The Pool of Tears (泪の水たまり) -6ページ目

The Pool of Tears (泪の水たまり)

一貫性のないエッセイです


 数か月前に人事異動があり、世話になった上司の歓送会があった。異例なことだが、私はギターをもっていき慣れた歌を数曲披露した。喜んでいただけたようだった。

 若い社員からリクエストがあり、それは Let It Be だった。
 この曲は自身のある歌い手ほど、忌避する。
 上手い人ならその力を出せないし、下手な人なら少しも前へ進まないから。
 それに、ポールの声と表裏一体で、他の誰の声でもこの曲にはならないこともある。

 私も十数年歌った覚えはなかった。

 まあ、勢いでさらっと歌ってみたところ、思いのほか大うけだった。
 自分に聴こえている自分の演奏も自分の声も新鮮だった。
 私の頭の中か、心臓か、または天のどこからか、自動的に両手と喉に指令が来ていた。

 歌っている自分自身が観客のようで自分はただ、脳がアンテナで体がラジオのような役をやっていて演奏している本体はどこか別の次元にあったような気がする。

「ふ~ん、、、私はこの曲を歌う者として選ばれたひとりなのかも知れない」とあっさり感じた。驕りだろうか?そう思わない。私はこの曲を発売日に買い、リアルタイムでロードショーも見た。それにいつもポールとともに生きてきたから。

 そのあと、椅子に座って飲みながら無意識に”The Long And Winding Road”をつま弾いていたら、隣に座っていた課長が静かに口ずさんでいた。

 ”The Long And Winding Road”は、映画”Let It Be” ではセットで演奏される。同じ時代を共にした人は胸に録画されていていつでも自動再生されるのだろう。

 私は数日後、スタジオで少しだけ洗練させたあと、数か所で披露してみた。とてもよろこんでいただけたようだったし、それが縁でフェイスブックのリクエストなどもいただいた。

 私の演奏は稚拙なもので、歌も素朴なのだが、私の脳にあるテープレコーダーから再生されるポールの唄と演奏はなんとかそのエッセンスは再生ができているのだと思う。私自身がそれを楽しめるからである。

 私自身にとってトラウマだったこの二曲を歌うことができて、私自身がそれを楽しんでいる今はとても幸せだ。