かずば、一人歩め、一人歩め
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こんばんは


もうそろそろ2011年も終わりですな~(`・ω・´)ゞ



最近見たテレビで心に残った事。


ものすごく暑い国(世界1位?)でインタビューに答えてくれた現地のおじさん


私はもうすごく暑いのが苦手で、夏になると毎年ひーひー言っているので

こ~んな暑い国耐えられないわ!!と見てました。

この国で暮らすのはさぞやつらかろう・・・暑すぎて産業といえば”塩”しかないし

なんて勝手な事を想いながら見ていると


「この国には私達が暮らすのに必要な物は全て揃っているんだ」


ここの生活はどうですか?との問いに答えた台詞がこれでした。


ずいぶん手前勝手な考えをしていた私はもう恥ずかしくて(><;)

”塩”しかないなんて随分な言い草。


勝手に私の尺度で測って「辛そう」なんて傲慢にも程がある・・・。


大切な事は「何を信じるか、何を良しとするか」

その人が信じる価値観がブレなければ、この世がどうであろうと、どこにいようとも「足りて」いるんだろう。



もう一つは


フランスのワイン農家の話


そのワインはかつて、最高ランクに称される「AOC」に位置付けられていたのですが

評価の仕方が変わったせいで、そのままだと3番目のランク「Vin de table」?に降格させられる恐れがあり

その農家では評価に合わせる為に違う品種のぶどうを混ぜてみてはどうだろう?等試行錯誤をしたそうです。


しかし今までの配合を変えるということは事は、ワインの味を変える事。


オーナーが下した結論は


「配合は変えない。降格を甘んじて受けいれる」      です。


彼は自分自身が探し求めたその配合を信じたそうです。


世間さまから評価されなくても、自分を信じているから大丈夫! 


私が今まで世間とやらに振り回されていた原因(まぁ今も振り回されているんだろうけどショボーン)

それは「自分にとって何が大切なのか」を考えてこなかったからです。

他人の評価ばかりを気にして、評価が得られないものは価値の無いものと考えていたからです。

それ以外にもいろいろ原因はあるけれど・・・

自分の評価より、他人の評価の方を信じていたからだ。はぁ~(><;)

他人の評価が何よりも好きだ!という人はその道を邁進していただきたいけれど

私はどうもダメみたい。性にあわない。無理はよくない(笑)よくないわ~♪


私にとって「大切な事」 「信じたい事」 これに気が付く事のできる一年に今年はするぞ!!!(年越した)


では吉田類の酒場放浪記に戻ります~



こんにちは~


読者登録して下さった方、ありがとうございました。


少し前から「ダイの大冒険」を読み始めてようやく昨日最終巻まで読めました。

やっぱり全37巻は長い!面白い!

でも、ダイの大冒険って昔は嫌いだったんですけどね~。


もともと才能があって、あれよあれよという間に強くなっていく主人公が面白くなかった(((゜д゜;)))けっ!

アニメは毎回見てたけど、EDの想い出と、ダイ、ポップ、マァム、アバン先生くらいしか覚えてないぞ~(´□`。)


ということで、長い間ダイを読む機会を作ろうとは思っていなかったんだけれど、

ある日なんとなく頭にダイが浮かんで読み始めたら、ポップの成長が面白かったし共感できた。

彼も本当はダイの様に才能があるし、大天才であるけれど、自分の才能に気が付かず、

気付かないばかりか自分で自分の才能を殺し

他人と比べて自分は劣っている、無能と決めつけて、そういう劣等感やらいろいろなものに

苛まれながら努力して成長していったポップがとても良かった!


最後の闘いで「俺って天才かも・・・」と呟いた彼に

ダイが「お前は昔から天才だよ!」って答えてくれた所はじぃぃ~ん(ノ◇≦。)

「昔から」という言葉が重要なんですよ!

昔、ピンチのダイを置いてすたこらさっさと逃げたり、修行を全然しようとしなかったポップの事も見てるのにね。

物事は一面だけで判断できない事と臆病で怠惰なポップはポップの一面でしかないと解ってるんだな~。

私は、他人でも自分でも「嫌な一面」を大きく評価しちゃう癖が強いので見習いたいです(*v.v)。


話は変わりますが、

最近友達と話をしててびっくりした事があったのでちょっと考えてみました。


いろいろ話をしてて、私が「私はもっと自由に生きたいのよ!!!」と鼻息荒くまくしたてたら

友達に「えっ??十分自由なんじゃないの?」と言われ (  ゚ ▽ ゚ ;)ぽかーん

「どこが?どこが?今まで自分で自分に「こうしては駄目」とか「こうすべき」って考えて、

 自由に生きられなかったから、これからはもっと自由に生きたいんだよ」 と返すと

「ええ?でもさ~フランスにも行ったし、今は勉強がしたいからって勉強してるし、けっこう自由なんじゃないの?」 と言われてズガガガーン!!∑(゚Д゚)


そ・・・そうなのか・・・???そう言われればそうなのだろうか?(@Д@;えぇ~?


と、もーすっごくビックリしたんですよ!

