20代前半。

何にでもなれると思ってたあの頃。



それは、🇨🇦カナダ🇨🇦の空がそう思わせた。



そう。

思うことができた。





空が手に届きそうで、

私は、Vancouverの空が大好きだった。





私が今見る空とは何かが違ってて…


年齢のせいもあるのかな?

ないのか、わからないけど。



とにかく。


夢は叶えるためにある、と教えてくれた場所。







帰国して


グラフィックデザインの仕事がしたくて、


大阪の広告代理店にアシスタントとして就職。





Vancouver film Schoolで

PhotoshopやIllustratorやら諸々を学び。



と言っても、英語で覚えたので…



帰国して、日本のパソコン🇯🇵💻で…

あれ???!アセアセアセアセ




日本でそれらを覚えて行けば、

また留学の意味も変わったかも…なんて。



すでに遅し。



後悔はない。

しない。


過去は全て今に繋がっているので

問題なし!




と、思うようにする!





就職した広告代理店は、

スポーツに関する商品の広告やカタログを

制作するところだった。


そんな色んな細かいことも知らず就職。






今思えば、失礼極まりないアセアセ

かなり、無謀なことをしていたなぁ。




面接時には、広告に関する論文提出があって、


その場で、

社長室の手前の控室で書いたっけ。






これまた熱くアツく書いた。


で、実務経験ゼロのただのアツい若者の私を


社長は気に入ってくれた。




そして、採用された。







たぶん全てにおいて、

ナメていた若者だった。





やりたい、

思うようなデザインはできない。





言われたままを淡々とする日々。



定時なんて何時なのかも

知らなかった。




毎日遅くまで仕事して。

先輩もみんな優しかったのが救い。



お昼ごはんになると、時々社長が声かけてくれて

美味しいご飯をご馳走してくれたり。




おバカな若者の私の話に

耳を傾けてくれたり。






人に恵まれた。




ある日突然、社長に相談。




写真を勉強したい。



カメラマンの道を模索したい、と。






突拍子もない事言って、辞めて。



社長は、

その世界も知っている人だったので、

厳しさや現実を教えてくれたりもした。




頑張れ。

好きなように羽ばたけと、


背中も押してくれた。






若い頃は、

有名な誰もが知るアーティストと仕事を

してたとか。




ビリヤードやったって🎱自慢してきたっけ。笑




この頃の私は、

無謀な若者だったせいか、

社長、

バイトをすれば、



店長を飛び越して…


オーナーに気に入られるという日々でした。






よく店長にYUKAちゃん!


仕事しづらいわ!笑い泣き笑い泣き

ってツッコミもらったりアセアセ






好きなことを仕事にするには、


どうすればいい??




そう、考えた私。


やりたい事やってる人。

会社を経営してる人。


そう!


社長やってる人に、


話聞けばわかるんじゃない?!





と思って、夜のクラブ活動はじめました♪♪♪







なかなかの破天荒な20代でございます。



当時の私は、



大真面目ですけどね!





若いって…






素晴らしい!!爆笑爆笑爆笑






そう!アナタ!だけに…ラブラブ

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