熊本地震の被災地にて① | 夜明け前の寒さに凍える時・・・

夜明け前の寒さに凍える時・・・

離婚後17年間1度も面会交流をさせてもらえません
8年間で1度しか子どもの顔を見れなかった時期もあります
顔も知らない我が子会いたさに理不尽な壁に苦しむ毎日でした

それでも諦めない事が奇跡の再会につながりました

皆さん、お久しぶりです。
前回ブログを書いてからかなり日数が経ちました。

自分の子どもが震災の中心地にいて未だに安否確認が出来ません。
最後にブログを書いてから被災地でずっと我が子を捜しています。

その間、高裁から面会交流の棄却の連絡もきました。
8ヶ月もかけて棄却です・・・。
その間、子どもに対する事は自粛せざる得ない訳で無駄な8ヶ月でした。

と、いっても8年間で子どもとは1回しか会えていません。
裁判も終わったので今後は後から続く当事者の為にもオープンにし参考にして頂きたいと思います。

話が戻りますが、現在被災地でボランティア活動をしています。
子どもを捜しに行きましたが、あまりにも状況が酷く見過ごせなくなりました。
毎日朝から夜までボランティア活動をしています。
気づいたら2週間経ってました。

避難所は劣悪な環境で、我が子もどこかで辛い思いをしていないか心配でなりません。
また、被災者の方と話をすると、地震がホント怖かったそうです。
未だに建物の中では怖くて寝れず、寒い外で車の中で暮らしている方が大勢います。

子どもは小さい時は怖がりだったので、それを考えると一緒にいてあげられなかった事が悔しくてなりません。

避難所の食事は基本おにぎり2個のみです。
民間のボランティアが来ると炊き出しといって、豚汁やカレーを出してくれます。
最初の1週間は店もコンビニに食べ物は無く大変な状況でした。

こんな時程、家族が寄り添って助けあう時なんですが俺は何もしてあげられません・・・。
相手家族は子どもの安否さえ教えてくれません。
普段ならともかく、こんな状況でも子どもの心を無視する感覚がわかりません。

とりあえず近況報告という事で書かせて頂きました。
タブレットで書くのが大変なので詳しい状況はまた後日に。