「またすぐ来ますから😄」
と言って東戸塚の我が家を後にしてロンドンに帰ってから何年経ったかしら?
ふと先生の演奏が聴きたくなり、昔のN響との共演など、You Tubeでチャイコとかモーツァルト、ブラームス、エルガーのコンチェルトを立て続けに聴いた。
ロンドンでの私の師匠
藤川真弓先生!
まさかヴァイオリニスト目指してて知らん奴おらんやろな✊😠
私は学生時代、初めて読響のトラでオケ仕事デビュー(?)した時のソリストも真弓先生だった。
藤川真弓さんといえば日本を代表する一流のソリスト。録音や動画も出てくる。
先生のチャイコやブラームス、ベートーヴェン、ウォルトンなんかは生でも聴いてたけど(オケで共演も)、コンサートでエルガーのコンチェルトは珍しいよね。きっと先生がイギリス在住なのもあって弾く事になったのかな。
私は実はエルガーのコンチェルト勉強していない。私の学生時代は大学の卒試ではわりと流行ってて(?)弾く人多かったな(←と言いながら自分はショーソンのポエム弾いた😅)
でも試験ではみんな1楽章だけだから、こんなに2、3楽章長く壮大なカッコイイ曲だったとは知らなかった。しかし、今からエルガー(に限らず)新しいコンチェルトを譜読みしてオケをバックには勿論、人前で演奏する事はないからエルガーはソナタに留めておくとするよ💧
それよりElgarと聞いて音楽よりお金の事を思い出す自分が恨めしい😥
というのは私の学生時代オケデビュー↑からの10年後、私はロンドンにプライベート留学して、真弓先生のご自宅のキッチンで、1年間レッスンを受けていた。
今流行りの朝ドラの沖縄方言的に言うなら、
「まさかや〜😆!?」
その年、悲しい事に為替はめちゃくちゃイギリス£ポンド高くって😫
どのお札もエリザベス女王は印刷されてますが、裏は色々で、20£札がエルガーの肖像画だったんで。
「今財布にエルガー何人」「エルガーいなくなった😫💸」みたいなお財布とにらめっこ生活してたのでした💧(日本円でも諭吉が何人、とか言ってるかも😅)
ふとYou Tubeを見ているうち、若かりし頃の伝説のコンクールの映像があったので見てみました。
貼れてる?ダメ💦?
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=TjCa-La1pxg
駄目か💦ならば写真だけ。
真弓先生、カッコイイ✨可愛い🥰💕
こりゃね、50年以上前に、東洋の小さな島国からきた、140cm台の小柄な黒髪ストレート美女が、こんな演奏したら皆さんびっくりするでしょうよ。
1位のクレーメル、今、仙台国際コンクールの審査員&コンサートで来日中ですね。同級生で仙台フィルコンミスの神谷未穂ちゃんがクレーメルのバックで弾いて、
唯一無二の音色、究極の脱力✨
を間近で見て、音程のとり方が凄い。
と言ってた。巨匠との共演、仕事しながら勉強を出来るのが羨ましい✨
ツーショット写真も握手も羨ましい✨
未穂の言ってた、音程のとり方、すごい興味ある。得意のモノマネで再現してくれ未穂🤣
話を戻そう。
そんな世紀の対決、みたいに言われた当時のチャイコフスキーコンクール。
なんで話題にする時、人やマスコミは決まって、対決、みたいに言いたがるんだろね。人となんて戦わないのに。
真弓先生の演奏、音、聴くとグッときて涙が出そうになる。渡辺茂夫さんのと同じように。
今は聴く事の出来ない時代の、キレがあるけれど深く温かい懐かしい大家の音がする。
どちらも直接知ってるとか日本人だから、とか贔屓目に言ってるわけじゃない。
チャイコもね、今は何人も日本人も優勝、入賞してるんだけど。
諏訪内晶子、神尾真由子、川久保賜紀など活躍してるソリストはいるけれど、真弓先生は全然違う種類の演奏。
更に時代は進み、服部百音 吉村妃鞠、など注目されるスーパーキッズ達が出てきた。
ザハール・ブロンのマスタークラスが盛んになったあたりから、海外で活躍する日本人が低年齢化してったような印象。
諏訪内さん世代の私の時代はまだ「レーピン君の先生」な意識でした(笑)。
考えたら百音ママは私より8つくらい後輩だし、妃鞠ママの恭子は同級生。みんなやっぱり同じ事やるようになるのね。
どちらも本当に上手い。
でも。
涙は出てこない。
子供だからではない。妃鞠ちゃんは大人のような演奏してるし、茂夫さんの演奏は子供の時のものだし。
一言で言うと、
苦労してない人の演奏。
日本を代表する世界で活躍されるスーパースターに偉そうに人の事ジャッジする資格はないですが、敢えて言う。別に非難してる訳ではありませんから。
そりゃ、頭良くて才能ある人が寝る時間削って、もの凄い練習して、勉強もしてるんです。血を吐くような努力してる事は知ってます。
でも、音楽家を志す人はそれは誰でも当たり前であって、
努力は苦労ではない。そんな事を苦労とは言わない。
現代の子達は恵まれている。私の世代もだけど。
平和な日本に生まれ育ち、ヴァイオリンの練習勉強に専念出来るよう家族がサポート、環境整えてお膳立てして協力してくれたり、経済的に何不自由なく生活し、そこに、明日食べるもの、住む場所の不安や心配をする必要はない。
