実家の婆ちゃんの七回忌で田舎に帰省しましてね。
正月に2年ぶりに帰省した時には感じなかった両親の見た目の老いに戸惑うというかさ。
まぁ見た目と中身は違うからその印象から自分の感情が揺れるのは僕の感覚に左右されることでね。
たぶん正月に帰省した時にはそこまで観察する気持ちの余裕が僕の方になかったのかもしれないなぁと。
母方の婆ちゃんも今月が十三回忌なのでその香典を先に渡そうと思って、そのタイミングも難しいから母親が1人の時に渡したわけ。
両親がいる前で香典を渡すことに照れというか、普通に喋ってる流れの中で渡せなかったのよ。
冠婚葬祭にはお金を渡すタイミングも形式があるらしいからさ。
そのせいで父親から誤解されることになるんだけど。
それから兄貴夫婦が住んでる隣の母屋に行ったわけ。
婆ちゃんが亡くなってからは兄貴夫婦が住むことになって、僕も小学生までは住んでた古い家なんだけどさ。
甥っ子が春から小学校に入学したから入学祝を渡そうと思ったわけよ。
甥っ子と兄嫁は活動してたけど兄貴はまだ2階から降りてこなくて、なかなか入学祝いを渡すタイミングが難しくてね。
父親も来て喋ってたら兄貴が降り来て仏壇に挨拶に行ったから、そのタイミングでバックから入学祝の袋を取り出したわけ。
そんで兄貴に渡そうと仏間の方に行こうとしたら父親が僕に手を伸ばして「ちょっと待て!!」って叫ぶわけよ。
「ちょ、それ見せてみろ!」と血相を変えて止めるわけ。
え?入学祝いだけど?
どうやら父親は僕が七回忌の香典袋を赤いお祝い用のパッピーな袋と間違えて持ってきたと勘違いしたのだ。
僕自身もさすがにその間違いはしないとは思うけど、父親からすればやりかねないと思われてるのだろう。
正式にはお寺に墓参りした後にホテルで会食する前に飾った遺影と位牌の前に置いたけどね。
確かにこういう昔のルールというか形式美は難しいのよ。
仏前と霊前の違いとか入れる袋のランクと金額とかさ。
筆ペンの薄い色と濃い色の違いとかね。
だけどこれは故人やその家族に向けた気持ちだから標準をそっちのルールに合わせに行かないとマナーとしてはよろしくないなと。
で、コロナでお坊さんもお経を読むのを控えてるらしくて、お寺では墓参りだけだからその前に自宅の仏間で家族でお経を唱えることになったのよ。
実家は仏教系の宗教の信者をやってるから僕も子供の頃はご供養をやってたわけ。
曾祖母の代からやってるから婆ちゃんが喜ぶなら僕もやるわけですよ。
甥っ子と兄嫁は付き合わされて可哀想だったけど(笑)
兄貴と僕は4代目になるわけだけど、落ちこぼれなのよ。
小学生の段階で教えとして“いいこと”とされていることをすると逆にイジメられるという挫折を味わうわけですよ(笑)
イジメる側やイジメに加担するもしくは傍観する方が標的にされないという集団心理と仏教の素晴らしい教えと現実は違うんですね。
それも修行だと言われればそれまでなんすけど。
進撃の巨人でいうアッカーマンのミカサが勝手に動いてしまうようなもんなんですよ。
不思議なもんでね、僕が小学生の頃には爺ちゃん婆ちゃんも生きてて家族6人で月に1回ご供養してたわけで、2人が亡くなって今はそこに小学1年生の甥っ子がいるわけでね。
今の甥っ子の目線と小学生だった頃の僕の記憶が重なるのよ。
あの頃の風景と同じだなぁと思ってさ。
その後に甥っ子がもう割り算も出来るって聞いて俺とは明らかに違うって現実に戻ったけどね(笑)