スペイン語は踊って覚えろ | 天狗と河童の妖怪漫才

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笑える下ネタ満載……の筈です。

スペイン語の“寒い”と“暑い”をマスターした。



ここ最近ずっと一緒に現場で作業をしている南米の日系人が僕のスペイン語の先生なのだ。



彼は年齢が55才なので僕よりも遥かに年上なのだが、基本的にタメ口で話している。



相手が仕事の内容を理解する為に喋る場合、敬語は邪魔になる。



敬語を使わない方がより正確に相手に内容を伝達することができるのなら、それこそ相手に対して丁寧な言葉になるのだ。



そもそも外国人には敬語のような上下関係という文化や儒教的な感覚はない。



なのでコミュニケーションとしては限られた言葉の中から相手に向けて放つ振動した空気の塊があるとしたら、いかにそこへ感情を宿してスピンを掛けるかが重要になってくる。



喜怒哀楽の表現もハッキリと相手に伝えることで言葉に自分の感情を乗せるイメージである。



賢く思われたいので難しそうに書いたわけだけど(照)ようするに外国人とのコミュニケーションのコツは何かと言ったら、単純にこっちが素直に喋るだけでいいのだ。



イライラしてきたらそのまま声に出して「もぉぉおおおーっ!!」と叫べばそれが相手に伝わるのだ。



失敗した時には「うわあああああ!!」と叫んで落ち込めばいいのだ。



基本的にずっと大声で叫んでるわけだけど(笑)



こんな感じだと情緒不安定な日本人みたいに思うだろうけど、これが本来の人間の素直な感情表現なんだと思う。



だって相手にも伝わるからストレスにはならないからね。



もちろん彼らに笑われるけど、ちゃんと励ましてくれたり慰めてくれたりもする。



お互いに同じスタイルになるわけです。



お互いに笑ったり怒ったり失敗した時には背中を撫でてドンマイって励ましたり、上手くいったらお互いのコブシをぶつけて(何の意味があるのかは知らないけど)そんなノリだけで仕事を進めていくわけですね。



基本的には喜怒哀楽の表現を大声で叫んでいるわけですが、僕くらいのレベルになってくると、それだけじゃどうしても相手に伝わらないコミュニケーションの壁に直面したときに、なぜかイライラしてしまうわけです。



僕に語学力がないからとかじゃなく、完全にラテン系の波に乗れてるゾーンみたいなのがあるわけだけど、そうなるとただ奇声を上げてるだけなのに意思が相手に伝わるというね。



喜怒哀楽を大声で叫んで、そこに“歌う”“踊る”も追加される。



最近はサルサのステップを踏みながら移動をしている。



話は逸れるけど、ダンスってのは不思議な力がある。



日系人の若いやつに母国の特産物や有名な物は何かを質問したときだった。



そいつは中南米の島国の出身らしく、有名なのは野球とサルサだと答えた。



サルサのハイレベルなダンサーには特別な名前があるらしく(忘れたけど)、本人が言うには六本木じゃ自分がサルサの(忘れたやつ)だと。



オレが六本木でナンバーワンだと。



僕がラテン系のノリで好きなのは、こうやって自分から“俺はすげーぜ!”とアピールするような“男の子”してる感じが最高なのだ。



どうしても日本人だとここのところが遠慮がちになるし、それが称賛すべきことなのになぜか嫉妬するから面白くないのだ。



日本人は自分の中にある能力を100%解き放ってはいけないような文化みたいなのがある。



年功序列だとか全員同じであろうとしたり、異質や突出した者を排除しようとする傾向にある。



若者からの“俺はすげーぜ!”アピールに対して、こっちも同じスタイルで返すのだ。



“よっしゃ、ぶっち切っても構わないぜ!”と。



よし、じゃあ、サルサを踊ってみろよ!と。



ちなみに僕は踊らせるのが得意なのだ。



急に踊ってみろよと言われた彼も仕事中なので困惑している様子だった。



その場には僕の他にも数人いたので、これが日本人なら恥ずかしくて踊れないとか、踊れる空気じゃないとか言い訳すると思う。



ラテン系の彼は日本人のようなメンタルではないので恥ずかしいから踊れないわけではない、むしろ母国のダンスにはプライドもある。



そこを刺激してあげれば燃えるのだ。



「サルサってこんな感じだろ?」と僕のイメージするサルサを踊ってみせた。



ちなみに僕の咄嗟のイメージで踊ったのはモンキーダンスで、それはサルサではなく“猿さ”