活躍している人は必ず親子二人三脚でコンクールやレッスン受けに地方いくにも海外行くにも親が一緒に行ってそばで応援してくれている。舞台のの上以外では1人ではない。
しかも私の時代よりさらに海外が身近だ。普通の人も気軽に海外旅行に行ける。
環境が最初から整っている。
その点、60年前の日本から、海外へ出る、というのは今の人には想像つかないくらいとんでもなく大変な事だったのだ。
ネットもないし電話もない。1ドル360円。
何か不幸があった時に日本国内でも、
ハハキトク カエレ
みたいな電報がくる時代。
便りがないのは良い知らせ、という感じ。
外交官の家庭の人や財閥系の裕福な家庭の人ならまだ多少カネもコネもあるかもしれない。そういう人も多い。
音楽の専門教育を受ける事は特別秀でた才能がない限り、裕福な家庭の人でないとやるべきではない事だった。
当時、桐朋で斎藤秀雄先生は、後にN響のコンマスになる徳永二男先生に、
「君はご両親に苦労させてやるほどの才能ではないから辞めた方がいい」
と言っていたそう。
才能ないと言っても日本を代表するN響のコンマスする程度の才能はあるので、これを読んで、言葉通りに受け取って次元の違う低いレベルに置き換えて「私と同じ😃」勘違いしないように⚠!
真弓先生は世界の舞台でソリストとして通用するレベルの才能と実力の持ち主だったけれど、父親は旭川で学校の先生をしているという普通の家庭。教育熱心ではあっても決して裕福ではない。
子供を1人東京に送り出すだけで精一杯だ(先生は末っ子)
ヴァイオリニストでもない父親が15歳くらいまでに真弓先生をあんな弾けるようにさせたのは信じられないほど凄い事だけど、私にはその世代の人の熱意や気持ちがわかる。
茂夫さんの父、私の恩師、渡邊季彦先生も明治生まれ、同じ世代だから。
ただ、情報もマニュアルもない時代、ただただ、自分の理想、心に描いた音色を求め、高みを目指していた時代。
子供に厳しい長時間の練習をさせて演奏家目指す生活をしていると、親のエゴと批難する人は今も昔もいます。
茂夫さんなどは先生の養子だから尚さら、「継子いじめ」などと陰口叩く人もいたそうです。
まぁ、大抵、なんもさせてない人、志持った事ない人がスパルタだの英才教育だのいう言葉を使いがちなので、スパルタの基準もよくわかりませんが。
親のエゴとか言う人は、自分がもしさせる場合は、そうなんだろな、地位や名誉など見返り求めるとか利己的な人なんだろうな、だってそれしか思いつかないのだから、と思います。
もしくは、子供には自我や意志はないもの、と決めつけ、子供を見くびっていている大人なのかもしれない。
親のエゴでさせていたなら子供はわかります。
愛情感じているから、期待に答えようと頑張っていられるのです。
それにソリストになりうる資質の持ち主は相当な確固たる強い自我を持っていて、それは一言に音楽家と言っても、オケ弾きの比じゃないと思います。
また、それがないとソリストなんてなれない。
そんな強い自我を持った人間が「親にさせられている」「大人しく言う事聞いてやっている」わきゃないのよ😉。
嫌なら嫌だと意思表示出来るのです。
話は飛びますが、
渡邊先生や真弓先生のお父様は、
戦争
を知っています。
戦争はむごいものです。全ての当たり前が当たり前でなく、幸せは一瞬にして全て奪われ消えてなくなってしまいます。
戦地に出てる人は、夢を見ると思う。
「もし、この戦争が終わったら・・、もし無事に帰って生きていく事が出来たら・・・」
と。
「家族で温かい食事を囲んで一家団欒。そうだ。子供には何か楽器を習わせるのもいいな😌。家に音楽がある生活はきっと楽しくて幸せだろうな😌」
ささやかな夢。願い。
子供に有名になって活躍して欲しいとか、それで稼げるようになって欲しいとか、決してそんなエゴではない。
ただ、ただ、平和を望んでいるのです。
未来ある子供達は希望そのもの、音楽は平和の象徴
なんです。
だから。
生き残った人達はそれを、
絶対に諦めてはいけない。手放してはいけない。
自分達は叶わなかった事、大切な事、持ってる全てを、可能性の塊、日本の未来である次の世代の子供達にしっかり手渡し注ぎ込もうという熱意が文化、音楽教育となって彼らを強く突き動かしていたと思います。
齋藤秀雄先生が桐朋学園を、鈴木慎一先生がスズキメソッドとなる松本音楽院を設立し(他にもあります)戦後の灰色の瓦礫の下から緑の草木が芽を出すように、日本の音楽教育が凄まじい発展をしていったのです。
希望を託された才能ある人は、誰でもが出来ないような仕事(演奏)をし、誰もが見られないような景色、夢を見せてくれるのです。
先生の演奏って個人的な才能や技術の素晴らしさだけでなく、沢山の人の想いが詰まっているのが感じられてグッと胸が熱くなります。
コンクールってオリンピックですもん。
日の丸背負ってる感、感動、スポーツでも昔の方が強くないですか?
