人生、虹を追いかけるようなものかもしれない…
雨上がりに突然現れる虹に癒されるけど
追いかけても近づけない、いつの間にか消えてたり…
この橋を渡れるのは最後の最期、それまでずっと追いかける
それが生きるってことなんだろうか(・・?
そう思った一昨日の夕暮れ
頭の中を山下達郎さんの「さよなら夏の日」が流れてた
さて…困った課長を抑え込んだ形になって、怪我をした同僚も復帰、ギクシャクしていた若い方の同僚ともその後より仲良くなれた
そしてその課長は、というと…
夏の間は外に営業に出ることになった
かもめーるや震災復興寄付金付きの切手の販売の促進兼厄介払い
の目的もあったように私は感じた
私たちには偉そうにしなくなったのはいいけど、窓口には立とうとしない、その代わりに他の部署の人のちょっとしたミスや言い方に文句をつける態度には変わりはなかったから
現実として社員同士のほうが言えない風潮だった
社員同士、役職者同士で揉め事を起こすと自分の身も危うくなるからかもしれない(んだろうね)
本人は大して売り上げてないにもかかわらず、「自分は売ってやってる」ドヤ顔をしていた
それは年賀ハガキの頃まで続いた
そして年が明けて…
やる事がなくなった課長は朝から一日パソコンを占拠して過ごしていた(どうでもいい郵便ホームページ等をずっと眺めていた)
私たち郵便担当者は平和でよかったけど、他の社員たちからしたら目障りでしかない
一月の終わりごろだったと思う
「明日から課長にも窓口を担当してもらう」と何故か?貯金の担当課長が言いに来た
ちょうどそのタイミングで若い同僚が契約社員の試験に合格して貯金の研修に行くことになって、そのあとの新しいパートさんの採用も決まっていた
でもそんな話、社員さんの間からはチラホラ聞こえてはいたものの、当事者の私たちには一切話してくれない、突然の報告だった
なにかすごく腹が立ってきた
というのも、課長はたまに窓口に立つのはいいけど
相変わらずミスをしても絶対始めはしらばっくれるし
お客様に対する言葉遣いが横柄だったり…
自分が担当している切手箱、端末を使わないで私のほうを使いにくることが頻繁にあったから(自分のでミスると始末書をかかないといけなくなる、人のを使ったら誤魔化せるかもしれない…というセコイ考えだったはず)
もちろん注意してやめてもらったし、局長にも周囲にも訴えていたのに…(「またか」と言った顔で笑うことが多かった)
結局はパートに負担を押し付けるだけの形ではないか
前の職場でパートさんがみんな辞めてたのはこういうやり方してきたからではないのか?
この局長、赴任してきた時「社員は守ります」って言ってたけど、それは「正社員だけしか守らない」ってことかと怒りがこみ上げた
一番の敵はこの人かもしれないとすら思えてきた
次の出勤時の朝、局長に抗議した「これだけ問題のある人を窓に立たせるというのはどういうことですか」
私もちょっと感情が溢れすぎて「もうこれでは仕事できません」みたいなこと言った(これは反省)
「ちゃんと仕事に就いて下さい、今その話はきけません」と突き放された
その翌日だったか…組合の人が話を聴いてくれたけど(飲みに連れて行ってくれた)
結局は局長に謝っておくように言われた
で、その時「ルナさんはどうして契約社員の試験を受けなかったの?」と訊かれた
正社員を目指していかなかった詳しい理由はまた別の時に書こうと思うけど
私は「貯金、保険の仕事をしなければいけなくなる、それは私には無理だと判断したので」と答えた
組合の人達は…「正社員になれば待遇はよくなるから頑張ってほしい、そのためにも揉め事は起こさない方がいいよ」的なアドバイスをしたかったのかな?と私は今でも思っている
結局、今起こってる問題への解決の話ではなかった
なのでちょっとがっかりしたし、その人達も私の頑なさに困っただろうけど、私のことを理解、評価してくれていた人達だったので、多分局長にとりなしてくれてたんだと思う
だから、感謝している(でないと、評価を下げられて解雇か時給大幅ダウンになってたかもしれない)
でも「ここもずっと居る場所でないのかも」その時ふとそんな予感が走った記憶がある
その後急に、誰が発案したのか懇親会が頻繁に開かれて「おいでよ、お金要らないから」と誘われたけどそのころからすっかりそういう場に行く気がなくなって、その後も一切行くことはなかった
みーこ「飲み会大好き人間だったのに、一変したんだね」
その局長は一年で異動になって出世して出ていった
課長は残った
そして…バタバタしながら3年目を迎えるのであった