僕のダンスに周りが笑っていると彼は怒って「違いますよ!サルサはこうですよ!!」とステップを踏み出した。



そして僕に向かってサルサのステップのまま直進してきて、僕の目の前ギリギリでターンして戻っていったのだ。



これには歓声が上がったわけだけど、ここはガテン系の職場でもある。



その横では二人の先輩が仕事の話で熱くなって口論していて片方が真面目に説教をしていたのだ。



僕が仕事中に踊って怒られるのは仕方ないとしても、若いやつを踊らせたのは僕が悪い。



タイミング的には若いやつが踊り出すときには先輩たちの口論が終わってこちらを見ていたのだ。



若いやつが仕事中にふざけてるだけでも説教の対象にはなる。



しかし、これがダンスの不思議な力なのだが、若いやつのキレキレのダンスにはパワハラが得意な先輩だとしても怒れない何かがあったのだ。



見事にターンまで決めたキレキレのダンスには民族的な伝統の舞いような尊さが宿ってしまっていて、そのダンス自体を仕事中とはいえ“ふざけてる”という言葉では片付けられない、そう言ってはいけないような、とにかく不思議な体験をしたのである。



ダンスにも色んなジャンルがあるけど、そこに何かしらの基準があるとしたら、踊ってはいけない空気の中で踊ったのに、誰も怒ることが出来ないダンスには、何かしらの美がそこに宿っていると思う。



話が踊るように逸れた。



現場があまりに寒かったので“寒い”ってスペイン語で何て言うの?と55才の先生に聞いてみた。



日本語の寒いでは伝わらない寒さの向こう側を表現したかったのだ。



日本語で僕がいくら“さささささ寒いぃぃぃぃ”と言っても、まん丸い体型をした先生にもちゃんとこの寒さの表現が伝わってんのかな?と疑問に思ったのもある。



すると寒いをスペイン語では“プリオ”と言うと。



そこでさっそく「う~プリオ、プリオ」と連呼して(日本語で言う“う~寒い寒い”みたいに)そして最後に「プリィィィィオォォォ~」(さみぃーよぉ~)


僕の中での寒さの表現力を教わったばかりのプリオに乗せて彼に伝えたわけだが、これに対しての彼の返しに僕は笑ってしまった。



彼の感じている寒さのレベルを僕にスペイン語でこう言ったのだ。



『ムーチョ、プリオ!』


南米系のやつ普通は言わないだろそれ!!(笑)



ムーチョが日本語で“とても”って意味なのは知ってたけど、ムーチョプリオは情けなくて面白い。



南米系だから余計にムーチョプリオと感じるのかもしれないけど。



寒いだけだと体感温度の言葉にならないので暑いも教えてもらった。



暑いは“カッロ~ル”だと。



発音と記憶力をあげる為に交互に口に出して言ってみた。



「カッロ~ル」
「プリオ」



さっそくムーチョも取り入れて大声で連呼してみた。



「ムーチョカッロ~ル」
「ムーチョプリオ」
「ムーチョカッロ~ル」
「ムーチョプリオ」
「ムーチョカッロ~ル」
「ムーチョプリオ」




実際に口に出して言ってみると語感が大変気持ちがいいので何回でも言いたくなるのだ。



ただ、スペイン語の意味を理解する者が僕の声だけを聞いたら大声でこう叫んでいるように聞こえるのだ。



「ちょー暑い」
「ちょー寒い」
「ちょー暑い」
「ちょー寒い」
「ちょー暑い」
「ちょー寒い」



ムーチョクレイジーな日本人でしかない。



プリオと何回も発音してる最中に、急に記憶が甦ることもあった。



そういや昔、大川興行にプリオってお笑いコンビがいたなぁと。



僕が高校生くらいだった頃の記憶である。



コンビ名の由来は“寒い”って意味だったのかな?と。



あの当時の松本人志政権下では“寒い”という言葉は“面白くない”という意味だった。



だとすると、ヒャダイン的な“寒い”と言うツッコミを予測したネーミングだったのかな?と、誰からも共感されることのない記憶が脳内に冷凍保存されていることに自分でも驚いた。



ムーチョ驚いた。



日本語の相槌である“そう!”は、英語だと“イエス!”で、スペイン語だと“シー!”ということも学んだ。



ここにきて急にムーチョ格好いい大人の男になったように感じるっシー。