真弓先生の時代、一般家庭の人が海外に行くにも楽器を買うにも今より更にお金の工面が大変です。
「コンクール荒らし」なんて言葉あるけれど、少しでも賞金ととれたら楽器や弓などの資金の足しや生活費になる。
ヴァイオリンの練習しかしてきてない子供が、練習、勉強しながらお金を手に入れるにはコンクールでの賞金を狙うしかない。
元々、人前に出るのが好きな人、目立ちたがり屋、サービス精神のあるエンターティナータイプの人なら良いかもしれないけど、先生はそういう、自分が前に出てアピールするタイプの性格ではない。
むしろ平均より下ではないか😅。
実は人見知りでシャイだ。
愛想なく、言葉少ないけれどハッキリ物言う為、一見、取っつきにくい人、怖そう、と思われがち。フレンドリーではない😅。
親戚などから何とかお金をかき集めて、海外行くにも片道切符。道具である楽器も多額の借金(ローン)背負う。日本は芸術に関してはスポーツみたいに全然スポンサー付かない😥😠⤵️。
先生と話していると、言葉もわからない国で、生活面でも、経済面でも、色々苦労して、沢山辛い目、苦しい経験をしてきているんだろうな、と話の端々から思う事はあります。
才能はあるでしょうが、ごくまともな常識ある人の心を持った人間なので、
天才少女という一言で簡単に片付けられてしまうのって随分乱暴で私は好きじゃない。その為にどれだけ沢山のもの引き換えにしている人生か。
因みに先生は若い時、パリで財布を拾ったら今で10万円分くらい入っていて、嬉しくなって初めて食べたいもの食べた。と反省してらしたけど、それほどお金に苦労していたとも。
巨匠レオニード・コーガンに、「どうしてガット弦を使わないのか?そんな古い弦を張っているのか?」と聞かれ、
「お金がないから。弦が高いから」
と答えたらコーガンがびっくりして黙って弦をくれた、と。
どこかの国に向かう途中、トランジットでみるみる具合が悪くなり、飛行機乗るのを取りやめ、桐朋出身のピアニストの友人を頼って身を寄せて、数週間居候させてもらった。
「あの時は、誰か好きな人がいたでもないけど、どうにかして、誰か助け合っていける人を見つけて結婚しないと、私は一人で世界で生きていく事はできないと思った」
と仰有っていた。
また、コンクールで賞を取れば、途端にオファーがきて、どんどん本番で埋められ、少しでもミスしたり、荒れた演奏になれば、途端に、落ちるの待ち、みたいに批評家マスコミがこき下ろす、というような事が起こって精神的に繊細な人などは潰されてしまう事もよくあった。
先生と飲んでた時、
「私、若い頃鼻っ柱が強かったのかしらね。インタビューとかで、「私はペンの暴力には屈しません😔!」なんて言って、生意気だとかなんとか書かれたりしたわね」
とか仰有っていた😅。
それくらい強くていい😁。
そういうとこは裕福に育ったり全部お膳立てして貰ってヴァイオリンだけ、音楽だけ、過保護にやってきたお嬢様ではなく、苦労され、雑草のような逞しさがあるから、精神を病んで潰れてしまわずに済んだり、人の苦労や心の痛みがわかる演奏の深みに繋がる。
でも、辛い思い、酷い事はない方がいい。
ロシアとウクライナの戦争、辞めてほしい。
私の師である藤川真弓先生、天満敦子先生、梅津南美子先生などもレッスンを受けたヴァイオリニスト、
レオニード・コーガン
彼はレオポルド・アウアーの高弟子のヤンポリスキーに師事したヴァイオリニスト。
因みに渡邉季彦先生は
アウアーの高弟子、ボリス・ラスに師事していた(日本に亡命中)
コーガンはウクライナ出身、モスクワ音楽院で更に良い音楽教育を受ける為に家族で移住したヴァイオリニスト。
コーガンの生まれた国と育った国、どちらもが壊されている戦争。
戦争を知らない時代の日本に生まれ育ち、大した苦労せずに日本で生きてきて、社会情勢や政治に疎い私ですら、自分の音楽継承の源流となっている(私はほっそい支流ですが💦)偉大なる音楽家達の国が両方壊されるのを見て居た堪れない気持ちになる。
戦争、もう、やめてくれないかな・・・