自分がこの世から消えても大切な子どもに何か残したい。
体調不良のせいか、最近ずっとこんな事を思うようになってきた。
今、目の前にいる子どもがいる人はいい。
子どもにしてあげられる事は沢山あるだろう。
自分の場合離婚して10年近く経つが会わせてもらえない。
子どもは父親の愛も思い出もない・・・。
そんな子どもに自分の想いを残したい。
そこで子どもの鷹寛には買ったものではなく、苦労して手に入れたものを渡したい。
それが水晶を自分で採りたい理由。
水晶は買えば簡単で、安く大きいのも手に入るし楽に印鑑も作れる。
でもそれじゃダメ。
いつか鷹寛が親になった時に、いつも忘れずにいた父親の想いを感じて欲しい為に、苦労して手に入れたものだけを渡していきたい。
それを鷹寛が感じてくれるかは、やってみないと分からない。
未来の事はどう転ぶか分からない。
ただ、後でやっておけば良かったという後悔だけはしたくない。
だから他人が馬鹿にしようが否定しようが別に構わない。
自分の想いは鷹寛の事だけ。
水晶の話が逸れたけど、水晶を含めた鉱物採取は時期がある。
冬になると地面は凍り掘れず、山は雪が降り鉱物が見えなくなる。
つまりもうシーズンオフになる。
前回は11月だったのでまだ行けたが、12月になるとどこも厳しい。
TVのニュースでは雪やスキー場オープンの話が流れ、山での水晶探しは完全にシーズンオフ。
何とか今年のクリスマスプレゼンに水晶を残したいのに、水晶探しのデビューが遅かった・・・。
「どこも無理ですよ」と言われるが、毎日諦めきれず悶々とする日々。
「だいたい子どもに会えない、渡せないのに無理してクリスマスプレゼントとして採る必要があるの?」と思わるだろう。
それでも「今年も大切な鷹寛の為にクリスマスプレゼントは用意したんだよ」という想いを残したい。
また、離婚によって両親に愛されるという事をしてあげれない罪滅ぼしや贖罪(しょくざい)というか、何か自分を苦しめないと鷹寛に申し訳ない気持ちで一杯だからだ。
なら他にも方法がと思うかもしれないけど、もう10年近く人が思う事をいろいろやってきた。
今はこれが出来る事というか、体調不良でいつ死んでもというレベルまで下がってきた。
そう思うと、もう時期外れだけど山に行って水晶を採ってきてあげたいと毎日諦めきれずにいた。
今度は違う場所に行ってみようと思い始める。
いろんな人のブログや古い文献、明治時代の鉱山のある地図を見て、ある山が気になる。
日帰りだと厳しい距離だが、ふとネットで問合せしたのがキッカケで、全く関係ない人の紹介で1泊1500円で泊めてくれるという話になった。
これで決まった。
続く