旅する漢字 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

職場の温泉旅行の思い出を書き記そう。



向かった場所はですね、長野県の、漢字が読めないところ。



蓼科(たてしな)で合ってると思う。たぶん。



てゆうか、“蓼”←こんな漢字ってありますか?



この漢字だけは説明のしようがないよね。



草冠の下どないしてん!?いうぐらいの横風が吹いてるじゃないですか。



漢字の成り立ちの途中で一体何があったんだ?と。



僕は小学生のとき漢字が苦手だったので今でもあんまり書けないのよ。



自分で意識して初めて覚えた漢字は“様”だからね。



これが書けないと年賀状が届かないって聞いたから小6くらいでやっと覚えたわけでね。



当時はこういう考え方だったわけでね。



年賀状って漢字もさ、年賀状に年賀状って書かないなら覚える必要はないじゃないですか。



小4のときにクラスの友達が社会か何かの授業で教科書に書いてある“新潟”って漢字をノートに書いてたわけ。



新潟の“潟”ありますよね?



この“潟”の右上にある臼を僕はてっきり、印刷ミスだと思ってたんですよ。



教科書の誤植で、これはたまたま白が臼になってるだけだと友達に言ったわけですよ。



それが実は臼が正解だったわけですけど、納得できないわけですよ。



こんなのさ、素直に繋げたらいいじゃんか。



もう、そこは、白でいいじゃん。



新しい潟なら、なおさら白でいいだろと。



新潟産のコシヒカリの米粒を二粒ほど臼の隙間に置いたら白じゃん。



いや、“日”でもいいんだけど、若干これ、上に上がってるでしょ?臼でしょ。



新潟の人達は新潟って漢字を書く度に筆を止めてるわけでしょ?



その筆を止める時間が生涯でトータルどれだけの時間になるのかって話ですよ。



このようにね、いかに漢字を省略化するかって話をしたいのに、NGTっておい!!



いや、でも、これね、僕の説が正しいと思うのよ。



漢字が日本に伝わる途中で丁度そこの部分の半紙が破れたんでしょ?



絶対におかしいもん。



人体の構造力学の観点からしてもさ、そこで筆を止める動作は気持ち悪いじゃん。



長い歴史の中でなら漢字もさ、言葉と同じように使われていくうちに崩したり省略する流れじゃないとおかしいと思うのよ。



薔薇って漢字が今でも難しいままなのは分かるよ。



それは薔薇だからね。



バラでもいいけど、カッコつけたいときには薔薇を使いたいわけじゃん。


憂鬱とかもさ、考えたやつが憂鬱だったとしか思えない組み合わせになってるじゃん。



で、蓼科だよ。



お前どうしたんだ?と。


顔色悪いけど、大丈夫か?
何かあったの?



普通は蓼科にはならないよ。



俺は蓼科を守るよ。



せっかくさ、草冠を乗せてるのに、そりゃないよな。



ドレスコードが草冠だったとしても、行ってみたら聞いてた話と違ったんだろ?



蓼←ビジュアル系の前髪みたいになってるもんな。



オデコ出せ、言われても嫌だよな。



そんでまた科が隣にいると二人の関係性を疑われるからな。



薔薇みたいな関係性とは、蓼科は違うもんな。



どっちか言ったら、

耳鼻科
泌尿器科
蓼科

みたいな並びに思うよな。



だけど不思議なことに、どんどん愛着が湧いてくるもんな。



旅行の思い出話のはずが出発すらままならない。