彼はフランスで友達になった人だし昔の私の事はまったく知らない訳だけど

今の私は案外自由に生きてる?すくなくとも他人からはそう見えているらしい。


ということで良く良く思いだしたり、考えてみると、確かに、そこまで言うほど不自由なのか?と思い始め

中国に行けなかった~(´・ω・`)とか自分を縛ってた過去もあるものの

考え方を変えると、中国に行く事を反対されたけど、

行こうと思えば日本人なので簡単にビザを取って強引に行く事を誰にも邪魔されないのに

行かなかったのは、行きたくないという無意識に沿った行動だろうし、国家から強要された訳でもないのに

自分を縛っていたのは自分の意志な訳だし自分を縛っていた過去の自分も、中国に行かなかった事も

自分のやりたい事をやっていた訳だなぁ~と。 極論だとは思いますが一理はある。


想い出してみると、我の強い私は私のやりたいように生きてるなぁ、と実感。


あら?だったら不自由な私って一体なんだったの?


言葉もそうなんだけど、認識していない、できていない言葉はどれだけ聞いてもまったく解らないんですよ。

ず~っとフランス語のラジオを聞いていてもまったく解らない(私の頭の問題かもしれないけれど)

一度覚えるとその単語が意味と実体を持って、流れる言葉の中でその存在をぐいぐい主張してきて

むぅ!!君はそんなところにいたのか!って感じに聞き取れるようになるんですよ。


ヘレン・ケラーが実際に水に触れた時に初めてウォーターと言う言葉を理解したように

認識していない事実と言葉は、「無い」に等しい。と思う



私は、「不自由な自分」の事は認識していたけれど「自由な自分」についてまったく認識していなかったので

あほか!!と思われるかもしれないけれど、ずっと「あぁ、なんて自分は不自由なんだ」と思い込んでました。

というか、私の世界は「不自由な自分」でしか構成されていなかったから当然なんですけどね・°・(ノД`)・°・


今ようやく私の世界は「自由」と「不自由」の両方で構成されました~!!ぴゅ~ぱふぱふっ!!

(そのほかの構成要素もあるよ~。)


当然、「自由」だけの世界も無いわけですよ。

私は数えてみると、「自由」の方が「不自由」より少し量が多いから今、自由だなと思うんです。


”個人”の現実というものは各々の認識した結果なんじゃないでしょうか?


「人はなりたいモノになれる」と言う言葉、嘘じゃなかったんですね。


ポップのようになれる可能性は私にもあるかも!!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:笑





サイボーグ009の映画化の話、びっくりしました!!Σ(・ω・;|||

ジョーはいいのよ!ジョーはっ!!

ジェットの鼻が・・・無いΣ(~∀~||;) 髪もオールバックでどこのホストやねん!!って感じでちょい悲しい。

可愛い平成ジェットが好きなのに。ハインリヒのきのこも、きのこの山に落としてきてしまったようだ。チョーン

別物として楽しんだ方がいいのかな~(´∀`)


妖怪人間ベムはとても良いですね。 ということでさよ~なら~







こんばんは


昨日、ウサマ・ビン・ラディン(オサマ?)が殺害されたそうですね。

びっくりしました。アメリカに。


勉強の為にフランスのニュースを見ていたんですが、またもやびっくり!な事を目にしました。


昨日は日本のニュースを見ていないので、日本ではどんな風に報道されていたのか解らないけれど


ホワイトハウス前や、グランド・ゼロに集まって、ウサマの死を喜ぶ群衆・・・・が映ってました。

口々に「テロリストが死んだ!」「これでようやく自由になった!」「信じられないよ!」


それでいいんですか??(´Д`;)  私の方こそ信じられないんですが。


仮にも人一人殺されたんですよね。それを大喜びってどうなんでしょう?

ていうか、いつでもあんたらフリーダムじゃん。

9・11で無くなられた方々の遺族がそう言うのを止めはしないけれど、そうじゃない人もたくさんいたはず。


やっぱりアメリカの言う民主主義って胡散臭いなぁと改めて思いました。東京裁判とかさ。


テロリスト、テロリストと言うけれど、それはアメリカが勝手に押し付けた価値観な訳で

俺正義の味方!だからお前ら悪者ね~!って勝手に押し付けてるだけじゃん。


民主主義を気取って、正義の味方を名乗っているのならちゃんと司法の場で裁いてほしいです。

彼らの言うテロリストとやってる事変わりないんじゃないでしょうか。


今語られている、ビン・ラディン像も造られたものですよね。

彼の口から語られない限り、それはただの想像でしかないです。

それに、どうして彼らはそこまでするに至ったのか?を理解しない限りテロを撲滅することなんて不可能ですよ。


テレビではビン・ラディンの生い立ちを紹介していたのですが

その中で英語を教えていた教師の話では、彼は特に敬虔なイスラム教徒と言う訳ではなかったようです。

テロ=イスラム教でなにかとイスラム教徒を危険視する風潮ですがこれもアメリカのイメージ戦略じゃまいか。


それでも、テロに巻き込まれて殺されてしまった人達はとても悔しくて、

残された人達はとても悲しい想いをしているのだろうと思うと、本当にいたたまれません。


だからこそ、テロを撲滅するための解決方法をアメリカも(本当の意味で)含めて

探す努力をして欲しいものです。その為にはまず裁判だったのに。


まぁ、アメリカとしては彼に法廷に立たれては非常にまずいんでしょうが。(黒いなぁ)

本当にビン・ラディンは死んでるんでしょうか?すっごく疑わしい・・・水葬だしなぁ( ̄ー ̄;