鳥人間コンテストと中二の思い出 | 天狗と河童の妖怪漫才

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今年の夏の一番の思い出は?ブログネタ:今年の夏の一番の思い出は? 参加中




鳥人間コンテストを見ました。

今年は強風の為に大会は途中で中止になったのですが、その中止を運営サイドが発表する前に、飛行を棄権するかどうかを参加チームが話し合う場面を見ていて不覚にも泣いてしまいました。

そのチームは大学生のグループだったので、私の感覚からすれば、ゆとり世代で世間知らずのガキ共の思い出作りと吐き捨てる筈だったのですが…。


話し合いの論点は、『この強風の中で飛行機を飛ばしても良い結果は出ない』という現実でした。


そんな状況下で、『今までの努力は報われなくとも、みんなで作ってきた飛行機を飛ばして終わろう』という意見と『飛ぶために作ってきた飛行機を、まともに飛べない状況では飛ばしたくない』という2つの意見でした。


彼らは仲間たちに対する愛情と、飛行機に対する愛情に溢れていました。


みんなが納得する着地点を限られた時間の中で、真剣にぶつけ合っていたのです。


そして彼らは棄権することを選びました。


この決断にはグループの中に女の子がいたことが大きいと思います。


男の子だけのグループだったら強風だろうと玉砕覚悟で飛んでいたでしょう。


飛行機に対する愛情は揺らぎなくあることは確かですが、男のロマンならば飛行機も仲間なんです。


飛行機と共に終わりたいんですよ。


ただ、女の子にとって飛行機は息子なんです。


母性愛で飛行機を守ります。


その声に男たちは帰還すべき着地点を見たと思います。


飛ばさずに持ち帰って分解するくらいならば、強風の中でも飛んでバラバラにした方がいいと、実に男の子らしい意見が飛び交った時に、その女の子は泣きながら叫びました。



『私たちは琵琶湖にゴミを捨てにきたんじゃない、飛行機を飛ばしにきたの!!』




日本には、こんなにも純粋で熱い若者たちがいるのだと知った。


大人たちは諦める勇気もあると常套句のように使うが、諦めることに必要なのは勇気ではないと彼らに教わった。


諦めることとは、現実を受け入れるということだ。


それはとても悲しいことだ。


悲しい現実を悲しいと感じることだ。


それだけの時間を捧げてきたのだ。


大人になると、何の為に働いているのかわからなくなる時がある。


それなりの年齢になると、それなりの年齢の生き方がわからなくなる。


人生は強風の中でも生きていかなければならない。


けれど、我々は生きる為に生まれてきたことを忘れてはいけないのだ。


ありがとう、鳥人間たちよ。


過去の記憶が甦る。


あれは中学二年の文化祭。


隣のクラスがお化け屋敷をやっていた。


確か、お化け屋敷の入口が恐竜の口になっていて、恐竜に食べられたお腹の中を進むとゾンビとか幽霊が出てくるという設定だった。


出口の先には人間サイズの手作り恐竜があったのだ。


新聞紙などを大量に集めて作られた恐竜である。


恐竜の歯の部分は紙製の卵のパックで出来てたり、シッポや背中のヒレみたいのも段ボール等を工夫して貼り付けてあって、恐竜の顔から全身までしっかりと色まで塗った、かなりの力作だったのだ。


文化祭も終わりが近付いた頃に、そのお化け屋敷をやってるクラスの友達に手作り恐竜を壊してもいいのかと聞いてみたのである。


すると、『いいんじゃないの?』という答えが帰ってきた。


そこで、友達数人でその恐竜を蹴ったり殴ったりとにかく笑いながらボコボコに壊したのだ。


小さく丸めた新聞紙が教室に大量に散らばったあたりで、お化け屋敷を主催するクラスの女子が教室を覗いて悲鳴をあげた。

騒ぎが大きくなり学年主任に呼び出され事情を聞かれた。


そこへ、お化け屋敷のクラスの担任である女の先生が血相を変えてやってきて、そのまま『いいんじゃないの?』と言った2人に連続でビンタをした。


詳しく話を聞くと、文化祭の最後にそのクラス全員で我々が壊した恐竜と一緒に記念撮影をする予定だったらしいのだ。


そして、恐竜を壊した我々は、そのお化け屋敷を主催するクラスの全員が着席する教室に謝罪をしに行くという、文化祭のお化け屋敷よりも人間の怒りという恐怖が待つ受ける教室へと向かったのだ。


私は、あれだけの数の白い目を見たことはない。


クラス全員からの突き刺さる視線や罵倒に耐えるしかなかった。


文化祭の終わりという切ない感情が全て怒りとなって我々に降りかかってきた。


顔が真っ青なゾンビや、口から血を流した幽霊たちが一斉に『ふざけんな!!』と罵ってくるのである。


私は、こんな恐怖体験はあれ以来ない。


確かに悪いのは我々なので、謝るしかないのだ。


この件に関しては教師も誰も助けてはくれなかった。


そのクラスの女子と、その担任である女の先生は怒り泣きしていた。


やはり女性の作ったものに対する愛情というのは強いのだなぁと、改めて思い出しました。